止々井沼の白蛇【岩手の伝説⑰】
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館
昔々、止々井沼(とどいぬま)をめぐる村々に、不思議な病気が流行いたしました。
※村々・・・新里(にいさと)、都鳥(とどり)、上巾(かみはば)
病気にかかる人はほとんどが十六、七才の娘達でありました。
この病気にかかると、最初ボンヤリとしていますが、数日すると外に飛び出して駈け廻るというのでありました。
さらにそれが酷くなると、狂気のようになって狂いまわり、挙句の果ては止々井沼に飛び込んで死ぬというのでありました。
しかも不思議なことに、いくら探しても死骸の上がった例(ためし)はありませんでした。
そんなことがあって数ヶ月後、村々から数名の娘達が消えた時、重大なことを調べ上げた人がありました。
それは病気になる娘達の家に、必ず白蛇が現れるということでありました。
いづこからともなく現れた白蛇は、その家の屋根か台所か庭先をちょろちょろと走り廻り、最後にじっと娘を見つめてから、止々井沼の方に走り去るというのでありました。
そんなことが知らされると、いかにも注意して見ると、確かにその通りでした。
病気の原因はその白蛇であると、はっきりいたしました。
それが分かると早くその白蛇を退治してしまえという意見が出ましたが、それではかえって祟りも加わって、事態が大きくなるのではないかと憂慮する人もありました。
結局、京都から有名な修験者を呼んで聞くことにいたしました。
修験者は黒硬坊(こくせきぼう)といいました。
黒硬坊は村人達からこの有様を聞くと、胆沢中の稲荷に願をかけ、京都は伏見の神狐を呼び、恐ろしい病気をまき散らすかの白蛇を、村から追い出すことに成功いたしました。
止々井沼をめぐる村々には奇病にかかる娘も出なくなり、平和がよみがえってまいりました。
黒硬坊も非常にこの地を好きになり、京都には帰らず、沼のほとりの高山に祠を建てて貰い、「高山太郎」の愛称を貰って、神と祀られるようになりました。
ある日、黒硬坊がつれづれのあまり止々井沼のほとりを歩いておりました。
※つれづれのあまり・・・徒然のあまり。退屈すぎて。
その行く先の道に、一匹の白蛇がちょろちょろと出てきました。
かつての日、村人達に迷惑をかけた白蛇のことを忘れていない黒硬坊は、言葉を荒げて叱責いたしました。
と白蛇はたちまち菩薩の姿に変わり、
「私は九十九郡の内神菩薩であります。
しかし大昔に大罪を犯したので、阿弥陀様の怒りに触れて白蛇にされ、成仏できずにおります。
この度あなた様の神の力により、岡に上がることができぬようにされ、したがって娘を食うことができず困っています。」
※九十九郡の内神菩薩・・・おそらく、つくもという郡で祀られた内神(ないしん、うちがみ)。内神とは、屋敷内に祀る神のこと。この地方では、郡の役所から個人の家まで、幅広く内神を祀っていた。
と言って再び白蛇に戻り、止々井沼深く沈んでいきました。
黒硬坊は気の毒な白蛇と思い、神狐に頼んで成仏させることにいたしました。
菩薩によみがえった白蛇は或る夜、黒硬坊の夢枕に立ちました。
「おかげで元の姿になれて嬉しい。
このお礼にお前の妻の腹を借りて世に出、御恩を返したい。」
と言って消えました。
間もなく黒硬坊の妻は懐妊、玉のような娘を出産いたしました。
美しい親孝行なその娘は、成長して地方の豪族、阿部の嘉門(家門?)の妻となり、賢妻の名をほしいままにしたということであります。
※おそらく豪族安倍氏のこと。平安時代以前は阿倍と書いた。