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宮本武蔵はこう戦った

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#時代小説

短編小説『佐々木小次郎の知られざる過去』

短編小説『佐々木小次郎の知られざる過去』



小次郎は目を閉じ、ひたすら武蔵を待ち続けていた。

全ての雑念を遮断し、神経を丹田に集中させた。

陽がゆっくりと動く。

潮が引き。

また満ちてゆく。

小次郎は、何時間でも、何日でもその状態でいることが出来る。

心を微塵も動かさない。

積み重ねた鍛錬のたまものである。

物心ついた時から木刀を握っていた。

親の顔さえ知らないのに、その木刀だけは今でも鮮明に思い出す。

ずっしりと

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小次郎,敗れたり!(『宮本武蔵はこう戦った』より)

小次郎,敗れたり!(『宮本武蔵はこう戦った』より)

「佐々木殿、敗れたり」

武蔵は、小次郎に向かって言い放った。本来であれば、目上の人に対して礼を失する発言であるが、小次郎 の心を乱すのには有効だと敢えて言った。もちろん、己を鼓舞する意味もある。しかし、その根底に流れているのは、小次郎の冷徹な行いに対する怒りである。

小次郎は、冷静を保って、表情には何も現さなかった。しかし、内面は大きく揺れ動いた。何気なく取った行為が、武蔵に見透かされたことで

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武蔵の微笑み(時代小説『宮本武蔵はこう戦った』より)

武蔵の微笑み(時代小説『宮本武蔵はこう戦った』より)

武蔵は思い悩んでいたのだった。

小次郎に勝てるという自信がなかった。

今まで数々の試合をこなしたが、全て勝つことが出来た。

己の思うままに体を動かせば、難なく相手を倒すことが出来た。

そこには、剣法も理合いも必要としない。

己に宿る野生のままに向かえば、容易に相手を倒すことが出来た。

体の奥から沸き起こる炎で相手を包み込んでしまえばそれでよかった。

戦う前に勝負は、すでに決まっている

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天の啓示(小説『宮本武蔵はこう戦った』より)

天の啓示(小説『宮本武蔵はこう戦った』より)

武蔵は、小舟に乗り込むと、真ん中の粗末な敷物が敷かれた席に腰を据えた。

そして、船頭を見やり、目で出すように促した。

船頭はそれには返答せず、おもむろに立ち上がり、櫂(かい:舟をこぐ道具)を手繰り寄せた。

船頭は片腕がなかった。

右手の肘の二寸ほど先がなかった。

粗末な身なり船頭なのだが、明らかに、それは切り合いで、切り落とされた跡と見受けられる。

かつては、足軽として、戦に出ていたの

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己を信じろ!(『宮本武蔵はこう戦った』より)

己を信じろ!(『宮本武蔵はこう戦った』より)

佐々木小次郎は、武蔵が自分の間合いに入る紙一重の時に、頭上に振りかぶっている備前長光を振り下ろした。

一拍子といえども、ほんの僅かながら時間がかかる。

しかし、武蔵は燕よりも遅い。

突進してきている武蔵ほどの速さであれば、切先が武蔵の頭上に達する時には間合いを一寸五分ほど超えており、充分に斬ることが出来る。

小次郎は充分に確信を持って斬り下ろした。

切先は見事に、下げている武蔵の頭上を捉

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武蔵が斬られた!(『宮本武蔵はこう戦った』より)

武蔵が斬られた!(『宮本武蔵はこう戦った』より)

全力で砂の上を走る。

見る間に小次郎に迫る。

小次郎の顔が眼前に立ちはだかる。

どうした!

小次郎は、微動だにしない。

小次郎の太刀は大上段、頭上のまま。

動かない。

燕返しの前触れである横に払う太刀の動きがない。

なぜだ?

相手の間合いに入る寸前。そこで躊躇は出来ぬ。

勢いのまま、前に出る。

目の前が小次郎の顔で一杯になった。

ハッ!

頭上に、稲妻。

斬られる!

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秘剣 つばめ返し!(『宮本武蔵はこう戦った』より)

おもむろに、佐々木小次郎は背負っている刀を下から前に回し、鐺で大店の軒先にある燕の巣をはたき落した。

白っぽい土煙をたてながら、巣は地面に落ちた。

砕けた。

砕けた中に、何やら黒く動くものが、五つ六つ混じっていた。

それは、よく見ると、子燕であった。

まだ飛ぶことも出来ない子燕は、歩くこともやっとのことで、一つに集まって、唯か弱く泣くばかりであった。

小次郎は、落とした巣には一瞥もくれ

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異形のサムライ(小説『宮本武蔵はこう戦った』より)

異形のサムライ(小説『宮本武蔵はこう戦った』より)

父、無二斎より、小倉藩の権力争いのごたごたを収める意味も含めて、「佐々木小次郎」なる剣術師範と試合をしてくれと懇願された時も、さほど気にも留めていなかった。

政治ににかかわる垢じみた剣術家など、いつものように一蹴してやればよいと思っていた。

しかし、見てしまった。

佐々木小次郎の使う剣を。

その存在自体を見てしまった。

それは、今までに見たことのない存在。

自分の範疇の中に入らない存在

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身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ(『宮本武蔵はこう戦った』より)

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ(『宮本武蔵はこう戦った』より)

「こだわりを捨てよ」

武蔵は、 自分に言い聞かせた。

大地と一体化するのだ。

自然の声を聴くのだ。

運命は、すでに定まっている。

全てに身をゆだねるのだ。

降り注ぐ陽の光が、語り掛ける。

雲の流れる音がする。

波のささやきが、手に取るようにわかる。

見よ。

海面は、我が意のままになっているのではないか。

いや、そうではない。

分かるのだ。

どんなに小さい海面の動きも、把握

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海を見つめる武蔵(時代小説『宮本武蔵はこう戦った』より)

海を見つめる武蔵(時代小説『宮本武蔵はこう戦った』より)

武蔵は海を見ている。

日の出から随分時間が経った。陽が昇って頭上近くになろうとしているのに、その間じっと海面を見つめている。

光が交差して、宝石のように輝いて武蔵の顔に反射している。

それでも武蔵の表情は変わらない。目を見開いたまま海面を見つめている。

視線の先は、様々な曲面を描いて、絶えず揺れ動いている海面に向けられている。桟橋に腰をおろしたまま、用意されている小舟に乗ろうとしないのだ。

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本能には勝てない!(『宮本武蔵はこう戦った』より)

本能には勝てない!(『宮本武蔵はこう戦った』より)

「恐ろしい」

武蔵は、全身が強張って身動きが出来なくなってしまった。

小次郎は、目の前で見た「つばめ返し」の技を私との試合に使うに違いない。

彼は、私の太刀よりはるかに長い太刀で、遠い間合いから攻撃をしかけてくる。

相手が、遠い距離から仕掛けてこられると、こちらでは、明らかに届かないと分かっていても、今までに経験したことのない長さの太刀であることが頭に刷り込まれているので体が勝手に反応して

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武蔵、目を覚ませ!(『宮本武蔵はこう戦った』より)

 武蔵は、目を閉じたままでいる。闇夜の中にいる。

 力の限り、砂の上を走る。

 小次郎の顔が段々と大きくなる。

 燕返しの前触れである横に払う太刀の動きがない。小次郎の太刀は大上段、頭上のまま。

 それでも走る。

 目の前が小次郎の顔で一杯になった。

 ハッ!頭上に、稲妻。

 斬られる!

 思わず目を閉じる。

 思いっきり足を踏ん張る。砂の中に両足を打ち込むように、突き刺す。体が

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武蔵、斬られる!(『宮本武蔵はこう戦った』より)

武蔵、斬られる!(『宮本武蔵はこう戦った』より)

 小次郎は武蔵が自分の間合いに入る紙一重の時に、頭上に振りかぶっている長光を振り下ろした。一拍子といえども、ほんの僅かながら時間がかかる、突進してきている武蔵の速さであれば、切先が武蔵の頭上に達する時には間合いを一寸五分ほど超えており、充分に斬ることが出来る。

 小次郎は充分に確信を持って斬り下ろした。切先は見事に、下げている武蔵の頭上を捉えた。あとは長光の思うがままに任せておけばよかった。いつ

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武蔵の読みと誤算(『宮本武蔵はこう戦った』より)

武蔵の読みと誤算(『宮本武蔵はこう戦った』より)

 二人の距離が、三間を切った。

 ここまで入ると、小次郎の初太刀が来るはずだ。左から右にかけて顔の前を初太刀が横切る、あの燕返しの前触れが来る。しかし、それに惑わされてはいけない。間髪入れずに、次の太刀が来るからだ。初太刀に反応して、脇構えから木刀を上げてしまうと、右胴はがら空きになってしまう。そこを小次郎は、すかさず次の太刀で、難なく右胴に切り付ける。それ故、小次郎の初太刀には反応してはいけな

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