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三島由紀夫「午後の曳航」

三島由紀夫「午後の曳航」

京都 寺町の古本屋で偶然、三島由紀夫の初版本をゲットすることが出来た。
まさに天才三島由紀夫ここにありといった作品。
作者が最も力を入れたと思われる56,57頁の表現を抜き書きする。

孤独な澄んだ喇叭が鳴りひびき、光を孕んだ分厚い雲が低く垂れ、栄光の鋭い声が私の名を呼び求めているときには、

又、彼は、人生でただ一度だけ会う無上の女との間には必ず死が介在して、二人ともそれを知らずに、それによって

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あなたも自分の影をなくしていませんか? シャミッソー『影をなくした男』の味わい方

あなたも自分の影をなくしていませんか? シャミッソー『影をなくした男』の味わい方

日々の生活に追われて、ふと気が付くと最近自分の影を見た覚えがないことに気が付いた。

いつからだろうか、確かに見た覚えがない。

私は、ピーター・シュレミールと同様に、見知らぬ男と交換してしまったのかもしれない。

“幸福の金袋“と引き換えに自分の影を渡してしまったのかも知れない。

真夏の太陽が降り注ぐ中で、短くともその印象を濃くして存在感を示す影。

真冬の月夜に照らし出された間延びした青白く

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失ってしまった大切なもの 島崎藤村『桜の実の熟する時』の味わい方

失ってしまった大切なもの 島崎藤村『桜の実の熟する時』の味わい方

「なんとなくそよそよとした楽しい風が将来(さき)の方から吹いて
くるような気のする時だ。隠れた「成長」は、そこにも、ここにも、捨吉の目に付いて来た。」

この作品全体に「春」が流れている。

移りゆく季節の中で、心をときめかせ、希望に胸を膨らませる春。

成長してゆく身体に反して、揺れ動く心、漠然とした不安。

やさしく包み込むような光と頬をくすぐられような、ときめきをたっぷりと含んだ風。

この

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時代小説『龍馬が月夜に翔んだ』第30話「龍馬暗殺の真相」

時代小説『龍馬が月夜に翔んだ』第30話「龍馬暗殺の真相」

「大石、違う。それは、坂本龍馬だ」

血の滴る脇差を提げた服部が叫ぶ。

「坂本龍馬であろうが、逃げるものは斬る。それだけだ。ところで中岡慎太郎はどこに行った?」

仰向けに倒れている者がいる。

「誰が、中岡を斬った」

「偶然だ。坂本の拳銃が、暴発した」

大石鍬次郎は、右手に持った手槍を後ろに回し膝を折って屈みこんだ。中岡の息を確かめる。まだ息はある。

「リョウマサン、マダシヌナ、ユメガア

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幸福とは、報酬を求めなかった人々のところにくる報酬なのだ アラン『幸福論』の味わい方

幸福とは、報酬を求めなかった人々のところにくる報酬なのだ アラン『幸福論』の味わい方

100年以上前に書かれた文章なのに今読んでも新鮮なのだ。

まるで現代の人々に向かって書いているように疑問を投げかけ、明確な答えで返してくれる。そのストレートな感じがすごく心地よい。
読んでいくにつれて、段々と自分自身の心が洗われてゆくような爽快感に包まれていく。

そして、我々は何かを失ってしまったことに気が付かされる。
「失ってしまったこと」とは、全ての人々の中にある内なる自分自身の心の部分で

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目の前の大きな壁にたじろぐ作家の姿を見た 東野圭吾『人魚の眠る家』の味わい方

目の前の大きな壁にたじろぐ作家の姿を見た 東野圭吾『人魚の眠る家』の味わい方

安楽死という大きなテーマを前に、作家の苦悩する姿が目に浮かびます。

「死」とはどういうことか。その前の「生きる」ということは、どういう意味なのか。

「人間の尊厳」「心の存在」疑問が増々重なり合ってゆきます。

科学技術が進化して、医学が進歩してゆくほど、その定義があいまいになってゆくのではないでしょうか。

作者は、プロローグですでに頭の中で出来上がっていたプロトが、徐々に朽ち果ててゆき

綿

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ここにも音楽が流れている 宮下奈都『羊と鋼の森』の味わい方

ここにも音楽が流れている 宮下奈都『羊と鋼の森』の味わい方

作品全体にピアノの旋律が流れていて、心地よく読める作品です。

特に、主人公をはじめとした登場人物がすべて、それぞれの音を発する演奏者であり、作者のタクトによって、みごとな交響曲を醸し出しています。

双子の姉妹の描写は、特にコントラストを明確にしながらも、素晴らしいハーモニーの音楽を創り出しています。

それぞれの登場人物に注目して、その人がどんな音を発しているかに耳を傾けて読むと、あなただけの

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後味の悪い結末に作者の生への執念を見た 藤原伊織『シリウスの道』の読み方

後味の悪い結末に作者の生への執念を見た 藤原伊織『シリウスの道』の読み方

最初に、この本を読み終えたとき、なんとも複雑な思いに駆られました。今までの絡み合った伏線が、解きほどかれ、全てが昇華されると期待をしていたのに、全く期待外れの結末に終わっているのです。

伏線がつながらず、それぞれが思いの外の最悪の結果に終わっているので、読み終えた後に、消化しきれないものが残っているような後味の悪い読後感にとらわれました。

最初、作者がこの物語を完結せずにいたのは、次回作を書く

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作家は読者の何十倍も涙を流している 住野よる『君の膵臓を食べたい』の読み方

作家は読者の何十倍も涙を流している 住野よる『君の膵臓を食べたい』の読み方

『君の膵臓を食べたい』は読み進めていくうちに涙がこみあげてきて、段々と止まらなくなってきて、最後はとめどもなく流れ落ちるような小説ですね。

初めて住野よるさんの作品を読みました。

ものすごく感動しました。主人公の志賀春樹の姿とずっと昔の高校生の頃の自分の姿とダブりました。

スマホなんてなんてなかったずっと昔、デートするときにそのシチュエーションにあった文庫本を持って行ったことなどを思い出しま

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物語を味わう究極のレシピ 小川糸『食堂かたつむり』の読み方

物語を味わう究極のレシピ 小川糸『食堂かたつむり』の読み方

この作品を一流のシェフが作ったフルコースのディナーを食べているような気分で読みました。読むというより味わったという方が良いのかもしれません。

主人公は、訳があって都会を離れ、実家に戻るために夜行バスに乗り込みます。

夜の高速道路を走る夜行バスの窓ガラスに映し出される過去と幻想。そのあたりから現実から少しつ遠ざかってゆきます。

最初に食前酒が出されて、少しずつ酔いが体の中に染み込んでゆくような

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揺らぎの中に凄みを感じる 伊与原新『月まで三キロ』の読み方

揺らぎの中に凄みを感じる 伊与原新『月まで三キロ』の読み方

短編6話ともプロトがしっかりしていてとても読みやすいです。作者が科学の研究をされていた方だということがよくわかります。

「答え」を最初に決めていて、方程式を逆算するように、解きほどいていき「問い」を出すようにして書かれています。

「月」という地名、雪の結晶、アンモナイトの化石、古いサイダーの瓶、人気のない食堂のメニュー表、一眼レフのカメラなど、それらの題材から、作者は構想を膨らましてゆき、

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五感を呼び覚ます松井玲奈『カモフラージュ』の読み方

五感を呼び覚ます松井玲奈『カモフラージュ』の読み方

作者の松井玲奈さんは、作品に登場させる小道具の使い方が非常にうまいと思います。

「空っぽの弁当箱」「ケチャップ」「ビー玉」「クッキー」「餃子」「桃の種」など、物語の中の描写で使われている小道具すべてがキーワードになっており、それぞれに意味を持たせてあります。

わざわざ心理描写を書き込まなくても、小道具に投影されている深みをたどってゆけば、心の動きが見事に浮かび上がってくるのです。

それは

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気分すっきり! 湊かなえ『告白』の読み方

気分すっきり! 湊かなえ『告白』の読み方

作者の湊かなえさんは、おおらかでさっぱりとした明るい性格の方だと思います。

作家は、基本的に心身を削って小説を書いています。登場人物も描写もすべて、自分の内側に潜んでいるものを絞り出して、白紙のキャンパスに、それを無理やり広げるようにして作品を書いています。すべてが自分の中にあるものを拡張して表現しているだけなのです。

湊かなえさんは、自分自身の中にある「悪」や「黒い塊」を見つけ出すことがとて

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『罪の声』塩田武士を読んで、家族の大切さを知る

『罪の声』塩田武士を読んで、家族の大切さを知る

この作品は、まるで熟練の職人が仕立ての良いオーダーメイドのスーツを仕上げるように、丹念に書かれている。

誰もが知っているグリコ・森永事件を徹底的に調べ上げたにもかかわらず、惜しげもなく余分を切り捨てて、骨子だけを残している。

そして、作者の手による肉付けと精巧な装飾により、全く新しいストーリーとなっている。

事件を知らない若い読者にとって、それは疑いようのない真実となり、事件を知っているもの

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