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冷静さと論理的議論のその先に。

語学学校とのトラブルが、やっと、やっと片付いた。

10月末、通っていた語学学校で質問すると先生に笑われるという、不思議なトラブル発生によって挫折し、語学学校にクラス替えを依頼したところ、謝罪のメールやらが届いて一件落着と思いきや、受講再開には未消化分を受けるだけでも追加料金が必要と言われ……海外生活でフサフサをしっかりとまとった心臓を駆使してさらなる議論を重ねること約3週間、今度こそ、今度こそ解決したと思う。

先日記事にもしたけれど、

・結局、先生にはどのような処罰がくだされたのか
・もし口頭で注意程度で終わっているのなら、私に課せられた追加料金とは不平等に見える
・なぜなら私は先生の態度によって学習機会を逃しているうえ、追加料金を求められているから
・これだと実質すべてこちらの責任だと判断したように見える
・もしそうでないなら、追加費用については再度検討してほしい

フサフサの心臓より

このような内容を再度語学学校に送らせてもらった。
これは「今回の件を対したトラブルだと思っていなくて、先生に処罰すら与えていないのなら、私に対する追加料金はこちらばかりがペナルティを与えられてるみたいでフェアじゃなくない?」という内容で、超訳すると「先生の処罰を軽くしてるなら、こちらも大目に見てくれてよくない?」ということを言っている。

この内容でメールによって、もう一度学校側が再考してくれたらしい。

その結果、追加料金無しで事前に支払っていて通っていない分は振り替えたコース期間中に通学して良いことになり、全て通えば修了証明書も出してくれることになった。
正直語学は身についてなんぼだと思っているので、証明書はどちらでもいいのだけれど、この学校にとっては大切なもののようなので頂いておこう。

最近出会った気になる子供服「TOKYO//JPN 横浜」
目の感じは、あの麦わら帽子を被った海賊にも見える。
目の下に書かれてる「1997」って連載開始年なんだよな…


色々な国から生徒を受け入れる語学学校は、似たようなトラブルが今までも度々起きているだろう。実際それで差別だなんだと怒りをにじませた口コミをGoogleに書いている人もいたので、似たようなトラブルがまったくないとは思えなかった。

だから今回のことで先生が処罰されるような大きなダメージを受ないのもなんとなく推測できていた。十数人いるクラスで1人からクレームが出たくらいで減給やら免職をしていたら、先生が何人いても足りないだろう。

今回のことも「ちょっとトラブっちゃったねー、先生ドンマイ!」くらいで処理しているのは想定していたので、処遇を確認しながら「こちらだけ苦汁をなめているなんてことはないよね?」という指摘をしたわけだ。

先生の処罰についての返答はなく追加費用がいらなくなったということは、やはり先生は事情を聞かれて注意を受けたくらいなのだろう。
それはそうだろうなと思う。
もし私が学校側の人間でも、同じくらい対処で済ませる。

異国・異文化を越えての推測なのでどうかな……と少し心配な部分もあったが、読みが当たっていたようでホッとしている。
読みが失敗すると、追加での支払いを正当化してしまいかねない論法だからだ。
先生も大した処罰もなく無事そうで何よりである。

この内容以外には、こちらもこれ以上先生を追及したり差別だと騒ぎたいわけではないという意味で、今回のトラブルは文化の違いによるものであると認識していること、ドイツへの感心とドイツ語を学びたいという意思、そしてずっとこの議論に付き合ってくれている学校側の方への謝罪と感謝を添えている。それはこの議論をメールで続けている間ずっとだ。


もちろんこれは本心だけれど、こちらがただ怒って感情的に言っているわけではないということを理解してほしいという意味も込めている。
周りへの配慮もできる程度にはこちらにも余裕がある、というアピールだ。
先生ややり取りをしている人を責める姿勢を見せれば、向こうもそのつもりで対応してきてしまう。
行間を読むという文化が無い、もしくは同じ文化圏ではないところでは察しを期待せず、丁寧に文章を作っていく必要がある。

そして、どっちが悪いとか勝ち負けではなく「前向きでお互いにベターな落としどころを見つけたい」という気持ちを伝える必要があると思ったのだ。

だいぶ予防線を張りながら慎重に話を進めることになったが、学校も対応する姿勢になってくれて本当に良かったと思っている。

「FEARLESS GENERATION CLOTHING(恐れ知らずの世代の服装)」
「TOKYO//JPN 強さ」

最終的に学校側が、どのように解釈してこの判断になったのかはわからない。

「コイツまだ議論を続けるきやぞ…」と恐れられて向こうが折れたのかもしれないし、結果的にめんどくさい生徒(客)として特別対応されているかもしれない。
いずれにせよ今回の対応は、論理的に主張していないと受けられなかったことだと思う。

同じレベルのクラスにこれ以上授業料を払いたくない、というのもなくはなかったが、どちらかというと言われっぱなしになるのだけは嫌だという気持ちが強かった。
むこうにルールがあるように、私にもそれなりにルールがある。
それが対立したとき、必ず向こうのルールに従うという道理はない。
仮にこちらの要望が叶わなかったとしても、自分が納得できるところまで、ちゃんと話をしたいと思った。
自分が一歩引いたくせに、対応に納得できなくて周りに文句を言うような人にはなりたくなかった。


そして結果的に、私の主張を向こうが許容できる限り受入れてくれたのは事実だ。
ワードで日本語の文面を作り、翻訳ツールで作った英文で議論していたと考えれば、十分な結果が得られていると思う。
昨今の翻訳ツールの精度には本当に感謝している。

そしてこの国は、理論的に主張をすることの大切さを気付かせてくれる。
日本よりも感情的になることを忌避している感じがあって、怒ったら負けみたいな雰囲気を感じる。感情的になると、一気に相手にされなくなる感じがある。
今の私には、Googleにあった学校に対する怒りの口コミは、まさにそれで相手にしてもらえなくなった一例のようにも見える。


日本は感情的になったほうが融通がきくこともあるので、やっぱり違うなと感じる。怒鳴って言うことを聞かせようとする人にとって、ドイツはかなり生きにくい国なのかもしれない。


少し前にアメリカのアカデミー賞で、妻が酷いジョークのネタにされて司会者を殴ってしまった俳優がいた。アメリカの世論やアカデミー協会は酷いジョークを言った司会よりも、俳優が暴力をはたらいたことに対して処罰した。彼は協会を脱退になり、色々な社会的な制裁を受けた。

日本のSNSではそれを見て「どうしてヒドいことを言った方を処罰しないのだ」という意見が多かったように思う。

私も「なんで?」と思う一人だった。
(最近色々と別の論争も出てきているけれど)大切な人の悪口を世界中の人が見る祭典で言われるのは、どんな人だって我慢できることではないだろうと思った。

でも今回のことを通して、そういう処罰になった理由が少しだけわかった気がした。どんなに煽られても、差別的なことをされても、激高したり手を出したら負けなのだ。
怒りのまま動かず、自分を怒らせた人がどれだけ自分にヒドいことをしたかを理解させる、そしてその人の罪に対して冷静に追及することが「正しい行動」という概念が、アメリカを含む欧米でかなり定着している。

なんならそういう他人の過ちを受け入れ、己の器の大きさを見せることが正解のようにすら見え、財力や地位を持つ人はそうすべきであるという雰囲気すら感じた。
仮に地位や財力がそこそこでも、そういう振る舞いをすることが「立派な人間の証」という部分もあるような気がする。

これは日本でたまに言われる「有名税」などともまた少し違う趣があって、どちらかと言うと「ノブレス・オブリージュ」などに通じる考え方なのかもしれない。高い地位につく人が背負う、責任みたいなものだ。

そこが件のアカデミー賞問題の、日本とアメリカでの反応の違いに表れているような気がした。


そんな雰囲気もありながら、結局感情のままに行動する人は多いし、最近はヨーロッパもアメリカも、過激なデモや暴動が起きたり容赦ない差別も横行したりとなかなか色々起きている。本音と建前というかなんというか……なんともダブルスタンダードなのだが、とはいえ欧米の文化の根底に根付いているように思う。

それがキリスト教などの宗教の教義をベースとしているなど、どういう経緯でそういう雰囲気になっているとか、詳しいことはわからないのだが、多分何百年も昔から当たり前に存在していた考え方なのだと思う。

今回はそれを身をもって知る機会だったので、いい経験ができた。
ドイツという自分にとってはよそのフィールドに来ている以上、そのフィールドでの生き方や戦い方を知るのは価値があるし、実践できるのは自分の糧になるだろう。

「IMMENSE POWER(計り知れない力)」
「Don't mess with me!(私をからかわないでください!)」
「//勇敢(勇敢)」

次に語学学校で授業を受けるのは来年の1月。
授業が始まったら始まったで、波乱の一つや二つはありそうだが、それまでは心穏やかに過ごしたいと思っている。

ドイツや海外生活の楽しいところや良いところばかりを書くのも少し違う気がして、あえてこういうトラブルのようなことも書いてきた。
とはいえ、長期戦になってしまったので思ったよりも記事が多くなってしまった。
暗い話題が続いてしまい、自分も心苦しかった。
けれど、これを書き残しておいたことで、ドイツ国内に限らず似たようなことに見舞われた人が、思い切って意見を言うきっかけになれば嬉しい。

解決のカギは「冷静」でかつ「論理的」にだ。
へりくだる必要はない、器の大きい人に見えるように立ち回ることが大切だ。


そして、今回の一連の件で励ましの言葉や応援の言葉をかけてくださった皆様に、心から感謝しています。
本当にありがとうございました!

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