ドイツ暮らしで「人に優しく」の前にした方がいいことが見えてきた。
ドイツ生活を始めてまもなく4ヶ月になる。
まだまだできないことや慣れないことばかりだけれど、少しずつ生活が落ち着いてきたように思う。
そんななか、ドイツに暮らしていて最近なんとなくわかってきたことがある。
ドイツの人はいい意味で自己中心的な人が多い。
自己中心的というか、「 自分第一主義 」みたいな感じだろうか。
家族や友人など周りの人も大事にしているけれど、何よりも自分を大切にしている感じがする。
「自己中心的」とか「自分第一主義」などというと、日本人としてはあまりいいイメージがないと思う。
自分のことしか考えていなくて、自分の欲望や都合のために周りに迷惑をかけても気にしない。俗に言う「利己的な人」みたいな印象があるからだ。
もちろんそういう人もいるのかもしれないけれど、私が関わる近所の人たちの「自分第一主義」は「利己的」とも少し違うような気がする。
それを感じる身近なことと言えば、近所の住人間での挨拶だ。
ヨーロッパだと挨拶は「自分は怪しい者じゃない」と伝えるための手段という側面があって、スーパーでも衣料品店でも挨拶されたら挨拶を返すのが一般的になっている。
私の住む住宅街はアジア人の割合はかなり少なく、ほとんどがゲルマン系の人たちとアラブ系の人たち。
言葉が通じないご近所さんという立場もあるので、「怪しい者じゃないです、住人です」と示す意味も込めて積極的に挨拶をするようにしているのだけれど、同じ人でも返事が返ってきたり返ってこなかったりする。
近所の人の挨拶の返答率が、日によって違うのだ。
どうやら返答率の変動は、その日の気分が影響しているらしい。
笑顔まで添えて挨拶を返されるときもあれば、思い切り無視されるときもある。無視された時は聞こえなかったのかなとか、何かしただろうかと考えたりもしていたけれど、後日何事もなかったのように普通に挨拶をしてくれたりするので、こちらのせいではないことがわかってきた。
日本人なら自分の体調や機嫌よりも「せっかく相手が挨拶してくれているし」とか「ここで無視して、噂が立っても嫌だな」などと思って、無理にでも挨拶するだろう。
でもこの国の人たちこういうところでも、まずは自分のその時の気分が最優先になっていて、自分が無理をするようなことはしない。
逆に自分の機嫌が良く、心に余裕があるときはいつもより笑顔で返してくれるしちょっとしたジョークまで話してくれたりする。(身振りでなんとなく理解する)
近所のスーパーの店員さんたちも、どこかイライラと商品を補充しているときもあれば、ほとんど言葉の分からない私に買い物の仕方や野菜の種類を楽しく教えてくれるときもある。
つまり自分の心の余裕に合わせて「 自分第一主義 」にも「 利他的 」にもなるのだ。
こうやって書くと「なんて気分屋な人たちなんだ」と思う人もいるかもしれない。でも、気分や感情が常に一定な人なんているのだろうか?
まったくいないということはないだろうけれど、あまり多くは無い気がする。だから感情コントロールについての本が沢山出版されているのだろうし、私も自分の感情の波に度々悩まされていた。
でも、ドイツの人たちは自分のことを最優先にするかわりに、自分の感情が負に振れたときも、自分の状況を最優先に解決しようとする。
つまり、「 自分の機嫌を自分で取るプロ 」が多いのだ。
「 自分の機嫌を自分で取る 」ということは、客観的に今自分の身に何が起きて、それに対して自分はどう思って、どういう感情になったかを冷静に見ていられるということ。そして自分の機嫌を良くするための方法も、ある程度理解しているということになる。
正直これはかなり難しい。
私もそうなのだが、他人や周りの情報によって感情の波風が立ちやすい人にとって、自分の機嫌を取ることほど面倒で難しいことはない。
そういうことがうまくいかないままひたすら沈んでしまうこともあるし、他人に当たり散らす人もいる。
日本の駅やお店で一方的に騒ぎ散らす人たちなんて、自分のメンタル管理ができない人が大概な気がする。
自分の中だけで解決できず、周りを巻き込んで気晴らしをしようとする人が出てくるのは、それだけ自分の機嫌を自分で取ることが難しいからなのだろう。
もちろんドイツの人だって友人や家族に相談する人もいるだろうけれど、自分で解決することが当たり前となっているからこそ、まずは自分の心や気分の修復を最優先にする。
私が挨拶をして無視をするのは、機嫌が悪いか忙しいか……いずれにせよ自己修復中で返答の余裕がないと考えて良さそうな気がしている。だから回復した時は何事もなかったかのように挨拶ができる。
「 自分を最優先して周りを無視する 」とだけいうと自己中心的に見えるかもしれないけれど、自分の機嫌や調子の改善を他人任せにしないと考えるとどうだろうか。
私にはそれが「自己中心的」ではなくて、「 自立 」しているように見える。
制御しきれない自分の感情のせいで周りに迷惑をかけるよりは、よっぽどいいことな気がする。
まずは自分は自分だけで立てるようになる。
自立したうえで気持ちに余裕(余剰)ができたら、
それを使って他人に還元する。
この考え方が、ドイツでは誰かが言わなくてもいいくらい生活に浸透している気がする。
そして各々自立しようとしているからか、他人の余裕を奪う人や、優しさを執拗に求めるような、いわゆる「エナジーヴァンパイア」のような人もそこまで多くないようだ。
「 ひとりひとりがしっかり立っていれば、助けが必要な人が少なくなる 」ということなのかもしれない。
日本でもこの考え方はあるにはある。
でも周りを気にしてしまってつい無理をしてしまったり、すでに苦しいのに誰かのために何かをしようとしたり。結局周りにばかり優しくして、気づいたら自分がボロボロになっている、という人が結構いると思う。
なんなら自分と同じように苦しんだりボロボロにならない人を妬む人さえいて、自分のいるぬかるみのようなところへ引きずり込もうとする人もいる。
そんないざこざの上にある「優しさ」ってなんなのだろう。
自己犠牲をし尽くし、ボロボロになった人が差し出した「優しさ」を喜んで受け取れるだろうか?
気にせず受け取れる人もいるのだろうけれど、そんなことができてしまう人に、身を削ってまで優しさを分けてあげる必要はあるのだろうか?
私がもし優しさを分けてもらえるなら、そんな誰かの自己犠牲の上にある「優しさ」はほしくない。
まずはその人が苦しまない状況になってほしい。自立して、心身ともに健やかであってほしい。
自分で自分の機嫌を取れるようになって、心に余裕を持つ人が増えたほうが、周りに迷惑を掛ける人が減ると思う。ひいては社会にいい影響を与えるのではないかとすら思っている。
そういう意味でも、自分を大切にしてほしい。
先日友人から「優しくしてくれる人のところにいくことを、” 自分だけ逃げている ”ように感じてしまう」という話を聞いた。
酷い環境の中で頑張っている人が、それだけたくさんいるということなのかもしれない。
私も今までそういう感覚を少なからず持っていたし、苦労する人たちをたくさん見てきたからこの気持ちはよくわかる。
でもそういう状況ならばなおのこと、まずは自分を大切にしてほしい。身体も、心も。
「人に優しくする」「誰かのために頑張る」みたいな利他的な精神は、自分が自分らしく自立できるようになってから持っても遅くない。
そして自分が保てなくなると思ったら、まずは自分の心身の修復を最優先にしていい。
自分の心と身体と一生付き合うのは自分だけなのだ。
そういう意味でも自分の管理が自分ででき、メンテナンスにも慣れていることの方が絶対に価値がある。自分の感情や性格を抑え込んだり変えたりするのではなく、受け止めて理解して上手な使い方を考えるのだ。
ドイツにももちろん例外的な人はいると思う。
今回の旅で、そういう人にも出逢ってきた。
でも、少なくとも今まで私が生きてきた中で1番、落ち着いていて人を助ける余裕がある人が多い。そして身の回りのことに一定の当事者意識を持って行動に起こせる人も多いと感じられるのがこの国だ。
私はまだ周りの人たちほど自分の機嫌を取り切れていないのだけれど、ドイツで暮らしている間に身に着けておきたいスキルだと思っている。
今までは「自分のダメな性格をどう変えてやろうか、どう抑え込むか」とばかり思っていた。でも今は「受け止めた上でどうしようか?」「どう使うと今より価値が出そうか?」みたいな考え方ができている。
そう思えるようになったのも「自分第一主義」であり、優しい周りの人たちが良いお手本になってくれているからだと思う。
自分の機嫌を取るのが上手になると、心に余裕がある時が増えて、人に優しくできる機会が増えるのだ。
自分もそういう人たちの一人になって、いい影響を与えられる人になっていきたい。
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