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ポートフォリオ(書いたものと賞歴)
2023/08/10更新
髙良真実です。賞歴が増えたのでまとめることにしました。合わせてこれまでの紙媒体における執筆情報・活動情報も記載します。
【2017年】
作品
5首連作「鉄筋コンクリートの本棚」今月の新人欄『短歌往来』2017年1月号
7首連作「(primitive) primary school life」『現代短歌』2017年2月号
【2018年】
作品
30首連作「境ふ
礼拝堂にピーヤと響く
教会の朝は早い……のだが、私の朝はそんなに早くない。教会の方は主に小中学生が集まる第一礼拝が朝9時から開催されるので、司会や奏楽や礼拝堂の準備を担っている教会員は8時半ごろには集まっているらしい。かたや私は10時半くらいにもぞもぞ起きて、11時からの第二礼拝に向かう。こちらは高校生以上の大人が参加するものだ。学問上の師匠もそこそこ不真面目なクリスチャンであるが、弟子の私もそれに似たのである。とい
もっとみるペンテコステ、ペンネ・アラビアータ
今年の5月19日(日)はペンテコステ礼拝の日だった。ペンテコステの知名度は低い。かなしいほどに低い。短歌の後輩に「ペンテコステって知ってますか?」ときいたら「パスタの名前ですか?」とかえってきた。パスタはフィットチーネですね。いや、ペンネ・アラビアータかもしれない。私はペンテコステの話をしたいのに、トマトソースのパスタが頭から離れなくなってしまった。デザートにパンナコッタも食べたくなってきた。い
もっとみる語り手たちのアンチテーゼについて:豊永浩平「月ぬ走いや、馬ぬ走い」に寄せて(2)
※小説読んでから読んでほしい内容です。読んでない人は回れ右。
第一印象は、私と、私たちのための文学が書かれていると思った。作中で言及される娯楽が私たち世代のものだからだ。私は1997年生まれで、沖縄の出身で、いわゆるZ世代と呼ばれる2020年代の「若者」である。別に呪術廻戦は読んでいないが、友人たちがそれを楽しんでいることは知っている。作中では高校生たちが楽しんでいる音楽として沖縄を拠点にするラ
金言は金の価値をもつか:豊永浩平「月ぬ走いや、馬ぬ走い」に寄せて
0.はじめに沖縄文学に新しい書き手が現れた。私は那覇の生まれで、ふるさとの大学に通っている作家が群像新人賞を受賞したらしいと聞き、喜び勇んで受賞作掲載号を買い求めた。講談社の『群像』2024年6月号である。小説の舞台は沖縄。たぶん作者の母語は沖縄大和口(ウチナーヤマトグチ)だろう。私もこのピジンを母語とする人間だ。先祖伝来の琉球語でもなく、日本語でもない。哀れな醜い愛すべき我が母語よ。などと某山犬
もっとみる定型モダニズムの動きと前川佐美雄に関する図
ずっと前川佐美雄の『白鳳』(1941)について何か書きたいと思っているのですが、締切りを守るとまた次の締切りが危なくなるという状況で、なかなか時間がとれません。思い入れのある歌集だけにじっくり取り組みたいという気持ちが仇になりました。
ところで今日(2024年1月31日)ぽっぷこーんじぇるさんがnoteで「〈舞台〉に立つ、〈舞台〉を降りる――前川佐美雄『白鳳』私論」という『白鳳』評を書いていて、
2023年12月17日 現代短歌社三賞授賞式 髙良のスピーチ内容
於:京都市内 2023年12/17(日)17:30-
2023年に第4回BR賞をいただきました。BR賞とは書評に対して与えられる賞です。3200字、原稿用紙8枚の分量で、昨年刊行された歌集を対象とする書評を書き、応募します。私は伊舎堂仁の第二歌集『感電しかけた話』(書肆侃侃房, 2022)の書評を書きました。
選考過程と受賞の書評は『現代短歌』2023年11月号に掲載されています。ちなみに第2回
2023年9月22日 短歌研究四賞授賞式スピーチ内容
時:2023年9月22日 17:00開催
於:講談社26階ホール
補足
短歌研究社は主催している賞について例年合同の授賞式を開催しています。本年はコロナ禍による集会制限のため開催されていなかった2020年度から本年23年度までの受賞者が集められ、2時間半にわたって選考委員による講評と受賞者スピーチがありました。
私は昨年2022年度の第40回現代短歌評論賞受賞者です。
なお昨年度まで評論賞の選考
預言は腹に苦い:前田宏による『歌壇』2023年9月号時評「反セクハラに思う」について
預言は腹に苦いと言う(cf.黙示録10:10)。かのプロジェクトも然り。私に然り。彼に然り。私たちのうしろにあって、私たちを押し出す聖霊の働きは、時に驚きと痛みをもたらす。かのプロジェクトも然り。私に然り。彼に然り。
『歌壇』2023年9月号の時評子は、昨今の反ハラスメントに関する流れにつまづいた。時評に使われた紙とインクを憐れみたまえ。
時評子は性犯罪の犯罪性を認識していながら、「現在