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《適当雑記74》2022年1月13日(木)【道徳の授業の思い出】

〚1049文字〛
こんにちわ。入谷です。
皆様は小学校道徳の授業の内容について覚えていらっしゃいますか?。

考え方価値観人によって違い答えが異なるものを教えることは道徳授業の難しさであり、課題であると思いますが、法律や交通ルールのように明確化された基準しか教えられないのが現状なのではないでしょうか。 

『真面目で正直であること』を教えようとすると、『真面目は損をするし正直者はバカを見る』という意見もあって、生徒からそう質問されたら先生はきっと困るでしょう。
社会生活ではその時々によって違う対応をしなければならない場合が多く、子供の頃に教わった、これという正解薄い努力目標のようなものになってしまう。
多様化の問題、変化の目まぐるしい複雑な社会にあっては尚更そうだと思います。

そんな道徳の授業ですが、僕はあまり覚えていません。しかし、ほとんど忘れてしまっている中で一つだけ印象に残っている話があります。

仕事中の事故で片腕を失った高齢男性の話だったと思います。
高齢男性は歩いていて、幼い子供を連れた母親とすれ違ったそうです。
その時子供がぐずっていたか駄々をこねていたかしていて、母親は、何の気なしに高齢男性の失った片腕を指して「悪いことするとあのおじさんみたいになっちゃうよ」と言って窘めたのです。
軽い気持ちだったのかもしれません。
その母親の言葉が耳に入った高齢男性は大変不快に思って怒ったのでしょう。 
片腕を失ったというハンディを克服しようと懸命に生きてきたこともあり、高齢男性は堪らず母親に言いに行きます。 
「私は悪いことをしたから片腕を失ったのではありません。間違ったことを自分の子供に教えてはいけません。今すぐ言い直してください」。

母親は顔を真っ赤にしながら謝罪したそうですが、母親はどうしてそんな表現を使って子供を言い聞かせようとしたのでしょうか?というのが、みんなで考えましょうという設問でした。

その時自分は先生に指されてどう答えたかというと、確か「母親には腕があるから」と答えたような気がします。
先生も周囲も微妙な顔をしていましたが、母親も高齢男性と同じ状況ならそんな言い方で子供を注意しないと思ったからです。

人の気持ちになって考え、自分の言動や考えを顧みる癖を付ける。
過ちを素直に謝罪する。
分厚い教科書や多く授業の枠を取るのではなく、これらをしっかり教えることで十分のような気がします。 

ではでは、ここまで読んでくださりありがとうございました。そして今日が皆様に素晴らしい1日になりますように。。

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