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《超適当雑記110》2022年4月22日(金)【波に乗れず波打ち際を往く】

〚1324文字〛
こんにちは。入谷です。
今日は命の洗濯をして存分にふやけて来ようと思い、千葉県は夷隅の某海水浴場へ行って参りました。 
駐車場にはサーファーの車が並び、ウェアに着替えてサーフボードを持った人たちが波を求めて浜へと次々繰り出していきます。

何枚か写真を撮り、周辺を散策した後、停めた車の中から弾けては流れる白波の様子をしばらく眺めていました。

よせてはかえす波。
解放的な癒しの中にふと、ある疑問が湧き上がってきます。

自分はこれまでの人生の中で、チャンスの波や勢い乗れた時があったのだろうか?。

どうも自分は好機が到来してもそこへ近付こうとせず、現状維持で消極的に背を向けてしまう癖があったように思います。
逃してしまったチャンスを後悔することもなければ、再び来ることを望んでいるわけでもないのです。

とも思いましたが、嘘です。やっぱりアレは未だに後悔してるのかもしれません。

16歳の時、親戚知人を通じて青年誌に連載を持つプロの漫画家を紹介されたことがありました。
当時漫画家を目指していた僕は喜び勇み、漫画家先生の仕事場を見学した後、しばらくトーン貼りや枠線引き、ベタ塗り、ケシ掛けなどの雑用をさせて頂いてました。  
そこで色々と教えてもらいながら絵で食べていくことの厳しい現実を教わりました。
ある時先生は「何か作品を仕上げて持って来なさい」と言います。
これは僕の本気度を確かめるためのテストみたいなものだったと思います。

しかし描いても描いても上手く行かず、ついに僕は何も描き上げることなく、そのまま先生と疎遠となってしまいました。 

たった一つ作品すら仕上げることのできない能力のなさに向き合いたくなく、前年に発症した眼病悪化に対する心配を言い訳に、描くことさえやめてしまいます。 
それから本格的に描くようになったのは10年後のことです。  

その後悔は現在も尾を引いています。
緑内障の進行と絵を描きたいという気持ちは絶妙な相関を保ち、描けるタイムリミットが迫るほどに執着が強くなり、もっと描かなければ、という思いによって、今も突き動かされているかもしれません。
それは、夢を諦めて大人になるという少年時代の積み残しであり宿題なのでしょう。 

途中、隣に止まった車のサーファーのおっさんがケツ丸出しで着替え始めるという、誠に嬉しくないハプニングに遭遇したことで、物思いの旅路は終了しました。
本当の魂の解放はまだまだだいぶ先のように思います。

以下は本日撮影した写真です。
よろしければどうぞ。

どこの海もみんな似たような景色だけど
きっと違った顔を持つ
緑が足りてるんだよね
裸足になりたいけどなれない
真ん中の黒ごまみたいなのがサーファーです
白波トップウォーター
半時見ていても全く飽きません
砂の模様
繊細に作られた自然のカーテンのようですね
原始の海を思わせます
原初の生物が誕生しそうです
全体がフナムシのお家だった
臭くてヌメってて滑った
波の色がやばい
ヤシっぽい木
もっとヤシっぽい木
河口付近
前日の大雨でやや濁り気味
車中から
考え事をしていると1時間はあっという間ですね

ではでは、ここまで読んでくださりありがとうございました。そして明日が皆様にとって素晴らしい1日になりますように。。

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