《適当雑記71》2022年1月10日(月)【見渡せば《普通の人》は一人もいない/成人式や同窓会の思い出】
〚909文字〛
こんばんわ。入谷翔漣です。
今日は成人式ですね。
新成人の皆様、おめでとうございます。
貴重な青春時代をコロナに奪われ、折角の晴れ舞台の集まりが制限されるのは、若者にとって非常に残念なことと思いますが、オンライン同窓会なるものもあるようなので、小中高の繋がりは寧ろ以前より強固に保てるのではないかとも思います。
自分の成人式と言えば、当時の捻くれた考えから出席しませんでした。
中学時代に発症した眼病で高校選択もままならず、皆と自分が違うことに引け目を感じて行きたくなかったんですね。
当時は普通じゃないから恥ずかしいとか気に病み、良くも悪くも普通であることに拘っていた時期でした。
それでも友達には会いたくて、式の後の二次会には参加したわけですが、そこで同級生たちの近況を聞き、自意識過剰だった自分に気付かされます。
友達の一人はのっぴきならない家庭の事情で一人で暮らしていましたし、
浪人して有名大学へ進学したものの挫折して病んでしまったり、兄弟と協力しながら親の介護をしていたり、授かり婚してすぐ離婚して慰謝料問題で大変だったり、皆、大なり小なり問題を抱えていて、えっ、あの人が・・!?という意外な人生を送っている同級生も多くいました。
そんな風に誰しも希望通りの人生を歩めるわけでもない。未来は常に予想外。それを何となく解ったのが成人式の後でした。
変化の幅が狭い、皆が守られて同じレールの上を歩く高校までと違い、社会人以降は個々の人生の色がさらに顕著に現れます。
仕事や人間関係の悩み、結婚生活や子育ての家庭問題、経済的な問題、親の病気や介護など、皆必ず何かある。
自分の病気体験も10代20代のうちは珍しいものとして扱われましたが、30歳頃の同窓会では、そんな大したことでは最早なくなっていました。
それまで自分がどこが可哀想な人間だと思っている節がありました。
しかし全然そんなことはない。
見渡せば《普通の人》など一人もいないのです。
成人式や同窓会をきっかけに普通という言葉の呪縛から解放されたという話でした。
ではでは、ここまで読んでくださりありがとうございました。そして明日が皆様にとって素晴らしい一日になりますように。。
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