見出し画像

409.人ってね、誰にでも、自分にだって、照らす光があるんだよ!

(21)負けない心

1.人ってね、誰にでも自分にも、照らす光があるんだよ


人って、誰でも人に対しても、自分に対して「光」を持っているんだよ。

 その光はね、輝く時もあれば暗く沈む時もある。

そして、その光は自分自身の力で輝き、沈ませることもできるのさ。

でもね、自分をどこまで光り輝かすことができるのかなあ?

光って、明るさであったり、自信であったり、光は、光あるところに虫が集まるように人も集まってくる習性があり、虫も人も暗闇からは自然と離れてしまうもの。

光は、光あるところに花が咲き、光あるところの水の流れには輝きを与えてくれる。このように光あるところから暗闇は去り、人も動物も植物も、すべてのモノは反射しあい輝きを増す。

 

ある人は、もう光ることなど出来ないと諦めている。

でも、光ってね、光り輝こうと思わぬ者には光り輝くことができないようだ。

人は誰でも自分に対して「光」を持っている。

光には、光を呼び込む力があるんだよ。

 

さて、私たちの回りにはどのくらいの光を輝かせている人がいるか調べてみてみない?
光る人の特徴はね、自らが光を放ち、決してへこたれず、前へ前へと進み、光は光を呼びこんでいることが感じていると思う。

だからね、諦めないで光って見ない~

©NPО japan copyright association Hiroaki

2.強さの原理「自分を信じる本当の意味」


よくね、「自分を信じる」という言葉が使われているけれど、本当の意味を伝えているものが少ない気がする。
だからといって、ここでいうところの「信じる」という言葉は「神を信じよ」とか「信じる者は救われる」などという宗教用語ではないよ。
(coucouさんは信じていない~)

また、この言葉は逆に、神を信じない者にむけられる言葉といえると思わない。(信じていないと思うから「信じよ!」というわけだから、最初から相手を否定している言葉なんだもの)

それに、自分を信じられぬ者が神を信じることができる訳もなく、
この言葉には矛盾を感じてしまうcoucouさんだ。

でもね、
「なぜ自分を信じるの?」
「なぜ自分を信じなければならないの?」

この言葉の本当の意味はね、『決して自分を低く評価しない』ということなんだよ。

つまり、決して自分を必要以上に責めたり、悪く思ったりしないこと、誤りは誤りで修正しなければならないけれど、自分を必要以上に悲観させてしまったり、罪意識をもたせないという意味なのさ。
(それが信じるってことさ)

人って、その自分に疑いを持ったり、自分を信用することができなくなったりすると、自信を失い、自分の評価を低く感じてしまうもの。

だから、何かあると「自分はダメなんだ!」「自分には無理だ!」「自分は人より劣っている…」などと自分に言い聞かせ自分を低く評価してしまうんだ。(coucouさんにはわかるんだよ~coucouさんは自分を低く評価する達人だからさ)

そして、必要以上に自分を責めたり、悩んだり、自分のことを悪くいい、責めることと反省(修正)することを勘違いしてしまうんだ。

 

良い例で、スポーツ選手がこんな言葉をよく口にするよね。
「勝つと信じている!」
「できると信じている…」
「走れると信じていました」
「これだけ頑張って、これだけ努力したのだから必ず勝てると信じていました」この言葉の裏側には、強い信念があり、決して悲観的になる言葉ではないよ。

自分はダメだ、と思ってリングに上がる者は果たして勝負に勝てる?

このように信じる意味を知り、信じる力は強さ、パワーといえるのがわかりると思う。

©NPО japan copyright association Hiroaki

3.追いつめられる前に動く


追い詰められる人って、追いつめられなくとも、同じセリフを吐くんだ~
追い詰められれば、追い詰められるほど、不思議なことに誰もが同じことをいう。

そのセリフは、『時間がなかった』『時間が足りなかった』と追いつめられると時間の所為にする。

でもね、本当に時間はなかったのかな?
本当に精一杯、一生懸命に努力をしたのかな?

たしかに時間がなければ追いつめられてしまうよね。
そして、それを時間の所為にして物事が解決するのなら、別にそれでも問題はないのだけれど、現実には時間の所為にしても解決しないのならば、まず理由はどうあれ、何よりも優先してその問題を解決しなくっちゃね。
さらに、それを解決するためにはその原因を明確にしなければいけない。

本当の反省(修正)って、その問題を解決したらくり返さないことで、ただ反省し自分を責め、悲観することではなく、後ろ向きでもなく、自分にとってプラスで前向きなものなんだ。

『人は追いつめられたら動く、追いつめられてから動く』のではなく、

『人は追いつめられる前に動く、追いつめられなくとも動く』ことさ。

そこでね、こんな考え方もいいと思う。
それはね、追いつめられなくても、追いつられたように動いてみたらどうかな?

極論かもしれないけれど、追いつめられなければ動けなくなる習慣よりも、追いつめられなくても動く。
実は動き続ける習慣という努力の積み重ねが、追いつめられたときの強さに変わるんだよ。
そして常に追いつめられないようにすることが、すべての問題解決につながるはずさ。

つまりね、「追い詰められる楽しさを味わう」ことなんだ。

このように私たちの生活や仕事の中には、
いつも追いつめられている人たちがいるよね。
別に誰かに責められたり、怒られたりする訳ではないのに、追い詰められている。それって、なに?

「まあ、あとでやればいいや」

「まだ日数がある」
「まだ時間がある…」
「明日やればいいや…」

そして、すぐに時間は過ぎてしまう。
ちょうど子どもの頃、夏休みの宿題を学校の始まる前日の夜遅くまでやっているのと同じ状態だよね。

やっぱり、追いつめられれば、雑になるし、誤りも多くなるし、やり直し部分も目立ち、ミスが多くなってしまい、あんまりいいことは少ない。

何よりも追いつめられれば自らが苦しくなってしまい、自信を失い、弱くなってしまうんだ。

するとね、このように心が収縮してしまい、弱ってしまうのさ。
誰とも勝ち負けの勝敗や競争なんていらないけれど、何よりも、これじゃあ、自分の心に負けてしまうのさ。

©NPО japan copyright association 

coucouさんです~
みなさん、ごきげんよう~
地上は暑いね~
蝉さんたちは、あらん限りの力を振り絞って泣き続けている。

ねえ、みんな~
noteの世界って不思議だよね~
きっとcoucouさんだけじゃあないと思う~

coucouさんはね、たくさんのみんなの作品を読み続けている。
もちろん、ただ読むだけの場合もあるけれど、好きな作品にはスキをする。ただ、スキ制限が邪魔をするけれど、いいものはいいよね~

(片思いもたくさんあるけれど、気にしない~いいものはいいね~)

そこでいつも発見することがあるんだ。

それはね、coucouさんが求めていた言葉、必要とする言葉に出会う楽しみがあるんだ。
もちろん、それを共感というものなのかもしれないし、クリエイターさんたちが意図していない部分に感じたり、と様々。

でもね、そこにはヒントがたくさんあるんだ。

もちろん、文章が優れているとか、素晴らしい内容だけじゃあない。
どんな作品の中にでも大切な言葉が潜んだいる。

これって、この出会いって奇跡かもしれないよ~

何ったって、嬉しい出会い、感動の出会い、喜び、幸せの出会いとなるからね。
あ~あ~文章って中身だけでなく、
言葉と言葉の出会いも素敵な出会いかもしれないね~

人は簡単に言葉で傷つく場合もあるけれど、その言葉でどれだけ人は支えられて、救われているのだろうね~

だから、ノートって素晴らしいし、
「ノートに神さま」がいるんだよ~



(1378) Greensleeves - YouTubeより

この歌は、映画「西部開拓史」の中の家族が歌い続けた曲です。未開の地に開拓団として訪れ、様々な苦境と哀しみを乗り越えながら、このグリーンスリーブスを歌い続けます。coucouさんが中学生の時に見た映画でいまも忘れられない名曲の一つです。歌詞には著作権があり、coucouさんなりの独自の翻訳(創訳)でまとめたものです。

Greensleeves

My men were clothed all in green
And they did ever wait on thee
All this was gallant to be seen
And yet thou wouldst not love me.

わたしの部下たちははすべて緑に身を包み
彼らはあなたを待ち続けた
それらのすべてはたくましく勇敢だった
だけど、あなたはわたしを愛してくれません

Thou couldst desire no earthly thing
but still thou hadst it readily.
Thy music still to play and sing
And yet thou wouldst not love me.

あなたは地上にあるものを望むことはできなかった
それてせもあなたはそれらを手に入れようとする
あなたの音楽はいまだ演奏され、歌われ続けている
だけど、あなたはわたしを愛してくれません

Well, I will pray to God on high
that thou my constancy mayst see
And that yet once before I die
Thou wilt vouchsafe to love me.

わたしは天高いところで神に祈る
彼女がわたしの忠誠に気付いてくれるために
だから、せめてわたしが死ぬ前に一度だけいい
彼女が私を愛してくれることを

Ah, Greensleeves, now farewell, adieu
To God I pray to prosper thee
For I am still thy lover true
Come once again and love me.

ああ、グリーンスリーブスよ、さようなら
神にあなたのの繁栄をに祈り続ける
わたしはいまもあなたの本当のの恋人なんだもの
もう一度ここに来て、私を愛してください

            「Greensleeves」創訳 coucou


さて、coucouさんの大好きな「ノートに神さま」30番目(順不同)の神さまのご紹介~英語ができるって素晴らしいね~
ミウラカエラさんの言葉も自分で作って英文にしている。
coucouさんはね、辞書と翻訳機に頼っている。

MisaTKさんのnoteはインターナショナル~英文と日本文のコラボ~
coucouさんの英語教室のようだけれど、MisaTKさんの映画や音楽の紹介にはいつも覗き込んでしまう~
もしかするとシニアだから同世代か少しばかり先輩かなあ~

coucouさんはね、随分と励まされている~
勝手なご紹介お許しくださいね~

coucouさんのGreensleevesは恥ずかしい~でもね~
(映画内容をイメージしたcoucou創作)、

MisaTKさんのマネをしてみました~

いつも応援ありがとうございます~

MisaTKさん

MisaTKさんの言葉より

シニアです。 いままでの経験や思いついたことを綴ろうと思っています。 よろしくお願いします。

©NPО japan copyright association 


coucouさんのホームページ登場~本のご案内もあるよ~

Production / copyright©NPО japan copyright coucou associationphotograph©NPО japan copyright association Hiroaki
Character design©NPО japan copyright association Hikaru


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?