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439.みんな、coucouさんみたいな人間にはなってはいけないんだよ。【負けない心・最終50回記念】

(50)負けない心

1.みんな、coucouさんみたいな人間にはなってはいけないんだよ。


coucouさんです~

みなさん、ごきげんよう~

今回で、「負けない心」の最終回となりました。
ここまで読んでくれて心から感謝申し上げます。
1作、1作を読み切り、読み捨ての完結のシリーズだったけれど、coucouさんはね、楽しみながら書き続けた。
だって、こんな駄目な、失敗者、敗北者でもあるcoucouさんの生の体験から出てきた言葉だから、少しばかり、真実味を感じてもらえるかと思ったんだ。

だってね、成功者の話は本屋に行けば売っているし、そんな情報って誰でも簡単に手に入る時代。でも、意外と失敗者、後悔の固まりのようなcoucouさんみたいな変な奴の情報って少ない気がしたんだ。

この「負けない心」で伝えたかったことはね、

成功には、ある一定のリズムと法則がある。
Success has certain rhythms and laws.

失敗にも、ある一定のリズムと法則がある
Even failure has a certain rhythm and law

ということを伝えたかったんだ。そうすれば、coucouさんみたいな変な苦しみや不必要な悩みが無くなるかもしれないという期待と不安の中でのお話にしたんだ。

coucouさんはね、19歳で独立して何も知らないままこの社会で生きて来た。当然、会社経験なんてしたことがないし、今でもフリーター(自営)なんだ。
つまり、雇われたことがない…。
だから、その分、信じられないほどの遠い道、遠回りと失敗の連続、繰り返し。
そのためにたくさんの人を犠牲にしてしまったし、たくさんの人を傷つけた。もちろん、家族だって、友人や兄弟も全部壊滅してしまったんだ。

世の中にはね、修正不能、やり直し不能、生きなおし不能なんだと信じた。苦しくて、苦しくて、誰かに救いを求め、誰かに支えてもらいたくて、さまよい続ける心。神さまなんて信じたことはないけれど、信じてもこの世には「人間が造り上げた神さま」しかいない。
そして、自分のことも、誰のことも何も信用できないくらい追い詰められ続けた。

いつも泣き続けていた…。

だけどね、頑張って、頑張って、頑張り続けた。
だって、能力がないのだから、ただ頑張る以外に道はないと信じたからね。

でも、失敗と、後悔の連続。

coucouさんの父は「よく生きていてくれた…」「…このまま死んでしまうのではないかと思った…」

そう、こんな言葉を吐かせてしまったcoucouさん。

もし、目の前でもがき苦しみ、はいつくばっている我が子を見続けていた親にしてみれば、親の立場から見れば、こんなに苦しみを与え続けてきた子どももあまりいない気がする。
そう、助けたくとも、助けれない。
誰もどうすることもできない、こんなに苦しいことはない。

そして、何もかも失ったcoucouさんは、ある発見をした。それが成功のメカニズムと、失敗のメカニズムだったんだ。

するとね、

失敗しないための、ある一定のリズムと法則。
A certain rhythm and law for not failing.

成功させるための、ある一定のリズムと法則。
A certain rhythm and rules for success.


、がわかるようになったんだ。
そう、ただ我慢して、我慢し続けて、努力して、努力し続けて、働いているだけでは意味がない。大きな誤りを発見した。

それが、この「負けない心」の内容だった。
この内容はすべてcoucouさんが思っていても、頭でわかっていても行動できなかったものばかり。

そして、何もかも失ったcoucouさんはね、それから10年の時を超えて、今までの考え方、思い方、思い込みの間違いに気づいたんだ。ものすごい遠回り。なんと生まれてから50年という歳月を必要とした。

そうなんだ~

この失敗って人の役に立つということをね。

失敗って、もしかすると成功するためのメッセージ、道しるべだということがわかったのさ。だから、若手の経営者、商工会議所、倫理法人会、商店会、起業家さんたちの前で、coucouさんの馬鹿な生き様を話すようになったんだ。

そう、失敗しないための、ある一定の法則とリズムをね。

そして、この「負けない心」シリーズのほとんどが講演会、講座、卓話などで現在も話し続けている内容なんだ。

そう、ビジネスだけでなくて「心と身体と経済」は三位一体のもの。そして、その結果が家族の幸せであって、家族の幸せがこの三位一体となる大切な根幹だということを伝え続けている。

coucouさんみたいになってはならないからね。

©NPО japan copyright association Hiroaki


2.自分を正当化すると何も見えなくなる


よく、こんな人を見かけるよね。

それはね、注意され、文句を言われ続ける人のこと。

「私はこんなに一生懸命やっているのに…」
そう自分では思っているのにかかわらず注意されてしまう。

でも、なんで注意を受けてしまうの?
なんで怒られたり、文句を言われたりしてしまうの?
そして、結果、信頼まで失ってしまうんだ。

一体どうしてなの?

会社が変わればこのような事は二度と起こらないと思っていたのに、この会社でも同じことで注意されてしまう。
人が変われば二度と同じようなことが起こらないと思っていたのに、どこに行っても、人がどんなに変わっても同じパターンのくり返してしまう。

これはね、他人からの注意・忠告を素直に受け入れてしまえば良いことなのに、自分を無理に正当化してしまい、相手に否を求め、相手を否定している場合、このように何も気づかず、何も見えなくなるんだよ。

つまり、相手の話に耳を貸さないため、どんな場所でもどんな相手でも永遠に同じことをくり返してしまうのさ。

本来、注意や文句は自分に不足している部分であって、自分が見えない部分、自分が誤っている部分、言われて痛い部分、大切な部分なんだ。

それを気づかないため、どんなに努力しようとも、どんなに頑張ろうとも、どんなに才能があろうとも相手には何も伝わらなくなってしまい、その自分の考えている頑張りなど自己満足にすぎない。

また、その注意・文句(アドバイス)が相手から出なくなった時、それはおそらく信頼をされなくなった時といえるのだろうね。

©NPО japan copyright association Hiroaki



3.日々を通して心理的成長をする


私たちはね、日々の生活や仕事を通して心理的に成長することなんだよ。

「心理的成長」ってね、見えないものを見、気づかないことを気づいていくことなんだ。

人って、無意識のうちに自分の考え方や思い方に支配されてしまう。
(思い込み)
「錯覚」や「勘違い」などはその副産物にすぎない。

このように人のココロ、人の意識はとても不思議なもの。

世の中のすべての仕事は自己表現のある仕事といえる。
自己表現力って、ただ話ができることだけではないよね。
文章や絵や図のように視覚から訴える、伝えるものもある。

自己表現を簡単な言葉にすると「あらゆる方法にて、自分の考えや意志を伝える努力」とも言い変えることができると思う。

だから、別に特別な能力など必要はないし、下手くそな絵や文章であっても心に訴えたり、心を打ったりと充分に相手に伝えることができる。
だから、表現力は上手い下手など関係ないことがわかる。

 

すべての心理的成長の根源は「努力する」「努力し続ける」、ただし伝わらなければ意味がない。このような意味のある努力を諦めてしまったり、面倒臭く思ったり、大変だとか無理だとか、否定すればするほど自分の意識の中に「錯覚」や「勘違い」が生じ、果ては恐怖心や恥意識に変化してしまうんだ。

そして、あとは自信を失っうのさ。

丁度、スポーツ選手が練習・努力を怠れば、不安になって自信を失うのとまったく同じ。すると、自分は自分に負け続け、弱気な自分を成長させてしまうということがわかると思う。

つまり、自分が自分を支配し、自分が自分を破れさせることではなく、自分が自分に勝利させること、それを「心理的成長」というんだよ。

©NPО japan copyright association Hiroaki



4.「負けない心」おわりに


理解する、理解してあげることは「知る」「学ぶ」「発見する」ことで、相手に何かを与えてあげることではないかな?

もし、あなたが、こんなにも愛され、こんなにも心配され、期待され、良くなることを願われ、こんなにも思われ、ありとあらゆるものが与えられ続けていたとしても、それを否定し、それに対し何も気づかず答えられなかったとしたなら、人ってこんなにも不幸で、こんなにも悲惨なことかもしれないよね。(お馬鹿なcoucouさんは、いつもそうだったんだよ~)


自分自身の肉体ですら、自分の気づかぬところで働いている。

自分の肉体は本当に自分のものなのかな?

自分の肉体を自分でコントロールできるものなの?

だからといって、自分で命令したとしても、自分の心臓の音を自分で勝手に止めることはできないよね。

自分の血液の流れを自分で勝手に変えることもできない。

このように自分の肉体はまったく自分の意志では動かないことがわかる。

 

私たちの身体って、身体の調子が悪い時、命令を本人に与えてくれる。
さらに、病気を与えることによって信号を送り気づかせようとする。

風邪を引いたり、身体がだるい時もあったり、眠くさせたりと理解させようと信号を送り続けている。

心が何か空虚になり、苦しい時は、この身体の信号と同じように心からの信号が与えられている時なんだよね。

私たちの回りはいつも信号だらけ、雨の日は嫌だと思う人もいれば、雨の日が好きだという人もいるけれど、それも信号のひとつといえるかもしれないよね。

人も理解されたい信号を相手に送り続けている。

でも、理解されたい、わかってもらいたいという信号を送り続けている限り、相手からの、何かからの信号に気づかない。

だって、信号はね、相手や何かを理解しようとする者のみ受信できるものなだからさ。

©NPО japan copyright association Hiroaki
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5.「負けない心」が、いつの日かそんな信号になるかもしれない。

 最後に、まだまだ続く100年に1度の好機を利用するために。

これからの仕事ってね、いかに他から信頼をされ紹介されるかにかかっている。なかでも、人の紹介というものはとても重要なもので、紹介が仕事を増やす。

でも、人から紹介されても、その信頼を裏切り、迷惑をかけるものには紹介というものはなくなってしまう。

不思議なことでこの「紹介」って、「信頼」=「紹介」とは隣り合わせの親しい関係があるもので、紹介されない人は信頼度のバロメーターといえるくらいのもの。もちろん誰もが信頼できる人だから紹介できるわけだもの。

本来、仕事って、とても原始的かもしれないけれど、紹介が紹介を呼んでいくものなんだ。どんなにAIが発達しようと、ネット販売が広がろうとも、このアナログの人的紹介にはまだまだかなわない。

世の中おかしなもので、この紹介を甘く考え、当り前と思う人が多くなっているようだけれど、結果二度と人に紹介されなくなってしまい、なおかつ信用を失っていく人も多い。

 人はお金を貰えればありがとうと感謝するよね。

でも、人を紹介してもあまり感謝していない。
これって、友だち同士の紹介であっても当たり前のよう。

だけど、その紹介によってわずかでもお金を得たとする。
それでもその紹介者にありがとうという感謝が足らない。

おかしなものだよね。
紹介するってことはそんなに甘いことではないよね。
紹介する者には責任が発生する。
紹介先で何かあった時は当然、文句や苦情が来る。
でもね、文句や苦情を言う人も感謝が足らない。
なぜって、お互いが良い時はお礼すら言わない人が多いからね。

 coucouさんはいろんなところで人を紹介して欲しいとよく頼まれる。
だけど、最近はとくに注意している。上手く行って当たり前、何かトラブルがあるとすぐさま巻き込んでくるんだもの。

よく仕事がないという人、仕事が見つからないと嘆く人ほど逆にいえば、「私は信頼がありません」と公表しているのと同じだよね。

「私には心を打ち明ける人がいない」という人もいるけれど、これも同じ、「私は信頼がありません」と宣言しているのと同じ。

 

先日、ある人を紹介した。
もちろん仕事。
細かな仕事内容はわからないけれど、coucouさんが信頼している者同志。

数日して紹介した両者から連絡があった。

「紹介してくれてありがとうございました。わずかな仕事ですが感謝しています」。

仕事を頼んだ社長さんからも連絡があり、

「3万円ぐらいの安い仕事だったけどやってくれることになって助かったよ!それに良くやってくれた。ありがとう」と連絡がありました。

そして、その数カ月後。
紹介した二人から別々に贈り物が届きました。

一人はおせんべい500円くらい。
(金額の問題ではない、気持ちだよね)

その社長からはなんと商品券を送ってくれました。もちろんcoucouさんは、お二人にお礼と感謝の電話を入れた。

二人にともさらに感謝してくれて、最近とても嬉しかった。

こんな関係はお互いの信頼を強くし、さらにお互いの関係は広がっていくことがわかる。これは紹介された者も、紹介した者も互いの関係を大切にしているからこそできる信頼といえるもののような気がする。

でもね、これとはまったくの逆の人も多くいるけれど、もちろん二度と人は紹介しなくなるよね。ここに紹介という重要なポイントがあるんだ。

 

すべての仕事、すべての相談に「イエス」と答える。
一切の否定をしない。
(どんな小さな仕事でも仕事は仕事。相手はお金を支払う。相談だって同じ、ちゃんと答えられるかどうかでなくて、信頼されているから相談に来るのだからね)

そしてね、むずかしいとか、できないとかいう言葉は相談者(お客さま)を否定することになっているということを知る人は少ないですね。
(まず、聞くことだよね)

また、相手の相談に対して、「こうするべき」「ああしなければいけない」と自分の考えを強要するのも相手を否定だということを知る人は少ない。

このような人には仕事や相談は来なくなる恐れがある。
(ほとんどの人が気づかない仕事ぶり)

 最近はね、なんでも「イエス」でいいんだよ~

でも、なかなかイエスが言えない人が多い。
「むずかしい」とか、「無理だ」とか「ノー」という人が多いようだけど、「ノー」は相手を完全に否定する言葉です。否定すれば二度と仕事や相談は来なくなって当たり前。
(否定って常に相手を傷つけている場合もある)

人はモノもひとつだけど、感謝され、ありがとうと思われることは嬉しいもんだよね。

最近はただ感謝、感謝と挨拶用語になりつつある言葉だけれど、感謝の気持ちを伝えることは様々な方法があるものなんだ。

 この気持ちを伝えることができる人たち。

 100年に一度の大好機を迎える人たち。

「負けない心」の本当の意味はここにあるんだよ。



 

時間のある方は、もう一度最初から見てね。
何かにお役に立つことを心より願っている、coucouさんでした。

 

第50回目の「負けない心」ここで終了致します。
おつき合い心から感謝。

ありがとう~

みんな~


※追伸:次回440回から新シリーズ「(仮題)人生を好転させる方法」となります。おつきあい、どうか、よろしくお願い致します。
                         coucouさんより

©NPО japan copyright association Hiroaki

さて、coucouさんの大好きな、大好きな、大好きな「ノートに神さま」
、59番目(順不同)のかみさまのご紹介~

ももまろさ~ん~
いつも応援、ありがたき~
うれしき~

勝手なご紹介、お許しくださいね。
どうしても、coucouさんの「負けない心」の50回記念でご紹介したかったんだ。

coucouさんもいつも誰かを守り続けた。でも守り切れなかった。
そしてね、自分までも壊れてしまった。たくさんの人たちに怒鳴られ、責められ続け、ももまろさんとは違うかも知れないけれど、這いつくばってゴキブリのように生きて来た。

(ごきぶりcoucouさん、嫌われるよね~)

そう、今度は、今度こそは自分の番。
でもね、もう50年を超えてしまった…。

そんな時に、ももまろさんをノートの世界で知ったんだ。
ノートにはこんな凄い、素晴らしいクリエイターがいた。

冷静で、淡々と、鋭い切り口で、人間と社会の矛盾を指摘し続ける。
人間の愚かさ、哀しさ、愛おしさ。
そして愛に満ち溢れた言葉一つ一つの背後に隠されている、ももまろさんの思い。

ももまろさんも、闘っている~

互いに小さな迷惑をかけあって
互いに許し合うものだと思うんだけどね
         「ももまろさんの言葉より」

ももまろさんは、人を許している~

ももまろさんは、人を愛している~

ももまろさんは、人を信じ続けている~

ももまろさんは、自分を信じようとしている~

そう、猫さんもかみさま~

そう、ももまろさんもノートにかみさま~

ももまろさん~

最終回まで読んでくれてありがとう~

これからも素晴らしい作品を読ませていただきますね~

coucouさんにとって、素敵なクリエイターはあなたです~

刺激をありがとう~

いつも共感してしまいます~

ももまろ˚✧₊⁎ Kakuhito⁎⁺˳✧

ももまろ˚✧₊⁎ Kakuhito⁎⁺˳✧さんの言葉より

ずっと這いつくばるように働いてきて、理不尽な休日を迎えた私は、自分の深淵をみつめる日々が続いた。誰かを守ってきたから、(これからは)私を守りたいと思った。 自分が今できることをコレクションしながら生きてゆく。私だけの足跡を、まだ見ぬ白いページに刻んでゆくよ。

あなたが傷つくことはない
わたしの羽根はまた生えるけど
あなたは気持ちを休ませましょう

あなたが傷つくことはない
あなたの眼から溢れた雫を手のひらで受け
陽のしたに戻しましょう

わたしを大事にしてくれる人を、大事にして
わたしを雑に扱う人は、適当にあしらう
こうやって、誰かとわたしは遠くなる

孤独は、自分達が望んだ習慣の結果

お天道様より、覆面パトカーを気にして
びくびくしながら高速道路を飛ばす

youtubeで目新しい般若心経の動画を探す
不安が募ると、光明真言をつぶやく
スマホのストラップは純銀のマリア様
首にかかるは、真鍮のイエス様
庭には、サカキが雷雨に負けず立っている


言動と気持ちのあちこちは、バイアスだらけ
これが「フツーだよね」と信じる『自分教』

失敗しても、次があるじゃん
無気力でも、次があるじゃん
泣きそうになっても、次があるじゃん
次があると信じる者がいるって神に選ばれたのね

何の神か…そうね、待つ神
あなたもいつか、悲しむ人を待ってください
真っ黒な心の箱には、あなたがいて
箱の壁には「まだかな」って待つわたしが居て

「嫌われているばかりの偏屈」の、ももまろ
嫌われるって勇気は要らないが、疲れるよ

「誰かを嫌う」を深掘りすると
「誰かを嫌う」はわたしの勝手で
勝手な思いで相手を振り回されないようにする
自己消化するのが最善だとずっと感じていたけど

もう、なんなの⁈



©NPО japan copyright association 

 


 Be My Baby

 

Production / copyright©NPО japan copyright coucou associationphotograph©NPО japan copyright association Hiroaki
Character design©NPО japan copyright association Hikaru

 

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