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嫌われ者のわたしが「文章を書く」

学生時代、読んでおいて良かったのが
日本経済新聞の片隅にある「私の履歴書」

多くの財界人や著名人が綴る備忘録
過去の出来事や現在の想いを
「誰かが読んでくれたらいいな」肩肘を張ってない
読み手は
「立派な人も涙で枕を濡らした夜がある」と刺さる

一方、自己啓発本が読まれていながら
飽きられるのは
「あなたに教えてあげるノウハウ」
既視感が散見される文章と
「それが出来ないから苦労するんだろ」

一般人のわたし達が書く文章の刺さり方は
区別があるなら、オリジナリティではないと思う

基本、迷える仔羊や不満・不安を持つ人へ
共感・共鳴で構成されているような気がする
そしてアグレッシブな要素で、差別化している点

時事について書かれた文章を見かける
書き手が、心情を素直に書いている文章は
仮に反対の信条であっても
最後まで読め、言いたいことは伝わる

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わたしにとって素敵なクリエイターは
思考に刺激を与えてくれる人かな

逆に素敵じゃないクリエイターは
書き手に下心があるポジショントークで
心にもない綺麗事を言って
自分の評判を上げようとするゲスさが、自慰行為
すぐに読むのをやめてしまう

更に苦手なのは、主義主張がブレまくって
だけど尊敬されたいのが透ける、スカスカの文章
もはや文章じゃなく、ポエマーだよ
(noteより、他のサイトにいる)

スキが欲しい、読まれたい、書きたいが
明確に分かる文章は、清々しい正直さで好きだわ

きゃらをさんの作品を拝読してのインスパイア

復帰、おかえりなさい
「愛されるばかりが能じゃないだろう」の
きゃらをさんと、正反対にいる
「嫌われているばかりの偏屈」の、ももまろ
嫌われるって勇気は要らないが、疲れるよ

いつもありがとうございます!