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第2話 このまま会社を続けていけるのか?
その日は、11月の毎週の定例会議がある日だった。
退職予定の方は、定例会議のつもりで臨まれていたので、まさか退職計画の話だと思っておらず、僕から、計画の話を持ち出されたときは、とても驚いていた。
僕からは、残ったメンバーで、早く新しい体制を構築したいので、
意思が固いなら、できるだけ早く退職してほしいとお願いし、
年内で退職してもらうことになった。
第1話では、辞められる社員の方々とは、横か
第3話 同じやり方ではもたない、横割り分業制の導入
ベテラン営業社員が大量に退職。
会社は、事務所、自動車など、一定の固定費がかかっているので、辞めた社員へ支払っていた給料が減るからといって、売上が激減していいわけがない。
どうやって売り上げをあげていくか?
残った営業の社員は経験の浅い若手社員ばかりだ。
この仕事は、お庭のコンサルティングのようなものだから、知識と経験がなくては、お客様からご信頼も得られず、案件をいただくのが難しい。
そ
第5話 社員の大量退職から得た、多用な働き方という副産物
営業の大量退職により、やむを得ず行った分業化であったが、気が付いてみたら、新しい働き方という副産物が得られていた。
週休2日で9時から5時まで働くという、いわゆる定時社員という形以外で働いている人が、営業、事務担当、現場職人、総務という各ポジションで発生していたのである。
たとえば、営業は、自分が例になるが、定時では全くない。お客様とは、土日にお会いすることが多く、あとは、事務担当と現場監督に
第6話 僕が起業するまでの話(1) 両親の破産宣告
「なんで大手銀行をやめて造園会社を起業されたんですか?」
と良く聞かれる。
その質問には、いつもだと、「銀行を辞めよう」と思ったあたりからお話をさせていただくのだが、その根っこにあるのは、やはり、育ってきた経緯が背景にあるので、そのお話をしてみたい。
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第8話 僕が起業するまでの話(3) ついに両親の破産宣告
父の自殺未遂があった翌日から僕は会社に行くことになるが、最初の仕事は、金融機関回りだった。
入院している父に、右に行け、左に行けと言われて当面の資金繰りをすることになった。
あるサラ金では、応接室に通され部屋を見渡すと、3角形をした置き型の看板が置いてあり、そこに書いてあったのが、
「年利75%」だった。
「75%?」いや「7.5%」だろ?と目を疑った。
7と5の間に小数点を探したが、小
第10話 僕が起業するまでの話(5) 両親の破産宣告からの再起
父は、破産宣告を完了させるため、裁判への出頭が必要になる。
そうなると、伊豆からの往復では厳しい。僕も、大学1年の期末試験がある。都内の宿泊場所に困っていた。
そうしたら、空手部の同期が自分は試験が終わったので実家に帰るから、その間父と僕でアパートを使っていい、と言ってくれたのだ。
妹も、幼少のころから妹をかわいがってくれていた父の友人家族(お子さんがいないご家庭)で、しばらく妹を預かってく
第11話 僕が起業するまでの話(6) 銀行への就職
多くの人に助けられながら大学に通い続け、就活のシーズンを迎えた。当時1988年はバブル時代。いわゆる体育会採用枠というものもあり、しかも主将をさせてもらっていたので引く手あまただった。
慶應空手部は大学体育会空手部では最古の大学で、過去の歴史では世界チャンピオンの先輩もおられる伝統校であった。僕が大学2年生のときは全日本でベスト8に入り、そのメンバー5人のうち3人が残っていたので、僕が4年生のと
第12話 僕が起業するまでの話(7) 銀行員時代の話
大学1年生のときに両親が破産宣告したにもかかわらず、体育会を続けながら、ゼミにも入って大学を卒業することができた。これも多くの人の助けのおかげである。本当に僕は運がいい。苦労して生き残ると、逆にそのあと強く生きられると思う。苦労は成長の糧だと本当に思う。
なので、三菱銀行に入っても、普通に過ごすつもりは毛頭なかった。空手で日本一を目指し自分を鍛え磨いてきたので、今度は仕事で猛烈に働いて自分を鍛え
第13話 僕が起業するまでの話(8) ベンチャー企業への転職
30歳前後のときに日本銀行、日本興業銀行、住友銀行といった日本の主要銀行の幹部候補生が集う合宿に派遣されたり、約1か月におよぶ新人研修の講師に派遣されたりと、人事部にも目をかけていただき、サラリーマンとしては十分過ぎる、順調な路線を歩んでいたと思う。
ただ、銀行員としては、ど真ん中の路線に乗った一方で、逆にうまく行けばこの辺まで行けて、悪くてもこの辺りと、40歳代、50歳代の自分のキャリアの幅が
第14話 僕が起業するまでの話(9) 上場申請
幼い4歳と1歳の子供がいる32歳での、大銀行から10名のベンチャー企業への転職である。家計的には、奥さんが働いてくれていたから出来た話であった。そうであっても、普通は許してもらえる冒険ではなく、妻の度量の大きさには感謝しかない。
コーポラティブハウスでいう名前のベンチャー企業では、経理は社長の奥様と女性社員の2名でされていた。社長の奥様は僕が入社することを契機に、僕に経理を引継ぎ、ご退職されるお