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第10話 僕が起業するまでの話(5) 両親の破産宣告からの再起

父は、破産宣告を完了させるため、裁判への出頭が必要になる。

そうなると、伊豆からの往復では厳しい。僕も、大学1年の期末試験がある。都内の宿泊場所に困っていた。

そうしたら、空手部の同期が自分は試験が終わったので実家に帰るから、その間父と僕でアパートを使っていい、と言ってくれたのだ。

妹も、幼少のころから妹をかわいがってくれていた父の友人家族(お子さんがいないご家庭)で、しばらく妹を預かってくれることになった。

助けていただけそうな方に、どうしたら助けてもらえそうか?を想像すること、そして行動を起こすこと、言い換えると「粘り」が、道を開いてくれる。窮地に追い込まれている方がいたら、是非参考にしていただきたい。いい人は世の中にいます。世の中捨てたもんじゃない。

一方で、裁判の判決を受け、財産の引き渡しがある。これがきつかった。父はノイローゼだったので、とても債権者の前には裁判所という守られた場所以外には出れない。そこで僕が立ち会うことにした。

引き渡し日には、破産管財人(弁護士)とまず自宅に行った。売れるようなものはほぼない。ステレオケースの中身がないのを見て、管財人は、「これはどうしたのですかね?」って言いながら、笑って見過ごしてくれた。

問題は工場の引き渡しだった。工場の前には債権者がたくさんいた。10人以上いたと思う。そのなかには親戚もいた。僕より10歳くらい年上で、幼少のころから遊んでもらっている人だ。その人が僕に詰め寄ってきて、胸ぐらをつかみ、「親父はどこだ!」と締め上げてきた。「金の切れ目が縁の切れ目」とはこういうものなんだと、胸ぐらをつかまれながら思ったものだ。

管財人は、機械に紙を貼り付けていった。よく言う赤紙というやつだ。ほんと「赤紙」って感じだった。管財人は、駅までの帰り道で「ご両親が破産宣告したので、ご両親も君と妹さんも負債を引き継がないでいいから安心しなさい」と破産宣告の効力の話をして下さり、元気つけて下さった。

これで破産手続きは終息に向かう。破産宣告は、精一杯やった上でこうなったとは言え、多くの人に迷惑をかけることであり、決していいことではないが、窮地に陥ったら、命を落とさずに利用させてもらい、将来世の中に恩返しをしていけばいいのではなかろうか。


父も母もすでに他界しているが、破産宣告後もその後まじめに働いて、人数は多くないが、人の役に立てたことはいくつもあったと思う。父が晩年困った人にお金を貸しているのを見かけたこともある。勤め先の若い人の相談相手にもずいぶん乘っていたようだ。

僕も当時は親を恨みたいという気もあったが、ある空手部の先輩に呼び出され「俺も実は同じような境遇になったことがある。そのとき親を責めてしまったことを後悔している。お前にはそうしてほしくない」と言ってくれた。

そのおかげもあり、両親を責めることはしなかった。逆に今となれば、経営をしていくうえで、最悪の事態を知っていることは大変な財産である。身を持ってそれを見せてくれた両親に感謝したい。そして、この経験は、こうした場面をおそれている人の役に立て、ひとりでも命を救えたらと思う。


さて、裁判と期末試験を乗り越え、今度は、再起をどうしていくか?

まずは住む場所。元住吉の線路添いで、6帖2間の2DKのアパートを家族4人で借りた。電車が通るとアパートが揺れる。曇りガラスに電車が写る。落ちぶれたときに住む感じが、ほんと映画に出てくるワンシーンのようだ。

父は夜勤の工場に勤めた。2週間夜勤で、2週間昼勤務を繰り返していく。昼間寝るのがつらそうだった。母も不動産会社の経理で採用してもらえた。母は元銀行員だったので、その肩書が採用のポイントになったようだ。破産宣告した者でも、採用してくれる会社ってあるんだと思った。

僕はもう学生どころでなく働かなければと思ったが、一芸に秀でるといいことがある。空手部のOBの方々が「河越を空手部に戻せ」と、ご自分の子供たちを差し出し家庭教師3件、とんかつ屋を経営するOBからは飯付きでいつでもアルバイトに来いと、職を用意して下さったのだ。

そのおかげで、大学に通いながら、空手部の毎日3時間の練習に出て、多いときは月30万円稼ぐという生活サイクルを作ることができた。奨学金も受けることができ、学費も毎回半年待ってもらいながら、何とか払うことができた。特別扱いしてもらったので大きな声で言えないが大学も寛大だ。やはり声に出せば道は開ける。

1年生のときから団体戦(5人制)のレギュラーで出場していたので、慶應空手部には必要な選手と思われたのだと思う。父に言われて中学から空手をやっていてよかった。「マイナーな分野で早くから着手すると勝ち目がある」という学びも得た。あとでお話する造園業を選んだ理由にもつながる。

妹も働きながら、また奨学金を受けて最終的には4年生大学を卒業する。彼女は、親戚に学校の前で待ち伏せされたりして怖い思いもした。ほんとよく頑張ったと思う。








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