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第9話 僕が起業するまでの話(4) 合法的な夜逃げを決行

同じ夜逃げでも、種類はあると思う。

「すべてを放り投げて疾走してしまう夜逃げ」と、「最終的にはきちっと裁いていただくが、裁判が終わるまでは身を隠す夜逃げ」だ。

命を絶とうとする企業の経営者には、そうせずに是非後者をお勧めしたい。

大手企業の破産も、経営者の方はこの後者の方法を取ってまた再起されている方も多い。最終的には、合法的に清算していただけるので、命は助かるし、また再起ができる。父を通して僕は実体験をしているので、この方法を知らない企業経営者に伝えたいというのも、実はこの話を綴っている狙いの1つだ。

なぜ、合法的な夜逃げが必要か?なぜなら債権者のなかには、こうした破産対応に慣れている方がいて、裁判の前に当人から取れるものは取ってしまおうという動きをするからだ。それは強面の債権者には有利になり、債権者間の公平性が図れない。裁判の申請をしたら身を隠した方がいい。

「屋根裏部屋にかくまってもらう」という話を聞くが、本当にそういう部屋があるものだ。

今回の件は、Tさん以外に1人だけ相談した。お得意先の社員の一人だ。その方の知人が伊豆の修善寺で温泉旅館を経営しており、その方が住み込みでかくまってくれるという話をつけてくれた。

小学生のころ、家庭教師の先生から、「社会人になってからの友人って、利害が発生するから、本当の友人になれない」と言われ、ずっとその言葉が残っていたが、こうして振り返ると決してそんなことはないことがわかる。多感な学生と話すときは、大人は本当に注意しないとならないと思う。

話がそれたが、行き先が決まったので、夜逃げの準備が始まった。会社でワゴン車があり、その車にふとんや当面の生活資金になりそうなステレオなどを積み、深夜、家族4人で江東区の別宅から出発した。いまでも家の鍵を閉める場面は脳裏に焼き付いている。

諸手続きや連絡があるため、数日は公園の脇に路上駐車して生活した。従業員の方には、失業保険という補償の制度があるものの、事前にお話しできず迷惑をおかけしたと思う。

公衆電話で父が従業員の方に電話していたが、なかなか戻ってこなかったのを覚えている。透明なガラスの貯金箱を銀行に持ち込み、「3千円になった!」って喜んだのも覚えている。破産のときは手持ちのお金がほとんどなかったので貴重な換金だった。

時期は年末だった。温泉旅館は一番の繁忙時期である。父と僕は窓ふきや床掃除、母と妹は給仕係をさせてもらった。妹はお客様にずいぶんと心付けをいただいていた。結構渡すものだと心付けを渡す習慣を学ばせてもらった。

一方で、年末年始の温泉旅館の手伝いが落ち着いたら、今度は学校をどうするか? 僕は大学1年生、妹は高校1年生である。世の中、困ったと言えば、助けて下さる方がいるものだ。







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