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第11話 僕が起業するまでの話(6) 銀行への就職

多くの人に助けられながら大学に通い続け、就活のシーズンを迎えた。当時1988年はバブル時代。いわゆる体育会採用枠というものもあり、しかも主将をさせてもらっていたので引く手あまただった。

慶應空手部は大学体育会空手部では最古の大学で、過去の歴史では世界チャンピオンの先輩もおられる伝統校であった。僕が大学2年生のときは全日本でベスト8に入り、そのメンバー5人のうち3人が残っていたので、僕が4年生のときは、日本一が期待されていた。

当時の僕は、助けていただいた空手部への恩返しをしたい気持ちがあり、就活より空手が第一だった。なので就活をささっと終えて、空手に専念したかった。

ここで母親が登場する。

「お前には堅いところに就職してほしい」と就活中言われ続けた。父親の波乱万丈な人生からすれば「そりゃそうだよな」と思った。堅いと言えば銀行だ。親孝行のために銀行に行くことにした。さてどこの銀行に行くのか?

就活中に、ご子息の家庭教師をさせていただいていた空手部の先輩から、「お前はどこに行きたいんだ?」と聞かれたときがあった。「はい、銀行ですが、どこの銀行を受けるか決めていません」と答えた。

すると、数日後、先輩から電話があり、「友人が三菱銀行の支店長をやっている。自分の高校同期(開成高校)からは、彼は役員間違いなしと言われている。コネはあった方がいい。彼には話してあるので3日後の昼に彼の支店に行け」と段取りをして下さっていた。

大先輩のロジックは「銀行にも学閥がある。慶應が強いのは三菱と第一勧業だ。ただ、第一勧業はまだ合併後遺症があるようだから、行風は三菱の方がいい」ということだった。

当時の空手部はマフィアみたいな感じで、先輩の顔をつぶすわけにはいかない。正直、銀行選びは自分で決めたかったが、空手に専念したいこともあり、あまり深く考えずに僕は就職活動をサッサと終わらせた。当時、8月が就活のピークだったが、5月には僕の就職先は決まっていた。ただ、この就職先の決め方がのちのち転職、起業の動機につながる。

振り返れば、銀行は信用が売りの会社なのに、よくも破産宣告した両親を持つ学生を採用してくれたものだ。なので、お堅い銀行でも採用してくれるのだから、「破産宣告しても子供には影響がないですよ」と、宣告を迷っている親御さんにはお伝えしたい。

空手の方は、準優勝した大阪商業大学に2対3で敗れ、全日本はベスト16で終わってしまった。先輩方には恩返しできなかったが、卒業後、高校のヘッドコーチとして全日本代表選手を育成できたりしたので、若干の恩返しは出来たのではないかと勝手に思っている。










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