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【短編】『慎重に、そして大胆に』(前編)

慎重に、そして大胆に(前編)


 外は雨が降っていた。エンジン音とともにタイヤが水たまりを擦る音が響き渡り一気に加速した。女は後部座席に座って電話を耳元に当てピーという音の後に続けた。

「今日は夜勤で電話できないの。ごめんなさい」

車は走り続けた。女は電話を切ると、座席にもたれかかっては窓の外に映る分厚い雲に覆われた空を見上げた。しばらくして車が急停車すると、赤信号がぼやけて見えた。次第に視界もぼやけていき前の方から中年男の掠れた声が聞こえた時には、女は眠っていた。

「お客さん、着いたよ。起きて」

女はすぐに目を開き、辺りを見回してから座席にある電話を手に取った。女はすっかり寝ぼけてそのまま車を出ようとしたところを運転手に引き止められた。

「お客さん、30ドル!」

「あ、すみません。えっと」

と女はカバンから財布を取り出し、何かを探し始めたかと思うと、シルバーの光沢のある小さなカードを抜き出して運転手に見せた。運転手は急に態度を変えてかしこまった様子で言った。

「いつもありがとうございます。気をつけて」

女はドアを閉めると、傘をさすことなく急ぎ足で病院の入り口へと向かった。屋根の下までたどり着くと、女は一息ついてからゆっくりと自動ドアを通って中へと入っていった。

 運転手は、女が雨に濡れる姿を傍観しなが助手席からタバコを一本取り出し口元に火をつけた。窓の外から咳き込む声が聞こえてくるも、入り口へと駆け込む他の者たちを眺めていた。タバコを吸い終わると、外に投げ捨て窓を閉めた。ハンドルを反時計回りに回転させアクセルを踏もうとしたその時、何者かが窓をノックしたような気がした。後ろを振り向くと、男がずぶ濡れで立っていた。助手席の窓を開けると男は顔を出して早口でしゃべった。

「ダウンタウンまで。今すぐ」

「わかった。乗って」

男は濡れたままの服で後部座席に乗り込んだ。

 女はロッカーから白衣を取り出すと、ゆっくりと袖に腕を通してボタンを一つ一つ絶対にずれることのないよう丁寧に留めた。ネームプレートを首にかけながらボードの中から自分の名前を探して時計を確認した。18時53分。ボードに18:50と書き込むと、ロッカーに入ったバックから財布を取り出して廊下へと出た。

 外の景色は何も見えなかった。ただ先端にある円形のセンサーの表面ガラスに自らの機体だけが小さく写っていた。雨も風も音もない空間にひっそりとその機体は浮かんでいた。あるいは自分では感じ取れないほどに一定の速度でどこかへとまっすぐ進んでいた。

「ピー。今日は夜勤で電話できないの。ごめんなさい」

「振られたか?」

「ああ」

「本当に夜勤なのか?」

「たぶん本当だ」

「なんだよたぶんて。多くないか?この頃」

「そうだな。きっと忙しいんだ」

と言って男は留守番電話の履歴の削除ボタンを押した。

「もう君との電話に飽き飽きしているんじゃないか?」

「そんなことないさ」

「だって、この前だって電話の途中で話が尽きてしまってたじゃないか」

「仕方ないだろ。こっちは毎日同じような日々を送ってるんだ。話せるネタがない。そう言う君はどうなんだ?」

「ぼちぼちだな」

「やっぱり君もじゃないか」

「いや違う。俺はちゃんと話せているつもりだ。何もあんたみたいに無理に話をでっち上げることなんてないさ」

「でっちあげてなんていないぞ。あれは君だって見たじゃないか。幻だったとでも言うのか?」

「あれは超常現象でもなんでもない。ただ、我々の宇宙科学理論に誤算があっただけだ」

「それを超常現象って言うんじゃないか」

「いいや、我々の知能がまだ宇宙レベルに達していないだけだ」

と男が言葉を放った矢先のことだった、突然機体が激しく揺れ動くと、男は体勢を崩し近くにある固定物を咄嗟に掴んだ。すると揺れはすぐに収まった。

「地震か?」

「おいおい、ここをどこだと思っているんだ?」

「冗談だよ」

「何か衝突したみたいだな」

「ちょっと管制室の方を見てくる」

「わかった。僕は、通信システムに異常がないか調べてみる」

と言って二人は上下真逆の向きで浮かびながらもそのまま別々の方向へと動いた。

 勢いよく何かを啜る音と共に、丼の中身は空になった。女はラーメンか蕎麦か見分けのつかない太くて長い麺を食べ終えて、席から立ち上がった。周りには白衣を着た者たちが数名しかおらず、ほとんどが患者だった。これから夜勤だというのに妙に頭が痛かった。昨晩遅くまで夫と電話していたせいだった。最後の方はほとんど話すこともなくなってしまい、どちらかが眠ってはそれ見計らって起きている方が電話を切っていた。昨日は私が寝てしまった方だった。ポケットからアスピリンを一錠取り出し、残った水で喉の奥に流し込んだ。

「まだ着かないのか?」

「まあな。田舎道だからな。もう少しの辛抱だ」

「そうか。着いたら教えてくれ。俺は少しばかり寝る」

と先ほど病院から乗ってきた男が、車のヘッドレストに頭を乗せ天井を向いた状態で口を開けたのがバックミラーに映った。よく見ると、男は女性もののブルーのワンピースのような服を着ていた。手元には財布のようなものは見当たらなかったが中ぐらいの手提げ袋が一つ足の上に置かれていた。きっと手提げ袋に何もかも入れているのだろうと思った。運転手はふと、この男がこんなおかしな格好で何をしに遠いダウンタウンまで行くのかが気になった。

「お客さん、ダウンタウンのどこに行かれれるんで?」

すると、ポカンと開けた口を閉じては、寝かせていた頭を起き上がらせて答えた。

「シティーバンクだ」

「お金を下ろしにかい?」

「そうだ」

「病院では下ろせないのかい?」

と言うとまた眠ってしまったようで男は何も答えなかった。

「おい、どうだった?何か異常はあったか?」

「いや、こっちは何も」

「そうか、俺の方もだ」

「今から操縦室に戻るが君はどうする?」

「そうするよ。自動運転じゃあちょっと不安になってきた」

と、今度は二人同じ方向を向いて通路を進み始めた。

「それにしてもさっきの揺れはなんだったんだ?」

「さあ、さっぱり。おおよそ何か宇宙のゴミにでもぶつかったんだろ」

「宇宙のゴミか」

操縦室の分厚い扉を開けようとした時だった。突然の衝撃波が二人を襲った。壁に何度か体をぶつけては急速に回転しながら元来た道をそのまま逆行した。

「おい!着いたぞ」

運転手のその言葉とともに男は目覚め、あたりを見回した。

「ここでいいのか?」

「ああ」

と男は言ってから少し真剣な表情を見せた。

「少しここで待っていてくれないか?金を下ろしたら運賃を払う」

運転手はわかっていたと言わんばかりに頷いては銀行の方に首を振った。

男は笑みを浮かべてると、手提げを片手に銀行へと歩いて行った。男の後ろ姿を見ても全体がブルーに覆われておりどこかおかしさを覚えた。

 外もすっかり暗くなり、そろそろ夜の急患がやってきてもおかしくない時間帯だった。女は自分の診察室に篭り報告を待った。それにしても頭痛が治る気配はなかった。これは寝不足によるものではなさそうだと思いながらも、もし今急患の報告があったらうまく手を動かせるだろうかと甘ったれた不安に駆られながら目を閉じた。

 しばらく待っても男が車に戻ってくる気配はなかった。これでは待っている時間でひと稼ぎできてしまうと思い、男に対する苛立ちを覚えながらハンドルを反時計回りに回した。アクセルを踏む直前、窓をノックする音が聞こえた。先ほどのブルーのワンピースの男だった。男は後部座席のドアを開けると、なんだか大荷物を抱えて中に入ってきては勢いよくドアを閉めた。カチンという音がしたかと思うと、運転手の頭のすぐ後ろに拳銃が突きつけられていた。

 幾度となく続く内部連絡の通知音で起こされると、女は受話器を取った。

「急患です!至急手術室へ」

女は何も言わずに受話器を戻し白衣を脱ぐと、全身手術用の服装へと変貌を遂げた。患者を避けながら手術室まで通路を小走りで進み、最後の突き当たりを曲がると、手術中と書かれた灯りの付いていない標識が目に映った。手前のベンチには患者の親族と思われる男が一人膝に腕を乗せて頭を抱えた状態で下を向いていた。声をかけようとそっと男に近づくと、男はこちらを振り向いた。目の前には昔別れた元夫の悲しむ表情が映っていた。


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