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津堅信之 『京アニ事件』 : 研究者と〈批評眼〉

書評:津堅信之『京アニ事件』(平凡社新書)

あまりの中味の無さに驚いた。
中味の的外れさに立腹させられて積極的に批判してしまう本なら、たまにあるのだが、本書にはそれすらない。

「京アニ事件」について、そこそこ広く浅くまんべんなく知りたいという向きにはちょうど良いのかもしれないが、すこしは著者なりの突っ込んだ見方や見解を知りたいと思う向きには、本書は完全に的外れである。

この「中味の薄さ」は、著者自身が強調する、その肩書きである「研究家」という立場に帰することができるのかもしれない。
つまり、「研究家」とは、「研究」してさえいれば、その物の見方や判断力、言い変えれば鑑識眼や批評能力が「凡庸」でもかまわない、ということを意味しかねない。「研究家」には、「独自の視点」も「鋭い分析能力」も無くていい、ということを意味することになりかねないのだ。

じっさい、著者による次のような、本書の結びの言葉には驚かされた。

『 今回の事件で、私が衝撃を受けたことの一つは、ほとんどブランド化していると信じていた京アニが、一般には意外に知られていなかったことである。まだまだ、京アニの存在や、京アニが制作したアニメの素晴らしさを知らない人たちが多いことの証左でもある。
 アニメファン、そして京アニファンは、底知れず美しく、そして限りなく気品に溢れた京アニ作品を楽しむ喜びを、もう少し周りの人たちが「ふっと」気づく程度のバランス感覚で伝えながら、ともに京アニ作品を見て楽しみ、京アニの復興を応援していきたい。』(P204)

まず驚くのは、京都アニメーション(以下「京アニ」と略記)制作のアニメが『一般には意外に知られていなかったこと』に『衝撃を受けた』という、その「常識のなさ」である。

たしかに、「京アニ」は『ほとんどブランド化している』のだが、それはあくまでも「アニメファンの間で」の話であって、「アニメも視ますよ」程度の「世間の人々」が、(ジブリは例外だが)制作会社の名前まで意識していると考えるのは、あまりにも世間の狭い、早計な物の見方である。

例えば、若者の間で流行っていて、彼らにとっては常識の「ファッションブランド」などでも、私のようなおじさんは、まったく聞いたこともないし、「常識」でもなんでもないというのと、それは同じことなのである。
そしてこの程度の「類推判断」は、多少なりとも「批評眼(そして、その要としての自己批評性)」のある人ならば、容易に可能なことなのだが、すでに若くもない著者は、そんな常識的な「批評眼」すら持ってはいないのだ。

また、『底知れず美しく、そして限りなく気品に溢れた京アニ作品』とか『もう少し周りの人たちが「ふっと」気づく程度のバランス感覚で伝え』といった、「過剰形容」や「ズレた形容」にも、著者の「批評眼」と「言葉のセンス」の欠如と感じざるを得ない。

前者について言えば、たしかに京アニ作品には、『美し』さがあるし、ある種の『気品』もある。しかし『底知れず美しく、そして限りなく気品に溢れた京アニ作品』などという「過剰形容」は、いくら犯罪被害にあった会社の作品だからと言っても、研究者の語る「論評」としては「公正さに欠ける」と言わざるを得ない。
どうして『底知れず』とか『限りなく』などという、殊更に「大仰な」形容詞をしか浮かばなかったのか。それは無論、「言葉のセンス」に欠けており、言葉に鈍感だからに他ならない。

著者は、殊更に問題になるようなことは書いていない。それは「ごく当たり前のこと」しか書いていないからでもあるのだが、あえて疑義を呈するならば、著者があえて、この中身の薄い本を書いたのは、多くのアニメ関係の評論家や関係者が、「京アニ事件」に関するマスコミの取材に対して口を閉ざしたのに対し、当初こそ取材を断りはしたものの、しばらくして取材を積極的に受けるようになった著者自身の態度について、その「立場説明(つまりは、言い訳)」をしたかったからではないだろうか。

多くのアニメ関係の評論家や関係者が、「京アニ事件」に対するマスコミの取材に対して口を閉ざしたのは、著者自身も推定するとおり、それが被害者やその家族に益するものになろうとは思えなかったからであろう。また、まだ真相究明が始まったばかりの段階で、傍の者がマスコミに露出して、知ったかぶってあれこれ論評することの軽薄さと無神経を、彼らが嫌悪したからに違いない。
無論、彼らだって、マスコミ取材に応じた人たち(本書著者を含む)について、「そんな立場もあり」だとはするだろうが、それにしてもやはり、感情的には「あまり良い印象は受けない」人も多かったはずで、それは著者自身も、明言こそしないものの、感じてはいたはずである。

だからこそ著者は、「私がマスコミの取材を受けたのは、京アニの、そして日本のアニメ界の未来に益すると考えたからである」と、その「公益性」をアピールしたかったのであろう。

それ自体は、嘘ではないだろうし、間違いでもないのだが、しかし、そうした条件を織り込んだ上で、それでも口を閉ざした人たちを説得できるほどの説明を、著者は本書で為し得てはいない。
「まあ、そういう意見もあるでしょうし、あなたがそこに意味を見いだすことも間違いではないのだけれど、しかしそれは、一つの立場でしかないでしょうから、それに説得されない人も多いでしょうね」というのが、著者の「立場表明」に対する私の意見であり、そしてごく常識的な反応なのではないだろうか。

ともあれ、本書著者は、「研究者」ではあっても、優れた「批評家」でないことは確かであり、「批評」的な、鋭く独自性のある「見方」を期待する向きには、本書を手に取るべきではないと助言したい。
結論としては、本書及びその著者は、きわめて「凡庸陳腐」なのである。

書評:2020年7月21日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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