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孤独が埋まらなくても。かなしみが癒えなくても。

今日は久しぶりに、アダルトチルドレン全開でいきますね。

HSP/ACにしか書けないことを、書いていこうと思いまあす⤴︎

よくある「地球人・親」と「宇宙人・子」のすれ違いの話。
(このワードがピンとくるかたは、たぶん私の魂のおともだち𓂃 𓈒 ໒꒱·̩͙)


どの記事をあげるときもだいたいフォロワーさん減るけど、今日もまた一段と私のサイコパスみでフォロワーさんが去っていきそうな予感。。笑


なんとなく今、Kiss Me Slowな気分なので、ここから先もお付き合いくださるかたはよかったら聴きながらご一緒いただければと思います。

(⬆だいすきな神プレイリスト。ほんとさいこうなの)


今日はあんまり綺麗な言葉を綴る自信はないので、途中読んでていいたたまれなくなったら、無理せず退室しちゃってね。


………


先日、三年ぶりに両親に会いました。

夫婦で富士山を見に行くというので、その帰りに小一時間ほど東京駅で会う約束をし、旅の写真を見たりしながら和気あいあいとお茶をしていたのですが

帰り際に父親がチクっと「生活できてるのか?貯金はちゃんとしているのか?」ということを口走ったため、

私の気分は一気にげっそり、急降下してしまいました。


あーやっぱりこの人たちは、(今までもずーっとそうであったように)私のこと「たいしたことない人間だ」って認識してるんだなーって。

少し前にはこのnoteの記事をシェアして「最近はこうやって文章書いたりして生きてるんだよ」なんて言って電話で話をしたばかりだったのですが、やっぱり前提として自分の子どものやってることなんて「どうせたいしたことない」と思ってるんだなと。


自分の子供はいくつになっても子供、なんて言いますが、この人たちはいつまで子育てごっこしてるんだろうって、正直ドン引きしたんだよね。

どれだけ私が成長して自我を持った大人になったとしても、この人たちはいつまでも「たいした力のない、かわいそうな子」という目で私を見続けるんだろうなって。

親に対してこんなこと言うなんて、世の中の子を持つ親からしたら、サイテーなサイコパス女だと思われるだろうけどね。



子供の心配をするのが親の役目だとか、子供が間違ったことをしないように厳しく接することが親の愛情だと本気で信じている人も、世の中には一定数いるのかもしれません。

でも、いつもいつも、いつまでも「そのままじゃ将来大変なことになる」とか「あなたは不幸なんだからもっと頑張らないと」とか、そういう非言語のメッセージを押しつけられることに、わたしはもう疲れちゃったんだよね。

それを「愛だ」と呼ぶことにも。



そしてね。

そんな親の姿を見て、正直、あー羨ましいなって思ったんだよね。

将来への心配とか、不幸にならないように頑張ろうとか、そういうモチベーションで生きていても精神が崩壊することもなく、今までそれで困らずに生きてこられてよかったですねって、心から羨ましくなった。

「自分を大切にしよう」とか「自分軸で生きよう」なんてわざわざ考えなくても病まずに生きていけるなんて、随分とお気楽で羨ましいですって、心からそう思った。




心配って、楽なんだよね。

その反対で、信じることには勇気が要る。


これは親子関係に限った話ではないのだけど

心配というパッケージで包んだ「私はあなたのことを非力な人間だと思っています」という傲慢なメッセージを、「これが愛情だから」という名目で他人に押し付けるって、すごく簡単なこと。

私は子育ての経験はないけれど、生きてきた中で「心配するのではなく、“あなたなら大丈夫” と信頼すること」の大切さと難しさを痛いほど学んだタイプの人類だから、

そうじゃなければ立っていられなかったような人間だから、

心配することや否定することを なんの疑いもなく「愛情」と呼び、他人に投げつけられる人たちのことを、とても羨ましく思う。



それと同時に、大人ってなんで子どもや年少者たちよりも自分のほうが正しいって思えるんだろう???って、ずっと疑問なんだよね。

もちろん、そんな大人ばっかりじゃないってことはわかってるけど、

でも、多くの大人ってなんで、子どもたちよりも自分たちのほうが「上」だって思えるんだろうって、純粋に疑問なの。

自分たちよりも後に生まれた子どもたちにリスペクトを持つどころか「正しいことを教えてあげなければいけない間違った存在」だと思えるのって、なんでなんだろう。

脳に毛でも生えてんのか???



大人が子どもたちよりも知っていることと言えば、「自分たちの時代はこうだったんだよ」という、過去のフィクションの中でのみ通用する正解とかライフハックくらいなもので

大人が子どもたちに「教えてあげられる」ようなことって、本当はあんまりないんじゃないかなって思うんだよね。


私たち大人が本当に大切にするべきなのは「子どもたちに何かを教えてあげよう」という上から目線の態度ではなく、「今を生きる子どもたちの邪魔をしない」という謙虚さなんじゃないかなと、一応大人である私は思ってんだけどどうだろう。

その謙虚さを知らずに、自分より後に生まれた人たちを「愛情と名付けた上下関係」で抑えつけた結果が、今の日本の社会なんじゃないかなって、そう思うんだけど。



人は年齢を重ねるごとに、正しい人間になっていくんだと思ってた。

経験を重ねるほどに、視野が広く高くなっていくものなんだと、そう信じてた。

歳を重ね人生経験を積むほどに、懐は深くなり、妬みは消え、まあるくあたたかい人柄になっていくものなのだろうと、そう思ってた。

でも実際はそうじゃなかった。むしろ逆のことのほうが多い。


親や上司、先生など、年長者の言うことがいつも正しいなんて、大嘘だ。


多くの大人が年少者たちにドヤ顔で教えているのは「他人軸での生き方」とか「他人軸時代のライフハック」だけど、

子どもたちや若い人たちに教えを乞わなきゃいけないのは、

視野が狭まり傲慢になって、他人軸でしか生きられなくなってしまった、アンタら大人たちのほうなんじゃないのっていつも私は思うんだ。



………



わりと多くのHSPのかたが おそらくそうであるように、私も親とは価値観も大切にしているものも、愛や幸せの定義もまるで違っています。

その上、彼らの基本スタンスは「親が正しい、世間が正しい、子どもだけが間違っている」というものなので、普通の会話がハラスメントです。


三年前に最後に実家に帰ったときは、お父さんの高圧的な態度に耐えきれず「疲れたので帰ります」と置き手紙をして、始発の新幹線で一人泣きながら、逃げるように東京に戻りました。

その前に帰ったときも、お母さんの言葉によって心に大きな痛手を負って、それからしばらく親とは関わりを絶っていました。

最近では、誕生日の直前に母の心無い(しかし悪気もない)一言に心底傷つき、送られてきたお誕生日プレゼントを受け取り拒否したこともありました。

(これお互いにHSPだったら絶対関係終わってるよね。私が同じことされたら心折れる)



でも、私は親にたいして「なんで他の人には絶対言わないようなデリカシーの欠片もないようなことを自分の子どもには平気で言うんだろう」って思うんだけど

私自身も、他の人にはしないような期待を、親には無意識にしてしまっているんだよね。

親の失礼な言葉にいちいち傷つくことを、無意識に自分に許してしまってるのも事実。


わかりあうことを心底諦めて割り切っているつもりでも、心のどこかで、いつか私のことを理解してくれないかなって、無意識の期待をかけてしまっている。

嫌いにならずに一緒にいられる方法を、どうにか探せないものかと願ってしまっている。

「親だから」という、それだけの理由でね。

同じこと他の人にされたら、LINE無視して一生さようなら。で済ませる話なのにね。



でもね。私も、「言われてないことまで勝手に察して決めつけて傷つかない」ってことは一応がんばらなきゃなとは思うんだ。

これは親子関係でもパートナーシップでも、それ以外の人間関係でも同じことで。

誰と関わるときでも、勝手に被害妄想を働かせない努力はしなきゃなって。


前に恋愛トークの記事で「自分が思うような愛情表現をしないのが他人という生き物である」ってことを書いたんだけど、

(この記事すきすきすきすきなの)

このことをほんとに何度でも何度でも、どんな人間関係の中においてでも、しっかり胸に刻んでおきたいなと、そう思ったりしたのでありました。



あーーーーーーー

私がこんなこと考えてる間も親はきっと茶でも飲みながらテキトーにつけてるテレビに文句とか言って過ごしてんだろうなあああw

なんなんだよコレw

次会ったらもう生活できないから家買ってくれって言おー。⟵



あ、そうだ。お父さんからの「ちゃんと貯金できてるのか?」の問いの答え。

言っても話が通じないと判断してその時は言わなかったんだけどね。


私、自分ひとりでは貯金ができない体質なんだよね。一生懸命働いて稼ぐ体力もない。基本的に。

でもね、数年前から、インターネットの世界で課金してくれる優しいひとたちがぽつぽつと現れるようになって、それからnoteもはじめて、

それでわたしは「世の中のやさしいひとたちが、貯金できない私のかわりに貯金してくれるシステム」っていう魔法のやさしさアイテムみたいなのを手にすることが出来たんだよね。


親は私を見て「この子には生きていく力がない」と嘆いている。

でも私には、自分だけの力で生きていかない覚悟がある。

それはきっと、なんでも自分一人の力で(とか、夫婦二人だけの力でとか)乗り越えていかなければと思っている親たちには、ちょっと想像もつかない世界観なんだよね。


私は、他人軸の時代を懸命に生きた親に、理解されないのは才能だと思ってる。

そして理解し合うことは出来なくても、親たちは私をこの世に爆誕させたって事実だけで天才だとも思ってる。


親に理解も肯定もされない孤独は、埋まることはないかもしれない。

かなしみが癒えることも、ないかもしれない。


それでも私は、この才能と一緒に生きてくよ。

それはきっと、心や魂で通じ合えるみんなと出会い、共に生きていけるという可能性のたねだと思うから。



………


でもね〜色々言ってもやっぱり親に大事にされてたなあって記憶もたくさん残ってるんだよお。(箱入りなので過干渉とも言えるが)

否定されるかなしさとかさみしさとか居場所のなさのインパクトのがどうしたって強いから、自分の気質も相まってアダルトチルドレンすなおが爆誕しちゃったけど、

親はすごく「ちゃんと」育ててくれました。人間的に言ったら「いい親」なんだよすごく。方向性は違っても、すんごく思ってくれてるんだなってわかるし。

いいこともたくさんあったよ。ありがとね。



過去のAC記事はこちら。


………


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本日もここまでお付き合いくださり、どうもありがとうございました!



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