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HSCの愛の大きさについての考察(HSCが居場所のなさを感じる原因について紐解いてみました)

先日、いつものようにぬいぐるみをめちゃくちゃに可愛がっていたところ「愛させてくれてありがとう」という思いが浮かんできました。

そしてふと思ったのです。

わたしが子どもの頃から居場所のなさを感じていたのは、この「愛したい」という気持ちの行き場がなくなっていたからなんじゃなかろうか…。


お母さんのことが(記憶にはないけどお父さんのことも。父ごめん)大好きで懐いていて その気持ちを受け取ってほしかったのに、両親はそんなことよりも、わたしを「ちゃんとさせる」ことを急いでいた。

それは別段おかしいことではないとは思います。

人並みのスピードで親離れさせるのが親の責任。そういった思いで両親は子どものために「正しい」ことをしたのだと思う。それは彼らからの愛情表現だと理解しています。

でも、わたしの愛したい気持ちは受取人不在で宙に浮いたまま。

親はそんなわたしのことを「いつまでも甘ったれで困る」という言葉で表現していました。


わたしみたいな子どもって(HSC/ハイリーセンシティブチャイルドって呼ばれるんだけど)、おそらくそもそも持っている「愛したい欲」みたいなのが常識的なサイズ以上に大きいと思うんです。

例えるなら飼い主にたいする動物のそれみたいな感じ。それは人間の愛のように忖度や打算にまみれていない まっすぐで純粋なもの。

だからわたしは飼い主への愛とか喜びをめちゃくちゃに表現している無邪気なイッヌさんとか、大切そうに飼い主をナメナメしている慈悲深きネッコさんたちを見ると、シンパシーを感じて泣けてくるんですよね。


「親は親なりに精一杯愛してくれていた。」

それをわかったようでいてどこかしっくりこなかったのは、愛されないと感じていたというよりは、わたしからの愛を受け取ってもらえないと感じたことによるフラストレーションが原因だったのかもしれないなと思ったのです。

お父さんもお母さんも「しっかりした子に育ってほしい」「元気に幼稚園(学校)に行ってほしい」と願ってわたしを育ててくれたと思います。

でも、幼いわたしはそれ以上に、純粋に親を愛したがっていた。お母さんと離れたくなかった。

でも、それは叶いませんでした。


外の世界に出てからも、学校でも社会でも、何かを愛しすぎないように矯正されてきた。そんな感じがしています。

どの教科も満遍なく勉強する。好き嫌い言わずなんでも食べる。誰とでも仲良く付き合う。

そこまで感情の幅が広くない子なら「こなす」ということを要領よくかつ違和感なく覚えていくのだと思います。

でも、人一倍大きな振り幅を持った子の心は、そんな理想の元では確実に潰されていきます。人一倍大きな「すき」を抑えるのも、人一倍大きな「きらい」に耐えるのも、本当に辛いことだから。

でもその感覚は理解されないし逃げるわけにもいかないから頑張るしかなくて、でも頑張っても自分の力じゃ理想通りには到底出来なくて、自分のことを嫌いになって うっすら絶望を育てながら生きるしかなくなる。

これがHSC(人一倍センシティブな子)が居場所のなさを感じるようになる原因のひとつかなと思います。


だから、AC(アダルトチルドレン)であるとか愛着障害になったことの裏側には、もしかしたら「人より何かを深く濃く愛する才能」が眠っているのかもしれない、と思うのです。

溢れ出る愛を受け取ってもらえなかったショックで「大好き!!」の気持ちを封印してしまっていたり、それか心のシャッターがもう完全に降りきっている場合は「愛」などというものに嫌悪感すら抱くかもしれない。

でも本当はそういう方々って元々は人一倍「大切な人を幸せにしたい」って願える人だし、自分から愛を発信して循環させていける人。ちょっと不器用ではあるかもしれないけど。

愛を受け取ってもらえなかったのはあなたが悪いんじゃないよ。向ける場所がちょっと違っただけ。

そう言いたいです。

だってその愛の大きさって、親一人や二人で受け取れるようなサイズ感のものではないから。


家族間とかパートナー間といったせまい受け取り口に その大きな愛を全力で注いでしまうと、その深さとか濃度で相手を困惑させてしまうこともあるんですよね。

もっと広い場所に投げて薄まってちょうどいいくらいのものなんだと思います。

だから人一倍大きな愛を抱えているひとは、人間以外の愛の放出口をつくっておくと風通しのいい身体を保てるのではないかなと思います。

人間界のジャッジを適用せずに受け止めてくれて愛し合える動物やぬいぐるみでもいいですし、何かを表現することに向けてもいいと思います。

人間以外の場所に 好きなだけ愛情を注げる先を見つけられたら、そこが自分だけの安心できる居場所になります。


居場所がないと感じるとき、それは過去のどこかの時点から抑圧されてきた「愛したい」の気持ちがさまよっているときなのかもしれませんね。

もしわたし以外にも「愛してほしかった」よりも「愛させてほしかった」という言葉にピンとくるかたがいらしたら、「ああ、自分って、親の枠に収まれないくらいに愛の大きい人なんだなあ」って素敵な解釈をしていただけたらなと思います。

そして、子ども心に戻って思いきり愛情を表現できる場所をみつけて、その頃の悲しみやフラストレーションを解放してあげましょう。

その先に、きっと優しい世界がひらけてくるから。


今日もお付き合いありがとうございました。

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