見出し画像

娘はなぜ「娘」をやめられないか#5


毒母と娘の関係は、不健全であるにも関わらず、断ち切りたくてもなかなか断ち切れないという現状があります。

娘はなぜ「娘」をやめられないのか?
私の実体験エピソードから分析していきます。
今回は#5です。


 
里帰り出産&孫との関係


結婚して2年後、私たちは第1子に恵まれます。
心の中は家出の結婚ですが、妊娠出産をひかえ、毒母との関係を断ち切ることができない状況がまたやってきました。
「里帰り出産」です。

妊娠報告するとすぐ、母は病院を調べ、勝手に着々と準備をはじめました。
一瞬ありがたい気持ちになりましたが、経験上、また自分が利用されるのではないかと猜疑心がぬぐえませんでした。

しかし、実の娘が産んだ子なら目を細めるかもという、淡い期待もありました。バカですね〜(笑)
その対応によっては、
「心の縁切りをリセットしていい」
「自分に向けられなかった愛、孫に与えてくれたらそれでいい」
と考えていました。

ところが、妊娠後期になったとき、実父が急に病に倒れます。
入院を余儀なくされ、里帰り出産を断念することになったのです。
基本わたくし、神は信じない主義なんですが(笑)
この時は、いるのかな?って思いました。
猜疑心が見透かされてる…念じたとおりオシャカになったと。

もちろん、初産って大きな不安がありますよね。
実母がいて頼れる存在なら、それにこしたことはありません。
しかし漠然とですが、それを上回る不安がのしかかっていました。
産めば心身ともに疲弊する、赤ちゃんで頭がいっぱいになる、母を気遣う余裕なんてない、そういう気持ちだったと思います。
今だったらスラスラと説明できますね(笑)


といった経緯で、産後は夫の実家に入ることになりました。
すでにわりと仲良くはなっていたものの、さすがに夫のいない状況で、「住み込み?!」にはかなり抵抗がありましたが、事情が事情。
もともと面倒見のいい義父母の歓迎もあり、思い切ってその胸に飛び込むことにしたのです。

これを機に、初めての出産から幼児期の育児まで、義父母には本当によく助けてもらいました。
夫は転勤があるのですが、新婚〜長男が3才まで、たまたま夫の実家の近くに住めていたことが幸いしました。

義父母は、「超」がつく子煩悩、長男は言わずもがな、とてもなつきました。
義父母と嫁は他人どうしですが、孫を介して頻繁に会えたことで互いに慣れ親しみ、孫もなつきと、相乗効果で序盤からいい関係性をもつことができたと思います。

実の両親にはない、飾らない愛情に満ちた2人と過ごすうちに、また新しい価値観が自分の中に育まれていきました。
2人の子育てにおいて、確実に良い影響を受けたなぁと感じます。

その後、転勤で全国3か所を渡り歩くことになり、その間に2人目が産まれました。
夫の実家からは離れても、義父母の孫愛は途切れず(笑)です。
お菓子や乾物など詰めて送ってくれたり、電話で話したり。
盆暮れ正月、GW、長期の休みのたびに帰省して、その関係は続きました。
子供が親いらずくらい慣れると、容易に預けて出かけられるので、本当に助かりましたね。


一方、実父は、長男がほぼ産まれると同時に、入院〜介護状態になりました。里帰りどころか、その後の帰省もままなりません。

介護は思ったより大変そうでした。
父が絶対的存在の母なので「妻が支えねば」という染み付いた義務感と、逆に老後の景色がガラリと変わったのは「夫のせい」という被害者意識で、当時は情緒不安定っぷりがMAXでした。

不安や怒りの矛先は父ではなく、乳飲み子を抱えて帰省した娘にぶつけるしかなかったようです(汗)。
私は自然と母から、だんだんと足が遠のきました。

母の希望もあり、その後も年に1度くらいは何とかがんばって顔を出すようにはしていましたが、義父母の価値観や教えである程度まで育った孫に、母は嫌悪感をいだき始めます。
子供たちは母を怖がり、だんだん帰省を喜ばなくなりました。
子供は正直ですよね…

1番の記憶は、5才の長男の何気ない一言に母がブチギレたことでして…
おいおい…5才と精神年齢いっしょか?とゲンナリしたのを覚えています。
これはほんの1例です。

14年に渡り、微妙な関係を何とか続けてきましたが、たび重なるゲンナリによりフェードアウトします。
長男が中学に上がるあたりから音信不通になりました。
なぜ14年も続いてしまったかというと、

・介護で大変な母を結局、見捨てられなかった
・孫へ目を細める日がいつかくるかもと期待していた
・子供たちが本当に嫌がるまでは耐えようと思った
この3点です。

小学校高学年になった長男から
「じぃじとばぁば(義父母)からお年玉もらえるのに、ママの方からはなんでないの?仲悪いの?学校のみんなはもっとたくさんもらってるよ!」
こう聞かれたことがありました。
(みんなって、何人かね?(笑))

それはさておき、ショックでしたね…。
自分のせいで、子供に悲しい思いをさせているのかと。
また「自分さえ我慢すれば」が発動してしまいました。
それで長い間、踏ん切りがつかなかったのです。


結局は、父が大変とか、会う頻度とか、義父母が子煩悩とか、いろいろな外的要因はあるものの、母には、孫を無償の愛でかわいがる気質がもともとないのだとわかりました。
義父母に自分の役目を盗られたような被害妄想にとらわれてますが、どんな大変な状況にあっても、人柄は内面からにじみ出るものです。
純粋な心をもった幼い子供には、とくに伝わるのではないかと思います。


それから約7年もの間、音信不通が続きました。
その間、年賀状が来たり来なかったり(笑)
(どんな基準で出したり出さなかったりなの??マジ不思議)

そして、父の死を機に、毒母との関係が再開します。


#6へつづく


#毒親 #毒親サバイバー #母と娘 #母娘 #親子関係 #子育て #親子の悩み #母親の悩み #縁を切る #自立 #依存 #共依存 #愛されたい
#生きづらい #結婚 #離婚 #自己肯定感 #アダルトチルドレン
#毒母 #女性 #お母さん #親 #自己愛 #母娘の悩み

全てのできごとは捉え方次第で「春の陽気」にも「冬の北風」にもなります。 あなたの視界が、北風から陽気に変わりますように♡ そんな想いで、日々記事を更新しています!