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新年の抱負

「あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。」と、今年も年が明けたワケなんですけど、こんばんは。

去年はほんとうに色んなことがあったと思います。なにか大きな変化があったかといわれれば、そうでもなくて、ただ文章を書いて思ったことを呟いては、途方もない道のりを歩きつづけたり、将来がほんとうに不安だなって思うこともたくさんありました。やれる事、できる事をちょっとでも「積み上げていこう」といったスタイルで生きてたら、「リアルで人と会う」ということもできて、ずっと叶えたかった夢もかなったので、もう十分すぎるぐらい結果は残せたと思っています。

なにか変化をもたらしたいと思ったとき、なにかが起こることを期待して、なにもしない人は多いけど、なにもしなかったら何もないという「結果」が残るだけで、人生が好転することってないと思うんです。

例えば、彼女がほしいと思ってる人が、出会いが全くないという状態を続けていて、いつかは出会いがある、結婚できるって信じ続けるのも一緒だと思うんですよ。つまり、彼女がほしいのに、「異性と出会う」という前提条件が満たされてないのであれば、人と付き合うことなんてまず無理だよねっていうのがぼくの持論です。

期待するのは悪いことではないとおもう。だけど、期待しているだけで、なにもせずに、何もしないという結果だけが残って、裏切られたって、失望するのはかえって、自分の首をしめているだけなんじゃないかと思います。

「こうしたい」とか「こうなりたい」って人間になら誰しもが持つような「欲求」という概念がありますが、「目標」というのを、ひとは毎年立てることで、その一年間をより充実させるために、「成長」というものを取り入れたりして、新しいことにチャレンジしていくと思うんですよ。でも、ぼくは目標って立てることじたいがあまり好きではなくて、いま生きることだけを考えていればいいんじゃないかなって思う派です。「これをやっておいた方がいいよね」って思うものちょっとずつでも、「積み上げる」ってことをしていれば、自然と成果物として大きなカタチにはなってくるハズです。

だから、なんかこれやっておいたら後々、ラクになるよね。ってものや、頑張らずに頑張れるものとか、そんなものを少しずつでも、畑を耕す感覚で大きくしていきながら、じぶんの「できる」こと、増やせばいいのかなって思ってます。それがいずれ自分にしかできない仕事になるかもしれませんからね。将来なんて、今やっていることの「積み上げ」でしかない。

でも、何もしていないってだけでも、なにかとケチをつけてくる人っているじゃないですか。成長することイコール良いことみたいに、そんな価値観で生きてる人もいるワケで、親とかになると、子供に将来、幸せになってほしいから、何もしていないってことが不安で、なにかと成長することを求めたりするときもあると思うんです。だけど、人生において、上がっていくことが全てではないし、落ちぶれていくことが悪ではないと思うんですよね。なので、自分の思うように生きたらいいんじゃねって無責任におもったりします。

何もしないことは悪じゃないんよ。だけど、自分のいる場所で、どう振舞うかによっても、人生の難易度って変わってくる気がしていて、なにかと辛いときにこそ、陽気に振舞えるひとは、つよい。

なんか、ぼくなんかは、メンタルやられちゃって人生おわった。死にたいって思った人の過去をたくさんみてきたので、そんな中でも、つらい思い、苦しい感情を抱えながら、懸命に生きてるひとをみると、頑張ってほしいな。幸せになってほしいなって本気でおもう。

つらい思いを辛いこととして受けとめて、生きていくことは、あまりに苦しいことだし、絶望的だとおもう。弱みをみせない生き方ってカッコよくうつりガチだけど、辛いときは吐き出そう。苦しいときこそ、誰かに話してみよう。人間ひとりで生きられるほど強くないからね。弱くたっていいんよ。強くならなくたっていい。

一年間、noteを書き続けたことによって、自分と向き合う時間がふえ、文章を書くことで、救われるときはたくさんあった。前向きになれないときも、あるいは前向きであるときも、文章のチカラってほんとうに凄いとおもう。

生きてて辛く感じることがあるからこそ、救われる居場所があること。きっとぼくは、一年後も十年後も、ずっとやっていることは変わらないだろうな。続けたことによって、「人と会う」という新しいことができるようになっただけで、文章を書くことに変わりはない。

目標なんかなくたっていい。今できることちょっとずつ、積み上げていく。それだけで、人生って、ひとつ大きなカタチを成すと思ってる。
たかが人生、されど人生。

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