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初対面と話せない

今日は私がいかに
初対面の人と話せないかが
露呈した。

友人の企画したイベントに
参加したのだが、
思っていた以上に本格的だった。

立食パーティーのような形で、
おそらく初めての企画なはずだが
なかなか様になっていたと思う。

合間にゲームのようなことをし
参加者を飽きさせないような
工夫も見られたため、
きちんと運営されていたと思う。

このイベント自体は個人的に
賞賛に値するものだった。


しかし問題だったのは
私のコミュ力である。

絶望的に話しかけられない。

このようなイベントにおいて
私は常々向いていないと
感じざるを得ない。

そのため話しかけれる人や、
それこそイベントを運営している
友人はすごいなと感心する。


だが、私は決して喋れない事は
ないと思っている。

私が苦手なのは、
こういうオープンな場で
自発的に行かなければならない
状況なのだ。


例えば、高校までの学校や
バイト先などのグループ化が
された状況であれば話せる。

寧ろリーダーシップだったり、
道化を演じたりと
コミュニティを活性化させようと
自ら努めている。

きっとその動機は
そのコミュニティを
もっと居心地の良い場所に
しようという思いからだ。

そういったコミュニティは
基本的に逃れる事はできない。

つまり必ずその構成員と
接しなければならないのだ。

だから居心地をよくするために
コミュニケーションをとる。

どこに行くにも知り合いと
一緒に行動したりするのは
きっと同じ原理だろう。

居心地の良さ、安心感、
それらを求めているのだ。


つまり、初対面の多い場では
居心地が悪く感じてしまう。

そのような状況において
私のような人種がする事は
逃げの手しかない。

もし知り合いがいるのであれば
一緒に行動し、いなければ
逃げるか目立たないとこにいる。

こうして少しでも居心地を
良くしようと奮闘する。

話せる人たちからすれば、
なんとも消極的で
憐れみすら感じるかもしれない。

もっと話しかければいいのに。

こう思う方もいるだろう。


しかし、類は友を呼ぶというように
すでに話せる人は
そういった人と仲良くしている。

できない人はできない人と
仲良くなっている。

これは幼少期から続く真理であり、
ある一定数以上のグループでは
その中でグループが細分化される。

そうして馬の合う人と
コミュニティを形成する。

そうした結果が今だ。


こう考えるとなすべくして
なったと言わざるを得ない。

例外的に、その状況から
脱却したいと思う人が
たまに現れる。

そうした者は
ぜひ挑戦すればいいと思う。

とても素晴らしい事であり、
一般論で言っても
そちらの方が魅力的だろう。

だが、私のような怠惰な人間は
変化を中々好まない。

ましては人間関係という
精神面とモロに直結する
場合はなおさらだ。


人々の個性が重要視される
現代において、
私は私のような人種も
別にいてもいいんじゃないか、
これも個性ではないかと
思ってしまう。

仮にこれが怠慢だったとしたら、
改善した方がいいだろうが。



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