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故郷を出た朝
「僕の昭和スケッチ」130枚目
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「夢は夢やで、そんなもんで一生ご飯が食べられる訳がないよ、ゆう君」
と仲の良かった義理の姉が私に言った。
「タワケが、自分の人生をどう考えとるんや! 絵が好きやと言うことと、それで飯を食うと言うことは全く別のことや。」
と親戚の叔父に呆れられた。(父親は病気がちで入院生活が続き、家にはいなかった。その父の代役として母が叔父を呼んだのだった)
「タワケやねぇ、あんたみたいなもん、何にも成れへんわ。あんたの学校の友達のM君、S大学へ行きんさるゆうやないの、立派なもんや。同じ東京でも大違いや、あんたそう思わんかね? 」
と母親も僕に言った。
それでも僕は18才の春に岐阜の街を出た。
家族が反対するのも尤もなことだった。
腹違いの兄に経済的負担をかけて美大に行くと言う選択肢は、僕にはなかった。それでなくても高校時代に遊び惚けてばかりいた自分が、今更大学に行くとは口が裂けても言えなかった。
僕は岐阜の街も自分の生まれた家も、嫌いだった。
東京へ向かうホームに立ったのは、三月といってもまだ寒い早朝の時間。
バッグには形の定まらない夢と何の根拠も無い自負だけが詰っていた。
多くの若者がそうであるように・・・
僕も東京へ憧れて故郷を離れる名も無い若者の一人に過ぎなかった。
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