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「我が家にテレビが!」昭和少年の悲願

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ140枚目

<「我が家にテレビがやって来た」© 2022 もりおゆう 水彩/ガッシュ>


僕の家にテレビがやって来たのは昭和37年、小学校生だ。
学校から帰ると、うちにテレビがあった。もちろんシロクロ。

我が町内会では、テレビが来たのはどんじりの方で、どこの家にも既にテレビはあった。遅ればせながらではあったが、嬉しかった日だ。

その当時、記憶にあるのは・・・

鉄腕アトム 昭和38年 日本初の長編TVアニメ
鉄人28号 昭和38年  「ビルの街にガオーッツ!」
8マン 昭和38年 「玉よりも早く!」
てなもんや三度笠 昭和37年 「当たり前田のクラッカー!」
シャボン玉ホリデー 昭和36年 なんてったって、ザ・ピーナッツ!
三匹の侍 昭和38年 丹波哲郎/平幹二朗/長門勇らが演じたリアル時代劇
忍者部隊月光 昭和39年 「拳銃は最後の手段だ!」
隠密剣士 昭和37年 公儀隠密「秋草新太郎」と忍者軍団との死闘  
etc…


この時代は、昭和少年達を熱狂させた月光仮面や七色仮面、まぼろし探偵、少年ジェットなどが既に終わっており、一抹の寂しさもあった。僕らは、それらの番組をテレビが先に来た町内の子供達の家で見せてもらっていたのだ。肩身の狭い思いだった。ちなみに、月光仮面は一年半、七色仮面は1年と大ヒット番組にも関わらず、当時のヒット番組の放映期間は意外に短かったのだ。

満を持して颯爽と登場したアニメ、鉄腕アトムや鉄人28号について・・・

これらは物凄く期待していたのだけれど、原作の漫画作品に比べると絵が非常に酷く、正直言って僕をガッカリさせた。そんな人も多かったのではないだろうか。それでも、アトムは初回視聴率27.4%、最高視聴率40.7%の高視聴率を叩き出した所謂お化け番組となった。鉄人も同様だ。それに、これらのアニメ番組は、それでもそれ以前の実写版アトム実写版鉄人28号よりは、うんとましだった。町内の友達の家のテレビで見た実写版アトムはなんと徳利のセーターを着ていた。これは、僕らを殆ど失笑させた。鉄人に至ってはドラム缶に手足をつけてバタバタしているようなお粗末な作りで、これに至っては鉄人ファンだった僕などは怒りさへ覚えた。

ちなみに、テレビコマーシャルの力が非常に大きなものだと証明したのもこの頃。マーブルチョコレートに入っているアトムシールが大人気となり、同様に丸美屋のふりかけも8マンシールで爆発的な売り上げを記録した。

実写でものすごく面白かったのは「隠密剣士」だ。
主人公が毎回ラストで敵の忍者軍団の秘術に大ピンチとなるのだが、次回の冒頭で敵を打ちのめす、、、という毎回同じスタイルを踏襲した番組。これが、実に飽きさせず子供たちを虜にした。このスタイルは大成功し、高視聴率をマーク。以後この種の番組制作の一つの定型となった。
月光仮面に続く主演/大瀬康一の甘いマスクも良かった。ちなみに大瀬康一の康は月光仮面の原作者川内康範の康からもらったもの。この川内康範という方は、知らぬ方はいないほど物凄い方で正に昭和を代表するモンスター級の天才クリエーターなのだが、それは又いつの日か・・・

さて、我が家にテレビがやってきたこの2年後の昭和39年に東京オリンピックが開催される。

この東京オリンピックは素晴らしく、野球、相撲、プロレスの3つしか知らなかった日本の子供達にスポーツという競技全体を強く浸透させた。また、閉会式で整列をせず、各国の選手達が手に手をとって自由に競技場になだれ込む様子はあるべき世界を連想させ、日本人のみならず世界の人々を感動させた。それは、今に語り継がれる名シーンとなった。

それを僕らはテレビで見ることが出来た。
テレビは、本当に僕ら昭和少年達に夢と希望を与えてくれたのだ。



<©2022もりおゆう この絵と文は著作権によって守られています>
(©2022 Yu Morio This picture and text are protected by copyright.)

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