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気負わず、気ままに作ることを、所ジョージに学ぶ
作る、という欲求
何かを作る、ということがしたい、と思っても、それを続けることは案外ハードルが高い。
「自分より遥かに上手い人がいるしな」
「こんなことやっても、仕事にも勉強にも足しにならないし」
「そもそも、ひどい自己満足だしな」
そう考えると、手が止まってしまう。
しかし、一方で、「作りたい」という欲求には何かがある。
これは、上記の、頭のなかの言葉になぞらえていうのであれば、
「別に
作品は、赤ん坊と似ている。
作品は、赤ん坊と似ている。赤ん坊は無垢に産まれてくる。赤ん坊は目的を知らない。ただそこにいるだけだ。盲目的であるとも言える。必死に母乳を求め、泣き、ひたすら眠る。そこには確かな充実がある。過去を振り返るということがない。昨日も明日もなく、ただおぼろげな記憶があるだけだ。その記憶は幸福であり、不安でもあるだろう。すべては曖昧に溶けあって、それでいて極めてはっきりしている。
作品をつくる日々を送ると、
空を眺めるだけの仕事がしたい、と彼女は言った。
「空を眺めるだけの仕事がしたい」
「どんなことでも仕事になるとしたら、何を仕事にしたいですか?」
そんな質問があって、妻と散歩しながら話しているとき、彼女が答えたことは、
「それなら、ただ空を眺めているだけの仕事がしたい」
ということだった。
何となく聞き流していたけど、色々聞いていると、どうも本当に「空を眺める」のが子供の頃から好きだったらしい。
しかし、最近はあまり空を眺めるようなこ