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エッセイ

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なにげない日常の思いを書いてみました。
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二十歳の頃の作品

二十歳の頃の作品

二十歳の頃堀辰雄の「風立ちぬ」を読みました。登場人物の節子が絵を描いている美しい風景が頭に残りました。「そうだ油絵を描こう!」
思いつくと絵に詳しい友人と一緒に大学近くの画材屋に行き、最低限の油絵の道具を選んでもらいました。

道具は揃いました。
週末栃木に帰省した折、小さな頃から通っていた教会のミサに行きました。神父様の肖像画を描いて誕生日に贈った青年がいました。絵が好きで学んだものの実家の家業

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上手宰さんの詩集

上手宰さんの詩集

上手宰さんの「香る日」を読みました。
定年後書き溜めた作品を65歳の時にお作りになった詩集だそうです。
宝石のような美しい世界が結晶になった作品でした。そうだね、そうだね、と頷きながら上手さんの世界の隣に立っている気がしました。

歳をとるということは悪くないです。
鏡を覗けば皺とシミだらけのお婆さんになった私。よくもこんな顔を人前にさらしているもんだと呆れたりします。
中身はちっとも変わってない

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いけばな「なにか一つの工夫」

いけばな「なにか一つの工夫」

2024.021.24

花は自ら見つけなさい。
先生がおっしゃる。

花とは
自分にしかない個性 自分らしさだとおっしゃる。
枯れてもなお美しいものを見つけなさい。

早く上手くなる秘訣なんてありません。
こつこつと花を生け続け 数をこなして学んでいくことしかできません。

花ばかり見ていてもいけません。
音楽や絵画などに接していきなさい。
先生がおっしゃいます。

自分の「花」をいける道のりは

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コタン小路

コタン小路

私が学生の頃、ラジオでユトリロ展が開催されていることを知りました。池袋だったか、デパートでの開催でした。白の時代、見たいと思いました。
ユトリロの描く白は様々でした。ユトリロは私の好きな画家になりました。私はアルバイトで貯まったお金で一冊の画集を買いました。

大学卒業を前に私はヨーロッパに行きました。パリにも行ったのはユトリロの絵を見たかったからです。
私はフランス語は一言も話せません。ユトリロ

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雅明のこと

雅明のこと

初めて雅明に会った日、その光景を鮮明に覚えています。雅明は祖母に抱かれて窓の日差しの中で眩しそな目で祖母を見ていました。病院の一室、ベッドで叔母が微笑んでその光景をみていました。私が3歳の頃の記憶です。

「もう少ししたらこの赤ちゃんはうちに来るんだよ。」祖母が言いました。
真っ白な産着を着たこの小さな赤ちゃんが私の家にやってきてくれる。私は嬉しくてたまりませんでした。毎日毎日赤ちゃんが来る日を待

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リルケの詩「秋」を生ける

リルケの詩「秋」を生ける

Herbst
Rainer Maria Rilke

Die Blätter fallen, fallen wie von weit,
als welkten in den Himmeln ferne Gärten;
sie fallen mit verneinender Gebärde.

Und in den Nächten fällt die schwere Erde
aus allen S

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顔

ずっと自分の顔が嫌いでした。
小学生や中学生の頃、男の子から顔のことで揶揄われたのがいつの間にか深い傷になっていたのだと思います。

私の目は一重の小さな目です。
「象の目」とか「眠そうな目」、そんなふうに揶揄われることが度々でした。おそらく言ってる方は悪意もなく軽い気持ちで言ったのでしょう。
けれど、自分ではどうする事も出来ない顔の事を言われ続けると自分でも気づかないうちに深い傷になってしまいま

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11月15日 

11月15日 

11月15日。七五三のお祝いの日。

私が小学生の頃は学校を休んだ生徒がいると給食のコッペパンを近所の生徒が休んだ生徒の家まで届けるのが決まりでした。

私が小学校1年の11月15日大半のクラスの女の子が学校を休んでいました。私は学校を休んでいる同級生の家にコッペパンを持っていくようにと担任の先生に頼まれました。
学校から帰ると大急ぎで私は同級生の家にコッペパンを届けに行きました。

同級生の家に

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アルハンブラ宮殿の思い出

アルハンブラ宮殿の思い出

高校一年の秋でした。いつものよつにNHKFM放送ラジオを聴きながら勉強していると美しいギターの曲が流れてきました。モノクロの世界、石畳を歩く足と石畳に写る影がはっきりした映像になって頭に浮かびました。その曲は「アルハンブラ宮殿の思い出」

翌日は幼なじみの高校の文化祭に行く予定がありました。吹奏楽に入っているので演奏を聴きにいく約束をしていたのです。
文化祭に行ってみると、吹奏楽の部長さんの友人と

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職場に届いた日章旗のこと

職場に届いた日章旗のこと

息子は小さな頃喘息が酷く私は仕事を辞めていました。息子が中学生になる時、以前働いていた職場から戻ってこないかと話をいただきました。
以前働いていた職場は125年史編纂室だったのですが無事125年史の編纂が完了し、学院史資料センターという名前になっていました。

ある日突然日章旗が学院史資料センターに持ち込まれました。
フィリピンに学徒動員で出陣し銃撃され亡くなった学生さんがポケットにしのばせていた

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ありがとうを伝えたい-2

ありがとうを伝えたい-2

薔薇の貴公子
バレンタインデーが近づくと、必ず思い出す大切な人がいます。その方は恋人でもなんでもありません。父親と同じ歳の叔父様です。

今から30年くらい前、私は職もなく辛いことばかり起きてどうしてよいのか先が見えない状態にいました。
大学の卒業生に送られてくる冊子に、たまたま受験生の書類を受けつけるアルバイトの募集があり、応募しました。幸運なことに採用され片道2時間半かけて2ヶ月ほどアルバイト

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100「詩」林檎酒

100「詩」林檎酒

 区切りになる100作目に何を書こうか考えました。去年10月、また詩を書き始めました。最後に書いた詩から30年近い月日が流れていました。
 今年の目標として、詩の推敲は二の次にして、200作品書くことを掲げました。
 半年近く経ってやっと辿り着いた100作目。

書けなくなる前の最後の詩は信濃毎日新聞主催のコンクールで優秀賞をいただきました。その詩を引用して、100作目にしたいと思います。
28年

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主の平和

主の平和

何をやっても上手くいかない。。。。

そんなふうに感じる時があります。

自分なりに、

ひたむきに生きてきた。。。

でも、

見下されたり悔しい思いもした。。。

無視されたり、ひどい中傷の言葉に傷ついたり。。。

信じていた者の、その思いを壊すような出来事に失望したり。。。

頑張れば夢が叶うなんて思いが、

どんなに現実味を帯びていないか思い知ったり。。。

1年前のスペイン、トレドでのミ

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自分の歩み方で、(ココア共和国に作品を掲載していただけました。)

自分の歩み方で、(ココア共和国に作品を掲載していただけました。)

去年の秋、およそ30年ぶりに詩を書き始めました。
学生時代、言葉を紡いでは商業詩誌に投稿したり、コンクールに応募したりしていました。特に当時あった商業詩誌「詩芸術」には毎回投稿し掲載していただきました。いただいた講評の言葉を大切に、ご褒美のようにたまにいただく賞が大きな励みでした。

生活の中でいろんな辛い出来事が重なり、ペンを執る気力もないまま、長い月日が流れました。
人生も後半になり、なにも残

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