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エッセイ

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なにげない日常の思いを書いてみました。
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野良猫さんが子猫を連れてやって来た(5)

野良猫さんが子猫を連れてやって来た(5)

ミケ子さんは元に戻され地域猫になりました。
子猫が保護されたことを知る由もありません。一晩中子猫を探して鳴き続けました。夜になると子猫が寄り添って寝ていたコンロの中や段ボール箱を覗きこんで鳴きました。
ミケ子さんのおっぱいもかなり張ってきました。

ミケ子さんが可哀想で不憫で私も一緒に泣きました。鳴き続けて4日目、ミケ子さんは少しずつ鳴かなくなりました。

ポンちゃんと仲良く1日の大半をうちのデッ

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野良猫さんが子猫を連れてやって来た(4)

野良猫さんが子猫を連れてやって来た(4)

翌朝、亀井さんが迎えにきてミケ子さんの入った捕獲器をそのまま連れていきました。10:00から避妊手術の病院の予約が取れているとのこと。
間も無くして、ミケ子さんが入院したと連絡が来ました。夕方4時退院の予定とのこと。

夕方退院。子猫の入ったケージとミケ子さんのケージを隣合わせに置いてくださっていると連絡がきました。良かった。また子猫たちに会えたね。

翌日、ミケ子さんは麻酔から完全に覚めました。

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野良猫さんが子猫を連れてやって来た(3)

野良猫さんが子猫を連れてやって来た(3)

6月22日、いよいよ捕獲の日がやって来ました。私が仕事から戻るのは夕方6時以降になってしまいます。少しでも早い時間がいいと思いました。職場に連絡して事情を話すと店長が快く早退するのを承諾してくれました。
私が働いているのはドラッグストア、ぎりぎりの人数で仕事をこなしていますので一人欠けることがどれだけ周りのスタッフに負担をかけるか充分に理解しています。それでも、周りのスタッフたちも快諾してくれまし

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野良猫さんが子猫を連れてやって来た(2)

野良猫さんが子猫を連れてやって来た(2)

私の住む町で保護活動をしていらっしゃる亀井さんについてお話しします。少し前まで私の住む小さな町ではまだ野良猫が物のような扱いを受ける状況にありました。亀井さんはその状況を目にしてこれではだめだと町役場に足繁く通い現状を訴えたそうです。でも遅々として改善されなかったようです。そこで、自分で動くしかないと保護活動を始めたようです。
見返りを考えず、私利私欲なく、生活を犠牲にして小さな命を守る姿を目にす

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野良猫さんが子猫を連れてやって来た(1)

野良猫さんが子猫を連れてやって来た(1)

なにか出来事が重なる日というものがあります。

6月15日、私は午前中に加藤拓未さんのバッハの講義、午後は横浜詩人会主催、詩人の松下育男さんの講演会に行く予定で以前からずっと楽しみにしていました。
早朝家事を済ませてバス電車を乗り継ぎ2時間かけて会場に着くと鍵がかかっていて誰もいません。
驚いて受付の方に伺うと講義は夕方17:30から時間変更になったのだとか。すぐにこの講義のお世話係をしているかた

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美味しいものはみんなで

美味しいものはみんなで

遠い昔、戦争中のお話です。

母方の実家は専業農家でした。
母は、11人兄弟、5人目にして初めて産まれた女の子でそれはそれは大切にされて育ったようです。
戦争中、上の4人の兄たちは戦争に行き、まだ10代の母が兄たちに代わって畑仕事などをこなしていました。

薩摩芋を収穫していた時、気づくと小さな子どもをおんぶした女性がいました。
「疎開でここに引越してきました。収穫出来ないような小さな薩摩芋をいた

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忘れられない思い出

忘れられない思い出

ほんの些細なことなのに忘れられないことがあります。
私は卒業した後絵本と児童書の編集だけをする小さな会社に就職しました。当時としては珍しく女性ばかりの会社で社員は10人足らず。加えて印刷屋さんのご実家から編集見習いで派遣されていた一学年歳上の青年がひとり。
社長はもと大手出版社S社から独立したのだそうです。それで、ほとんどの編集はS社から出版される書籍でした。

人数が少ない会社でしたので、最初か

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一言だけの優しさ

一言だけの優しさ

NHK朝ドラ「虎に翼」を見ています。
今朝のドラマでは寅子が法律事務所に辞表を出しました。家に戻りお母さん(石田ゆり子さん)に報告しました。報告を聞いてお母さんは、
少し間を置き「あっ、そう。着替えていらっしゃい。」と一言だけ。

「あっ、同じようなこと昔あった。」と咄嗟に思い出しました。

大学を受験した時のことです。
私は東京の大学を選びましたので、栃木から受験会場に行くのは難しく都内のどこか

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夢の延長線上

夢の延長線上

大学生の頃住んでいたアパートの下の階にヨシダさんという方が住んでいました。ヨシダさんは私の通っている大学を卒業した後W大学の文学部に学士入学したのだとアパートの大家さんから伺いました。
私はほぼ毎日夕方からアルバイトをしていましたのでアパートに帰り翌日の予習が終わるとたいてい深夜でした。そろそろ寝ようかと雨戸を閉めようとするといつもヨシダさんの部屋にはまだ明かりが灯っていました。

友人から新聞に

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繋がっていくもの

繋がっていくもの

人との繋がりの不思議に鳥肌がたつことがあります。カトリックには「神さまのお計らい」とか「神さまの御旨」という言葉がありますが、もしかしたら、神さまの考えたストーリーがひとりひとりにあって、最初から決まっていたストーリーで繋がっていくのだ、と思えるようなことがあります。

毎朝NHKFM放送で古楽の楽しみという番組を聴いています。この番組は昔「バロック音楽の楽しみ」という番組でパーソナリティを皆川達

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生花の違い

生花の違い

たまたま縁あって10年ほど前から草月流の生花を学んでいます。
Facebookでは草月流の世界中の作品がアップされています。よく観察してみると、ヨーロッパの人たちの作品と日本人の作品の違いがあるように感じます。どちらも美しく、優劣つけられるものではありません。優劣を超えて特徴的な違いに気づくのです。

生花は引き算の美学、フラワーアレンジメントは足し算の美学だと私の先生に伺いました。長く生活に溶け

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お元気で

お元気で

Mさんご夫妻がお嬢さんの住む神戸にお引越しなさるとのこと。
寂しくなります。

Mさんご夫妻は教会のミサにほぼ毎週いらしてました。私はあまり教会に行かないのですが、行けば必ずお会いすることができました。
小学校2年から聖歌隊に混じって歌っていた息子をことのほか可愛がってくださいました。社会人になり息子はほとんど教会に行かなくなりました。それでも、ミサでお会いするとMさんは、
「坊やちゃんはお元気?

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稲垣純也さんの写真

稲垣純也さんの写真

稲垣純也さんの写真

稲垣純也さんの写真が好きです。
noteに書いた私の拙い作品にもたくさん使わせていただいています。
書いた作品のnoteの見出しに使う写真が見つからない時、稲垣純也と検索するとたいていぴったりの写真に出会えます。

逆に、
稲垣さんの写真から作品が生まれることもあります。
一枚一枚、じっと見ていると、物語が生まれてくる。ごくありふれた日常のなかの切り取りが、日常でない世界に繋

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叔母のウェディングドレス

叔母のウェディングドレス

1965年ウェディングドレスの着用率が3パーセントだったそうです。
私の父方の叔母の話です。
私の父は長男です。母が父の元に嫁いだ頃まだ中学生だった叔母は嫁ぐまで同じ家に住んでいました。
叔母が高校生になり、毎朝セーラー服を着る光景を私は覚えています。叔母は私より16歳上ですから、おそらく、私が1、2歳くらいの記憶だと思います。
マンドリンクラブに入っていて、裸電球の下でマンドリンを弾いていたのも

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