ヨルシカの盗作と創作について考えたこと

ヨルシカの、主にアルバム名『盗作』と『創作』について考察します。

創作や盗作の「作」は「咲く」に掛かっている気がしました。
早々に咲く(そして早くに散る)から「そうさく」
とうに咲いていた(今に生きていない)から「とうさく」 とすると、
早くに亡くなった奥さんと、思い出に生きる盗作おじさんの事に思えます。

創作→生まれたもの→命
(広義の)盗作→創作の遺伝子を引き継ぐこと→延命
と連想すると、
妻の命(創作)を延命(盗作)する、という風に感じます。

春泥棒では命が桜に喩えられているので、
春=命
と思えます。
上に書いた「創作=命」と繋げると
春泥棒は創作泥棒、つまり盗作の事かなと。

創作は春の曲が多く、盗作は夏の曲が多いので、
春=命=創作
夏=延命=盗作
とすれば収まりが良いです。

盗作が倒錯とうさくに掛かってる(盗作おじさんの行動は倒錯的と思えるので)なら、
創作は捜索そうさくに掛かってる気がします。
創作を通じて、妻や思い出や美しいものを捜索していると。
盗まれた物を捜索する、と取れば、盗作と対になります。

「作」を盗む=「咲く」を盗む=花を盗む
とすると、『強盗と花束』や『春泥棒』に繋がります。
創作は「咲く」を創る、花を咲かせる行為でもある気がしました。


人偏に乍で作とおもうと、
人であり乍ら盗む(人でなし)で盗作
人であり乍ら創る(神様じゃないのに)で創作 と取れます。

「盗作と創作に大きな違いはない」(創作特設サイトのインタビュー)は、
畜生(人以下)と創造主(人以上)に大きな違いはないって事かなと。


盗作(曲)は歌詞に「足りない」「何一つも満たされない」とあるので、
1が不足=マイナス1=負のワン=負け犬 と取れます。

dog(犬)を逆さにするとgod(神)なので、
左右盲は、dogとgod、盗作と創作の違いが分からなくなったのかなと。
右も左もわからぬ夜は、
輪廻の中で繰り返されてきた(盗作されてきた)のか、初めてなのか不明な道を歩いている、とも取れる気がします。


「自らを負け犬と標榜する詩」はエイミーが書きました。(エルマの日記帳より)
エルマは「貴方こそが神様に近い」(貴方はエイミー)と書いているので、
負け犬(dog)が逆さになって神(god)になったのかなと。
マイナス1(藍二乗)を掛けると180度回転して逆さになりますし。
それか、水面に映って逆さまになったとか。
水中から見た日光が月光のようだったのは、朝が反転して夜になったと取れます。


盗作小説に「人間関係が白紙になった。何かが壊れる瞬間は美しい。」とあります。
白紙≒余白 とすると、
エイミーが余白を愛でる事と、盗作おじさんの破滅願望には通ずるものがあると思いました。

盗作の小説で少年はピアノを「鈴が鳴るみたいな音」と言います。
前世(曲)の詩での、箱から聞こえる鈴の音をピアノとすると『夏陰、ピアノを弾く』に繋がります。
風鈴が鳴る事を「夏陰がピアノを弾く」と表現したようにも取れます。
前世も夏陰もアルバムの1曲目なので、5曲目『飛行』『落下』みたいに対応してる気がしました。
盗作小説のラストも、鈴の音と袋の中にあったピアノで終わりますし。


創作の英題creationを並び替えるとreaction(リアクション、反応)なので、
創作も何かへの反応に過ぎない、盗作と大きな違いはない
と取れる気がします。


盗作小説に「初めて会った気がしないほどに馬が合った。」とあります。
創作の妻と盗作おじさんの馬が合う
創馬盗そうまとう
走馬燈そうまとう って事かなと。
生まれ変わり=馬れ変わり で、
馬が合う=生まれ変わり後に巡り合う と思いました。


盗作(アルバム)のインスト曲は、
自白は月光(ベートーヴェン)を引用してるから夜
青年期は朝(グリーグ)を引用
思い出の中は夕方を意識した曲 なので、
『夜行』に限らず全体で一生を一日に喩えてると思いました。
最初と最後の1つ前の曲が『昼鳶』『夜行』なのも一日っぽさありますし。


盗作では「まだ足りない」「美しいものを知りたい」と繰り返されるので、
「一つも満たされない」は、一つも美足されない、とも取れる気がします。
平仮名の「み」は「美」が簡略化されたものですし。

「麗」には鹿がいて、「美」は羊の象形です。
「夜は本当に綺麗だろうから」→麗しい夜→夜鹿→ヨルシカ と思いました。
「化けの皮」が剥がれて来る「見向きもされない夜」は、社会性(人間)が剥がれ動物部分だけ残った夜、夜鹿とか。

盗作おじさんは、羊の皮を被った狼なのかなと思います。
「満たすくらい美しい」→満たす暗い美しい→美しい夜→羊の夜
羊のモコモコ感は雲に似ていて、「夜の雲」(雲と幽霊)を連想しました。



盗作アルバムジャケットのコラージュした目は、奪った目と思えます。
盗作おじさんは、作品に作者の罪を持ち込む人の事を「真実の尺度に気付いていない。眼が開いてない」と言っています。
「昔から、美しいメロディには目が無かった」、音楽に目を奪われた盗作おじさんは、
盗作した音楽で眼が開いてない人々の目を奪い、その後面目をつぶす事で、穴を埋めようとしたのかなと。

「俺の眼はずっとあの日を見ているんだ」と盗作小説にあるので、
コラージュされた眼は、あの日(彼女と夏祭りに行った日)に目を奪われた、盗作おじさんの眼でもある気がしました。

「昔から、美しいメロディには目が無かった」は、代わりに耳と鼻が有ったとも取れます。
音は鳴ったし、夏の匂いはしたのかなと。
美しいメロディーには勝ち目がなかった、だから盗んだ、と思える気がしました。


盗の旧字は盜、㳄は涎(欠伸の水)の事らしいです。
レコードを盤と言うので皿とすると、
皿のものが羨ましくて盜む=レコードの歌を僕の物にする な気がしました。
水(氵)を欠いた皿で盜と思うと、
思想犯「喉が潤うその時を待ちながら」や、昼鳶「この渇きを言い訳にさぁ」に繋がります。

月光浴と欲
浴欲


月光を浴びていた(月光ソナタを浴びるように聴いていた)だけなのに、ある時には盗んでいた。
だから盗作に「欲じゃないことは覚えてる」とあるのかなと。
「音楽の切っ掛け」は、欲じゃなくて浴だったと。



レプリカントで、席を立ってから気付く「僕を描いたドラマ」は走馬燈と取れます。
「さよなら以外全部塵」だから、人生とのさよならである走馬燈は塵ではなくて、
「つまらないほどに薄い映画」(僕の人生)の良さが「その時にやっとわかる」と思いました。

「僕もその青さがわかる」は、年老いた時に見る青年期の青さと取れます。
アルバムでの前の曲が『青年期、空き巣』ですし。
空の青さ=空き巣してた頃の青さ かなと。


花に亡霊の「夏に咲いてる花に亡霊を」は、
花にぼう霊→花にほふ霊→花匂う霊 と思うと「夏の匂いがする」に繋がります。
「今も見るんだよ 夏に咲いてる花に亡霊を」「夏の匂いがする」は、花の匂いが幻覚妄想を見せるのかなと。
「心を亡れるほどの幸福」とある左右盲と同じ14曲目です。
妄という字は亡くなった女と書くので、
「風にスカートが揺れて」は、揺れる花を亡くなった女(亡霊)に見紛ってるように思いました。


以上です。
お読みいただきありがとうございました。