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本能寺の変1582 第55話 9光秀という男 3土岐氏 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

第55話 9光秀という男 3土岐氏 

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土岐氏は、清和源氏の一流である。

 すなわち、清和源氏 ― 摂津源氏 ― 美濃源氏という流れになる。

 以下、その血脈を示す(①~⑦)。

 ①清和天皇―貞純親王―経基

  この経基が源姓を賜った。
  初代である。

 ②源経基―満仲―頼光

源頼光が摂津源氏の祖とされる。

  頼光は、摂津国多田荘(川辺郡)を本拠とした。
 このことから、摂津源氏と呼ばれる。

土岐氏は、美濃源氏の嫡流家であった。

 頼光は、二度、美濃守に任じられた。
 したがって、美濃に強い基盤を有していた。
 それが代々に受け継がれ、さらに強固なものになった。
 これが美濃源氏である。

 ③源頼光―頼国―国房―光国―光信―光基―光衡

土岐氏は、鎌倉期に美濃に土着した。

 光衡の代に、土岐郡に住み着いたらしい。
 一日市場(ひといちば)に居館を構えたという(瑞浪市土岐町)。

光衡が土岐氏の初代とされる。

 以後、この住地を氏名とした。

 ④土岐光衡―光行―光定―頼貞

土岐頼貞の時、初めて美濃の守護になった。

 頼貞は、鎌倉末期~室町初期の人物である。
 元弘三年(1333)。
 倒幕に参加。
 足利尊氏(1305~58)に加勢、軍功をあげた。
 これにより、美濃の守護に任ぜられた。

 ⑤土岐頼貞―頼遠―頼康―康行

以来二百余年、土岐氏は美濃の守護を歴任した。


 ⇒ 次へつづく 第56話 9光秀という男 3土岐氏 








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