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本能寺の変1582 第56話 9光秀という男 3土岐氏 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

第56話 9光秀という男 3土岐氏 

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土岐頼遠は、足利尊氏の時代の人物である。

 足利尊氏は、室町幕府の初代将軍。
 鎌倉時代末期~室町時代初期(南北朝時代)の人。
 1305年(嘉元三年)生れ~1358年(延文三年)没。 

室町時代は、この尊氏から始まった。

 以下、尊氏の略歴を示す。

 1333年 元弘三年/正慶二年
  後醍醐天皇の倒幕に呼応。
  鎌倉幕府を滅ぼした。
  執権北条高時、自害。
  建武の新政が始まった。

 1335年 建武二年
  中先代の乱。
  北条時行(高時の子)が挙兵した。
  後醍醐天皇と対立。

 1336年 延元元年/建武三年
  尊氏、入京。
  後醍醐天皇は、比叡山へ逃がれた。
  北畠顕家により、九州へ駆逐された。
  湊川の戦いで、勝利。
  再び、上洛。
  後醍醐天皇は、比叡山へ逃がれた。
  光明天皇が即位、北朝が成立した。
  建武式目を定める。  
  後醍醐天皇は、吉野へ逃れた。
  南北朝時代が始まった。
   → 1392年(元中九年/明徳三年)までつづく。 

 1338年 延元三年/建武五年
  南朝軍、和泉国石津(大阪府堺市)で大敗。
  尊氏、征夷大将軍に就任。

 1350年 正平五年/観応元年
  観応の擾乱が起きた。
  弟直義と高師直の間の政治闘争である。
   → 1352年、正平七年/観応三年までつづく。

頼遠は、婆娑羅大名。

 土岐頼貞の第七子。
 生年不詳~康永元年(1342年)没。
 足利尊氏・直義兄弟に従い、数々の合戦で活躍した。
 歴戦の勇者である。
 暦応二年(1339年)、父頼貞、死去。
 兄が早世していたため、頼遠が家督を継ぎ、美濃守護となった。
 典型的な婆娑羅大名の一人。
 康永元年(1342年)、光厳上皇の行列に行き会った際、その牛車に
 矢を射かけるという狼藉を働いた。
 その時、つぎの様に言ったという。
 「何々、院(INN)と云うか、犬(INU)と云うか、犬ならば射ておけ」
 有名な言葉である。
 しかし、このことが露見し、同年暮れ、六条河原で刎首(ふんしゅ)され
 た。

室町幕府は、十五代、240年つづいた。

 1338年(延元三年/建武五年)~1573年(元亀四年)まで。
 この約240年間が室町時代である。
 以下、歴代の将軍を示す。

 代     名        在職          生没年 
 1    足利尊氏 1338~1358年  1305~1358年 
 2    〃 義詮 1359~1367年  1330~1367年
 3    〃 義満 1369~1395年  1358~1408年
 4    〃 義持 1395~1423年  1386~1428年
 5    〃 義量 1423~1425年  1407~1425年
 6    〃 義教 1429~1441年  1394~1441年
 7    〃 義勝 1442~1443年  1434~1443年
 8    〃 義政 1449~1473年  1436~1490年
 9    〃 義尚 1473~1489年  1465~1489年  
 10   〃 義材 1490~1493年  1466~1523年
 11   〃 義澄 1494~1508年  1480~1511年
 10再  〃 義稙 1508~1521年
 12   〃 義晴 1521~1546年  1511~1550年   
 13   〃 義輝 1546~1565年  1536~1565年
 14   〃 義栄 1568年       1538~1568年
 15   〃 義昭 1568~1573年  1537~1597年

  ⇒ 次へつづく 第57話 9光秀という男 3土岐氏 


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