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舞台のはなし

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観た舞台、演劇のことについて書きます。
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電力を自給するイーストロンドンの劇場「Arcola theater」(アルコラシアター)のこと

電力を自給するイーストロンドンの劇場「Arcola theater」(アルコラシアター)のこと

2011年の3月11日に、震災が起きた。

その2週間後くらいに、わたしは池袋の東京芸術劇場にいた。

だいすきな野田秀樹氏の舞台を観るためだ。

今でこそ何もかも忘れて浮かれたような電飾で明るい都内だけれど、当時は節電と、発電所の停止で、広告の電子掲示板やきらびやかな照明などがことごとく消え、くわえて文化芸術にまつわるイベントなどは、軒並み延期や中止になった。

そのさなか、『南へ』という野田秀

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地元の人に愛される「シビウ国際演劇祭」の魔法は、他の街でも効きますか?

地元の人に愛される「シビウ国際演劇祭」の魔法は、他の街でも効きますか?

タイトルは、演劇祭のプレスを務めるメリーラという女性にした質問。

魔法、という表現は、シビウの歴史と、毎年試行錯誤してたくさんのアーティストと各国から集まるボランティアによって手作りで運営されてきた土台について言及した彼女に「なぜそれが成り立つんですか」と聞いたわたしの質問に対する答えとして、彼女自身の口から出た言葉だった。

「地元の人に愛される『シビウ国際演劇祭』の魔法は、他の街でも効きます

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「そういう人がいてもいいよね」は多様性を受け入れたことになるのか|SICK! Festival report (3)

「そういう人がいてもいいよね」は多様性を受け入れたことになるのか|SICK! Festival report (3)

 → アートで誰かを救えるなら、その瞬間を目撃したい|SICK! Festival report (1)
 → マイノリティはどこにいる?|SICK! Festival Report (2)

「SICK! Festival」のコンセプトはその名の通り、「病理」「“病む”とは一体どういうことなんだろう」だった。

「SICK! Festival」に興味があったのは、演劇という言葉を使ったパフォーマ

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マイノリティはどこにいる?|SICK! Festival Report (2)

マイノリティはどこにいる?|SICK! Festival Report (2)

 → 前回|アートで誰かを救えるなら、その瞬間を目撃したい|SICK! Festival report (1)

満を持して飛び立った先は、イギリス。

目的は「SICK! Festival」の作品群を生で観ること。

「SICK! Festival」のコンセプトはその名の通り、「病理」「“病む”とは一体どういうことなんだろう」ということ。

けれど、一旦、この“病む”ことについては置いてお

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アートで誰かを救えるなら、その瞬間を目撃したい|SICK! Festival report (1)

アートで誰かを救えるなら、その瞬間を目撃したい|SICK! Festival report (1)

3月。

3週間ほど、イギリスで開催されていた「SICK!Festival」に行っていた。

そもそも。

なぜこのパフォーミングアーツの祭典へ行きたいと思ったのか?

何に惹かれたのか?

事の発端は、2016年5月初旬くらいだっただろうか。

選びたい道が、ランタンを灯した夜の山道のように、じわり、じわりと、見えてきた。

***

2016年の春は、思えば本当にグサリと刺さる出来事が立て続け

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マイノリティ・オブ・マイノリティ

マイノリティ・オブ・マイノリティ

3月6日からイギリスに入って、一体何をしていたのかというと、マンチェスターとブライトンで同時開催(プログラムはほぼ一緒)していた「SICK!Festival」に観客として参加していた。

フェスティバルのさなか、日本人には一人も、会わなかった。

本当に、一人も。
もしかしたらいたのかも知れないけれどわたしは気づかなかった。

アジアの国が母国かな、と思う人もちらほらいたけど、韓国人アーティストの

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さすがに雨が降って寒い中、市街地を東西横断して舞台3演目観たら疲れた…今日はもう寝る……

イギリスの「SICK! Festival」が気になる理由

イギリスの「SICK! Festival」が気になる理由

2017年の3月に、イギリスのブライトンという街で、「SICK! Festival」というお祭りがある。

お祭りというか、イベントだ。

「SICK! Festival」は身体、精神、そして社会に対する解毒剤のようなフェスティバルです。芸術と健康にまつわるプログラムの中でも、最も重要な点は、このフェスティバルは、研究者、医療従事者、慈善団体、そして私たちが取り組む心身に関わる病気や課題をすでに経

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“死ぬのはいつも他人”だけれど/劇団コルモッキル『哀れ、兵士』

“死ぬのはいつも他人”だけれど/劇団コルモッキル『哀れ、兵士』

観劇後、ショックのあまり客席から立てないということを数回経験したことがあるのだけれど、『哀れ、兵士』もそのひとつ。

正論で人は救えない。
希望もない。
夢もない。

あるのはただ理不尽な現実と「死にたくない」という気持ちだけ。

『哀れ、兵士』は、韓国の劇団コルモッキル、演出家のパク・グニョン氏がつくる、4つの戦争の物語。それらは筋書きが重なり合うことはないけれど、ほとんど実際にあったテロや戦争

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息が詰まるほど暑い日、事切れた青春|マームとジプシー「cocoon」

息が詰まるほど暑い日、事切れた青春|マームとジプシー「cocoon」

力いっぱい走ると、喉元まで心臓が飛び上がってくるんじゃないかというほど強く脈打つ。

死角から突如背中に銃を突きつけられたら、きっと、心臓はやっぱり喉元まで急上昇して自分の血が何色かを見る前に死んでしまうだろう。

いったい、何人の、女の子、が、自分の血の色すら知らずに、死んでいったのでしょうか。いったい、何人の、女の子、が、自分の心のざわめきの成り行きを見届けられずに、ときめきのとの字も知らずに

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40年前から、ここは"ニッポン"ではない-富山県利賀村とSCOT-

40年前から、ここは"ニッポン"ではない-富山県利賀村とSCOT-

40年。

40年だ。

わたしが今の倍生きて、やっと届く年月。

その間、ずっとこの過疎地帯の山間部で、多くの俳優と制作部隊が、日本だけでなく世界中の演劇好きたちを集め、刺激を与え、輩出してきた。

おだやかな川べりを、昨晩より湿気を帯びた暑さのなか、こみ上げてきたものを抑えきれずにゆっくり歩いた。

なんてこった。

わたしがイメージしていた世界――国境を越えて、言語だけでは通じえないコミュニ

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DULL-COLORED POP「演劇」|自分のキャラに裏切られ、救われるということ

DULL-COLORED POP「演劇」|自分のキャラに裏切られ、救われるということ

恥ずかしながら。

演劇フリークのはしくれでありつつ、その劇団の名前は解散直前になって知った。

DULL-COLORED POP(ダルカラードポップ)。ダルカラ、と略される谷賢一氏率いる若手劇団は、王子小劇場で行われる『演劇』という作品を区切りに活動休止に入る。

なぜ、初見の劇団を観に行く気になったかというと、Twitterにて、わたしがその動向を追っている演劇ジャーナリストたちがこぞって高評

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そういえば。わたしがはじめて蜷川演劇を観たのは「十二人の怒れる男」@シアターコクーンだった。突然不登校になったわたしを元気付けようと、母が連れて行ってくれたんだった。あれがもう、7年前……衝撃でしかない……