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マイノリティはどこにいる?|SICK! Festival Report (2)

 → 前回|アートで誰かを救えるなら、その瞬間を目撃したい|SICK! Festival report (1)

満を持して飛び立った先は、イギリス。 

目的は「SICK! Festival」の作品群を生で観ること。

「SICK! Festival」のコンセプトはその名の通り、「病理」「“病む”とは一体どういうことなんだろう」ということ。

けれど、一旦、この“病む”ことについては置いておいて、違うことについて。

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違うことというのは、“マイノリティ”と呼ばれる人たちのこと。

「SICK! Festival」は、何かしらの病気や苦しみ、辛さを抱え、それらを解き放ったり癒したり、観客自身の病の正体を突き止めるためのフェスティバルという一面があった。

そういった病を抱えている人は、決して少なくない。けれど、病に対して自覚的な人、さらには自ら開示しようとする人は、きっと多くはない。

例えば「SICK! Festival」に来た観客の多くは、イギリス国民全体に対して、マイノリティとして括られる人々かもしれない。

例えば劇場を見渡す限り観客がイギリス人ばかりだったとして、日本から「SICK! Festival」を見に来ているわたしは、やっぱりマイノリティだろうか。

人種で区切れば、一目瞭然。数を数えれば確実にマイノリティだった。

でも、違う区切り方をしたら、もしかしたらマイノリティじゃなくなるかもしれない。

「GODS GUIDE」という演目では、Claire Cunningham(クレア・カニンガム)という女性アーティスト(彼女は足が悪いという“病”を抱えている)がティーカップを使うパフォーマンスをしていたのだけれど、宗教についていろいろな国の人に聞き取りをする中で「お茶だけはどの国も宗教も共通しているものだった」というエピソードからインスピレーションを受けた演出だった。

彼女は金縁で豪華に花柄がついたティーカップから、簡素で真っ白なカップ、レモン色の少し大きめのカップなど20個くらいのカップを、滑らせたり重ねて積んだり、カップを伏せて床に散らして置き、松葉杖を使ってつま先でカップの底面をスキップしながら飛び回ったりした。

わたしはカップのふちが床の上を滑って奏でる、かすれたようなソプラノ音を聴きながら「確かに訪問して、今までお茶がなかった国はなかったな」と思い出した。

もし、人を区分する方法が人種や出身国、宗教ではなく「国産のオリジナルのお茶がある国」だった場合、宗教や国籍で区分した場合はマイノリティになる人々が、マイノリティではなくなるかもしれない。

それは、希望でもあり、同時に「人の何を見るか」を突きつけられる出来事でもあった。

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分かりやすさは大切だ。

「ぱっと見日本人であること」は、コミュニケーションを円滑に進めるためのテクニックだと思うし、わたし自身そう思っている節がある。

でも、それだけではくくれない、こぼれ落ちた要素がたくさんある。

「分かりやすさ」からはみ出てしまった、言葉にしてこなかった、わたしの一部。

それらがもしかしたら、遠い国の、何の縁もゆかりもない土地の、知らない人とシンクロするかもしれない。

その可能性を、どうして簡単に切り捨てられようか。

見たことも聞いたこともない国、文化、ひとを自分ごとに考える方が難しい。

でも、日本でも、マイノリティとしてひとまとまりにされているひと、もの、ことはいくらでもある。

そのマイノリティたる要素は、時に付加価値になり、時に意図的に排除される要因になり、時に無視される。

線引きを薄く引いて、はみ出たものを拾い上げるための余白を空けておくには、勇気がいる。

受け取る側の「わたし」が積み上げて来た世界が、崩壊させられるかもしれないという恐怖と疑惑が拭いきれないから。

たとえば、観劇後に劇場でポツンと座っていたわたしに声をかけてくれたイギリス人の女性は、ひと懐っこそうな笑顔のご婦人だったが、彼女が声をかけてくれなかったら、わたしも演目が終わればすぐに立ち去っただろう。周りの人も、あんなに声をかけてくれなかっただろう。

相手を疑ぐるという行為は、自分を守るための手段でもあるから「マイノリティを全員受け入れろ!」などという思想は「マイノリティは全員排除しろ!」と同じレベルの暴力であり、無意味。

ただ、「人を何で見るか」によって、マイノリティはマジョリティに、マジョリティはマイノリティに分けられうるということは、わたしは覚えておきたい。

同時に、その「何で見るか」の“何”が、わたし自身が固執している価値観だったり世界だったり、凡庸な思い込みだったりするから、厄介なのだけれど。

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