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マイノリティ・オブ・マイノリティ

3月6日からイギリスに入って、一体何をしていたのかというと、マンチェスターとブライトンで同時開催(プログラムはほぼ一緒)していた「SICK!Festival」に観客として参加していた。

フェスティバルのさなか、日本人には一人も、会わなかった。

本当に、一人も。
もしかしたらいたのかも知れないけれどわたしは気づかなかった。

アジアの国が母国かな、と思う人もちらほらいたけど、韓国人アーティストの作品を見守る観客席で見かけたくらい。

マンチェスターはヨーロッパでも有数の学生街だから中国人や韓国人の留学生はたくさんいる。

しかもアートを専門に学べる大学もあるから、結構アジアのひともふつうにいるもんだと思っていたけど驚くほどわたしだけ。

“アジアのひと”などと乱暴にひとくくりにするのは本意ではない。でも、パッと見ではそんな印象だった。

それに、劇場に行くたび、二度見されることも稀ではなかった。

“見られる”ということは、一人旅において珍しくない。でも、イギリスでの“見られる”は、ちょっと違った。しかも、SICK!Festivalは病理をテーマにしているアートフェスティバルで、観客自身も鬱病だったり薬物依存で悩んだ経験があったりジェンダーやセクシュアリティに悩みを抱えた人だったり、多くの観客がテーマの当事者として参加しているのが特徴。

そんななかに、黒髪ぱっつんの女の子(彼らから見たら確かに“女の子”)がぽつん、と一人。

緊張しなかったと言ったら嘘になる。でも「観たくて来るのは自由だ」と思えば、だんだん気にならなくなった。

それに「前も来ていたわね?」と劇場の受付の女性ににっこり笑って声をかけてもらったり、観にきていた人たちが声をかけてくれて話すことができたときは、とてもうれしかった。

そして、彼らの多くが心理学者や精神科医、カウンセラーやキュレーターなど、ある種“界隈の人”であるということも、その時知った。中には学生もいたけれど。

ぜんぶで20作品くらい観ただろうか……日本でもこんなに演劇三昧だったことはない。

1日で複数の作品を観るために、バスとタクシーを駆使してマンチェスター市内を駆け回ったのは、ちょっとした冒険だった(なにせバス停や道路が工事されてばかりで正規ルートのバスが全然つかまらなかったから)。

わたしは英語がまったくもって完璧ではないので作品のディティールは取りこぼしてしまっているけれど、それでも開演前に作品についてのディスクリプションが配られたり、アーティストを事前に検索して情報を得た上で観に行ったりしたから、なんとか作品の大枠と、あとは自分にぶっ刺さる言葉や世界だけは、ギリギリ、拾い集められた気がする。

SICK!Festival開催中に知った意外なことの一つは、ここまで観客参加型のパフォーミングアーツのフェスティバルは、イギリスでさえ珍しいのだということ。

イギリスといえばもはや言わずもがなだけれど、ウィリアム・シェイクスピアの母国であり、舞台芸術の最先端を今でも走り続けている国。

風土として、舞台の存在が根付いている。

わたしと同世代はどうだかわからないけれど、日本人に「源氏物語の台詞をひとつ言ってみて」と聞くのと、イギリス人に「シェイクスピアの脚本の台詞をひとつ言ってみて」と聞くのでは、後者の方が回答率は圧倒的に高い気がする。「To be, or not to be.」なんて、もはや日本人でも知っている。

そんな国でも、パーソナルな“sick”をテーマにした途端、表現方法はアートと言えども戸惑うのかも知れない。

自分の、病的部分に触れることは、タブーに近い。それを病的と呼ぶべきかどうかは検討の余地ありだけれど、誰にでも触れられたくない、見たくないパーソナルな部分が、きっと何かある。

それらに触れずに、開示せず、蓋をしていたままだとだんだんと腐臭がしてくる。でも綺麗な思い出とか身なり、体裁や建前という名の香水でごまかして、年老いて、そのまま死ねたらいいけれど、たいていの場合、そこまでたどり着けず、うまくいかない。

その腐りかけた臭いが我慢できなくて、思い切ってこじ開けた自分の病理は、取り返しのつかない“頑固さ”や“不信”や“不安”になって自分を襲う。

わたしは、何か大変に思いつめた出来事があってもネタにできちゃうと思ってしまうから、どんなに傷ついても苛々しても悲しくても、今自分がどう感じているか、どういう行動を取っているかつぶさに観察してしまう。客観視する自分を捨てられない。心丸ごと没入できない。

そうやって、安い劇的な何かをぱぱぱっと積み上げていながら、やっぱり自分に蓋をしたものに対しては、いつも向き合うのに時間がかかる。

即興的なものへの観察眼だけでは足りない。劇的な変化やドラマティックな展開にもならない、地味で、時間のかかる、目立たない作業だから。

そういう忍耐や辛抱の末に、やっとここでなら分かち合えるかもしれないという希望の時間だった。「誰かと分かち合えるなら怖くない」「ここでなら蓋を開けられるかもしれない」と思える場が、あの劇場の中だった。

自分から漂う病理の腐りかけた臭い、もしくは腐らずともなんとなく放置してしまっている、自分の片われを、劇場という閉ざされた空間だからこそ、思い切ってオープンにできる。

「話す」は「離す」「放す」こと。

いつだか誰かが教えてくれた言葉を、泣きながらアーティストとしゃべり、少しスッキリとした顔をして帰って行く観客の横顔を見ながら、感じずにはいられなかった。

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