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ふたつの『サロメ』  前編


ロウソクの明かりをたよりにオスカー・ワイルドの『サロメ』を読んだのはいつのことだったか。


たしか、その日はゴールデン・ウィーク中の平日で、例年は有給休暇の消化で休んでいたのだが、その年は、連休明けに業務がつまっていたので、いくつか残した仕事をしに出勤していた。

出勤している人もまばらで、電話やメールがこない中で集中して仕事をしたせいか、夕方の4時くらいにはいったん区切りがついた。ふだんもなかなかこんな時間に仕事が終わることはないので、ちょっとどこかに立ち寄ってみたくなった。

いつもの百貨店や本屋、カフェはあまり芸がないなあと思っていたところ、その年、ある文学賞を受賞した作家が、本を読むときは新宿のパークハイアット東京のラウンジを利用している、静かで集中して本が読める、とインタビューで語っていたのを思い出して、そこで本を読むことにした。

とはいえ、家を出るときには、そんな予定はなかったので、何の本も持っておらず、職場近くの本屋に立ち寄っていくことにした。しかし、心惹かれる本がなかなか見つからず、本屋をウロウロするだけで、時間が過ぎていった。

今日は本選びが目的ではないとは思いながらも、格式あるホテルのラウンジで読む本が、なんでもいいわけではないような気もしているうちに、時計の針は5時をまわっていた。

気がつくと、岩波文庫の本棚の前にきていた。ちょうどゴールデン・ウィークにお勧めの本が平積みになっていて、その中で、赤色の地に黒で熱帯植物のような何かが描かれたおどろおどろしい表紙の本が目にとまった。オスカー・ワイルドの『サロメ』。

そういえば、気になりながらも読んだことはないし、100ページ前後の薄い本でもあるので、ちょうどいい気がした。もちろんホテルのラウンジで読むものとして遜色ないという、今となってはよく分からないこだわりも満たした。

急いでホテルに向かったものの、職場からは交通の便が悪く、隣の区にあるのに40〜50分ほどかかってしまい、到着したときは6時をすこし過ぎていた。

ホテルにはいくつかのラウンジがあり、作家が本を読んでいるというラウンジがどのラウンジだかわからないまま、最上階近くにあるラウンジまで、エレベーターであがってみた。

すると案内のスタッフから、夜6時以降はバーラウンジになると言われた。ふだん、あまりこういったところに足を運ばないため、その案内の意味がすぐにわからなかったのだが、席に案内されたとき、この時間に来たことは失敗だったと気づいた。

ホテル最上階のバーラウンジといえば、仕事帰りのカップルばかり。しかもそういうところは、照明が暗い。本来ならば、窓際のラウンジ席を案内してもらったことは幸運なのだろうが、窓の向こうは夜景で、一層暗い。

テーブルにあるガラス瓶に入ったお飾りのロウソクは、外の夜景をながめながら顔を寄せ合う恋人たちの瞳を写しだすことには適しているが、岩波文庫の小さく薄い印字の文字を読むには、まったく適していない。

場違いなところに来てしまったという負い目が、心のなかでふくれあがっていった。そして、時間的にもお茶やコーヒーを注文しにくい状況。飲みなれないグラスワインとドライフルーツを注文して、とりあえず、本を開いてみる。

周囲の状況に集中できなかったものの、せめて本を読んでいるフリだけはしようと、文字だけは目で追っていった。ところが、この『サロメ』、戯曲で、脚本仕立てになっているため、文字が少なくて思ったより読みやすい。いつのまにか本の世界に引き込まれていた。

* * *

オスカー・ワイルドが、新約聖書の聖マタイ伝にある記述にその材をとったと言われている『サロメ』。

ユダヤのエロド王によって捕らえられた預言者ヨナカーンに恋をした王女サロメ。しかし、その想いは拒絶される。

サロメはエロド王の妃の連れ子で、義父から色目を使われていることを利用して、褒美になんでも与えるということを条件に、義父の前で官能的な「七つのヴェールの踊り」を披露する。そして、恋しいヨナカーンの首を所望する。

サロメは、運ばれてきたヨナカーンの首に口づけし、「私はたうとうお前の口に口づけしたよ、ヨナカーン、お前の口に口づけしたのだよ」(福田恆存訳 岩波文庫)と囁く。それを見たエロド王は「あの女を殺せ」と命じ、兵士たちに胸を刺されて、サロメも息絶える。

ページの途中途中にはまれている表紙と同じようなおどろおどろしい挿絵が、暗がりの中のロウソクに妖しく照らし出される。

なかでも、「私はたうとうお前の口に口づけしたよ、ヨナカーン、お前の口に口づけしたのだよ」と囁くクライマックスのシーンには、メデューサのような黒髪のサロメが宙に浮いて、血のしたたる生首のヨナカーンに口づけをする、あの有名な絵がおかれていた。

ヨナカーンの生首の下には血だまりから咲く蓮の葉なのか百合なのか、それとも架空の植物なのかが配され、サロメのバックにある魚のウロコのような模様は東洋の妖怪さながら、サロメのこの世のものとは思えない狂気を表している。

挿絵がかもし出すどす黒い不思議な世界こそが、このクライマックスをクラマックスたらしめ、テキストで語られる以上にこの物語を物語っていた。

* * *

こんな信じがたいサロメの狂気とギリシャ悲劇にも通じる救いのない結末に、胸がおしつぶされる。どれくらいの時間がたったのか、ふと顔をあげると、そこには、夜景を眺めながら、楽しそうに歓談している現代の恋人たちの姿があった。

その雰囲気にホッと胸をなでおろしながらも、とはいえ、人間のこと、この恋人たちの間にだってサロメのような狂気はあるはずだという思いで、その様子を眺めた。彼らがこんな悲劇をむかえることがないようにと祈りながら、最後のグラスワインとドライフルーツを口に放りこみ、ラウンジをあとにした。


それから『サロメ』を読み返すことはなかったけれど、つい最近、本屋でこのクライマックスの挿絵を表紙としたもう一つの『サロメ』を見つけた。作者は原田マハさん。

原田マハさんといえば、六本木ヒルズの森美術館やニューヨーク近代美術館のキュレーターとして勤務した経歴を生かし、画家や絵画などを題材とした小説を手がけている作家。

あのバーラウンジで読んだ妖しくも悲しい『サロメ』が記憶によみがえり、聖書の記述を、あのワイルドの戯曲をどのように料理したのかに興味が湧き、読んでみることにした。

・・・後編に続く・・・




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