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成長や成功を「高さ」ではなく「立体的」に捉えたらたちまちラクになった話

この数カ月、自分の成長や活かし方について考える中で、
気づいたことがあります。
それは、「成長・成功・目標=高みを目指す」とは限らない
ということ。

結構頑張ってきた私が悶々としていた理由

文脈的に必要なので書かせていただきますが(すみません・・・)、
私は昔から優等生で、
いわゆる成績優秀で頼りにされる人間でした。

そして結構がんばってきた方のようです。
(自覚はなかったけど、最近のコーチングや
 ストレングスファインダーの分析などを通して気づきました)

▽ストレングスファインダーをやってみた話はこちら

▽コーチングを受けて気づいたことはこちら


そんな私、自己肯定感も効力感も低いわけではない。

その一方で、どこか胸を張れない自分がいたんですよね。
「もっと何かを成し遂げなくてはいけないんじゃないか?」
「もっと成長しなくちゃいけないんじゃないか?」って。

私はいつもあれこれ興味をもって取り組んで、
そこそこ器用だから結構それなりにできるようになって、
でも熱しやすく冷めやすいから、
次のターゲットへと興味が移る。

やばい、私のやりたいことってなんだ!?
極めるべき道はどれだ!?
ここって決めて上を目指してみたものの・・・
あれ、ワクワクしないぞ?
違うのか?ここじゃないのか??

そんな自分は
「もっとできたはず…って思いながら死んでいくのかな」
とすら思ってた
んです。(まじめな話)
もはや闇。

だけど、気づきました。
私をそう思わせていたのは、
「成長・成功=何か一つを極めて高みに行くこと」
だと思い込んでいた
のだ、ということに。


「面積を広げる」のも成長の一つ

「肩書き」ってありますよね。
言い換えれば、あれって
「何をしている人か」
「何が得意か」
「なんのエキスパートか」ってこと。
実は結構悩む人が意外と多い気がするんです。

ライターとして活動する中で、
気になるメディアのライター募集があっても、
「○○ライター」という専門性に欠ける私は
結局応募を見送るってことが少なくない。

堂々と胸を張って
ピンの立った「肩書き」を掲げられない私は、
何も成し遂げていられないのではないか?
私は何屋さんなのか?
認められないのか?
ニーズがなくて、価値もないのか?
(言い過ぎ?)

けど、今朝ふと思ったんですよね。

人って、どれだけ高みにいるか、という
高さで測るだけではないよね、って。

Z軸の上の方にプロットされる人=成功じゃなくて、
X軸とY軸がなす平面を広~く網羅することも
確かな一つの価値であり、
それだって十分な強みと成功になりえる
だろう、って。


勝手な「あるべきイメージ」を解放したら超楽しい。

今月から記者として携わっている媒体は、
媒体の意図に沿っていれば
自分で取材先を見つけて、
編集部にOKを頂いた上で
取材・執筆ができるのですが。

自分の興味があるものを選んで
毎日ジャンルの違う相手の話を聞いて、
「ひゃ~楽しい~!」って感じなんです。

ある意味、自分の興味のままに案件を選びながら
その日暮らしで仕事している。

「あちこち移ろう自分の興味に正直に、
 フットワーク軽く触れられること」
「超わかりやすく
 目の前の人の役に立てること(感謝を直接受け取れる)」
「私がいいと思ったものを直接発信できること」
「好きなものを引き寄せて、
 苦手なものは遠ざけておけること」
・・・これが全て満たされている。

たぶんね、ちょっと前の私だったら
こう思っていたと思うんです。

道を決められない=覚悟がない
高みを目指さない=逃げてる
浅く広く=フワフワしてる
選んだことしかやってない=甘い

だけど、この2週間で着々と人とのつながりが増えて、
「ライター」ではなく「記者」としての取材方法や
文章との付き合い方も新たに学ぶことができている。

一つを極めなくても、
道を狭めなくても、
新しい世界やスキルを
確実に手にすることができている
んですよね。


日本では(というと言い過ぎかもしれないけれど)
「目標」は山のてっぺんを目指すようなイメージで語られがちで、
しかも目指す頂上は一点で、
高ければ高いほど称賛されるような空気があるけれど、
もっと立体的に「目標」や「成功」を捉えられたら、
ググ~ンとラクになるし、
どちらかというと、そっちが本質な気がする
んですよね。
(って、今朝腑に落ちた人間が言うのは恐れ多いですが!)

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