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(21)【実録】66歳と310日目の免許合宿 (その4)
6月20日(第6日目)くもり
10時31分のバスに乗り11時前に教習所に着く。
今日は6月18日(第4日目)に巨体女性教官からプレゼントされた「追加技能講習」の2時限のみだ。従って、たっぷり余裕時間もあり、学習室でこれまたたっぷり模擬問題に向かうことができた。この頃になると「学科」については相当の知識が、一時的だと思うが頭に入ったと感じるようになっていた。「学科」試験は○×方式なので、「質より量
(18)[実録]66歳と310日目の免許合宿(その1)
老人は東京駅から電車で30分ほど、さらにバスで10分ほどの郊外に住んでいる。
この辺りは、まだ下水道が完全整備されていなくて、すべての雨水や汚水は駐車場や庭に埋められたタンク(浄化槽)で、浄化して下水として流される。3ヶ月に一度、そのタンク点検・掃除に業者がやってくる。
まだ仕事をしていた頃のある日曜日の9時過ぎ。
「ピンポーン」とチャイムが鳴る。
「○○といいます。浄化槽の定期検査に参りました
(17)注文の多い奥さまたち
老人は思う。
歳を重ねていくうちに、どうしても夫婦間で、意見の相違や行動の変化が生まれ、ときには齟齬をきたす場面が多々発生してくる。
その原因の大部分は、歳とともに変化していく個々人の価値観が赤裸々となり、相手とのズレをより大きく意識したり、感じることにある。違和感ぐらいで済めばいいが、拡大すれば闘いにもなる。
本来、出会いそして結ばれたときには、お互いを尊重し、お互いを認めるのが「当たり前」と
(16)ご当地ソング
老人は学校を卒業し、新入社員ながらも同時に「転勤者」という形で東京に住むようになった。
山と海に挟まれた細長い街から、建物だらけの大都会へ来た実感をひしひしと味わった。
中野駅から徒歩15分程度の6畳1間のアパートに住んだ。
家賃は確か当時5000円くらいだった。(初任給が35000円くらい)
まだコンビニもなくスーパーでさえ珍しい時代であった。
仕事から帰っての夕食作りなんてあり得ないと、
(15)しんどい年賀状
老人は年も明けて落ち着いたある日の午前、再度ゆっくりと年賀状に目を通していた。
年賀状のやり取りをしてもう何年になるだろうか。
小学3~4年ぐらいから始めたのだろうか。
社会人となって上司や同僚宛に年賀状を出すことは、当時極めて普通だった。
東京本社に入社した頃、年始式が終わり、席に着くと同僚の女性が「あなたに頂いた年賀状、面白くて私の甥っ子が欲しいといって手離さなかったのよ!」と。
『よし、や
(14)どういたしまして
老人は、駅近くの本屋さんに頼んでいた本を受け取りに来た。
帰り道、ときたま入るセルフのコーヒーショップに入った。
ブレンドを呑みながら、買ったばかりの本を開き、タバコを一服大きく吸った。
飲み終えて、容器を戻そうと席を立っ。
バイト風の女性店員と目が合った。
「はい、いただきます」とトレイを受け取ってくれた。
「あっ、ありがとう。おいしかった!」
すると、そのバイト風女性がひとこと、
(13)パリの妖精(あとがき)
最後の最後で「彼女への愛」に気づいた自分が許せない。
恥ずかしい話だが、私が彼女と出会い、心が引かれていっているのは、自分でも明らかに分かっていた。
また彼女も私に好意を抱き、二人が日に日に強く結ばれていくことも自然の流れだと思っていた。
しかし、彼女と一緒のときは何も気にしなかったのに、別れたあと、どうしても彼女の障害のことを考えてしまう。
そこには一歩引き下がった卑怯な自分がいる。
『どこ