(27)見てはならぬ夢


老人には本当に見たくない夢があった。
誰しもひとつやふたつはあると思うが、こればかりは本人でない限りその嫌悪感がわからない。
戦争体験なんてまったくないのに、戦闘機に追っかけられて機銃弾を浴びる夢や、大地震で住居が無残にも壊れて必死に逃げていく夢など、定期的とはいわないが一年に最低1~2回は見る『見てはならぬ夢』だ。

大学時代の話である。
大学は経済学部と決めていたので、経済学部のある大学を3つ受験した。そのうちの1校は有名国立大学であり、自分の実力では、どう考えても無理だった。何かの処理間違いを期待するだけの受験だった。
その次が本命としていた私立大学で、歴史もあり環境もよく、それなりの立派な大学であった。
最後が、いわゆる「保険」とか「滑り止め」などと言われた、ほぼ間違いなく合格しそうな大学だった。
結果は見事に「保険」が有効に働いた。
今考えれば、これまでの自分の人生においては「学部」なんてほとんど無関係で過ごしてきたのだから、「学部」を取らずに大学の「名前」を優先すべきだったかも知れないと思う。まあ、もうどうでもいいことだが・・・。

大学には家から電車を2回乗り継ぎ、約1時間半から2時間ぐらいかかる。
家を出て暮らすという考えは、選択肢にはなく通学が普通だと思っていた。
1年のときの主な必須科目は、英語-Ⅰ、Ⅱ、第二外国語の仏語-Ⅰ、Ⅱ、経済英語原書-Ⅰであり、「出席」が必要であり(どの教科でも本来はそうであるが)さぼるわけにはいかない。
だが、それらの必須科目は不思議と朝一番のタイムテーブルに数多く組み込まれており、8時30分には講義が始まる。

その時間のスタートとなると、家を少なくとも6時30分頃には出かけないといけない。今までの高校生活では考えられない。
しかし朝早く起きるのは何とか頑張ればできる。
問題はその時間帯がラッシュアワーのど真ん中であるということだ。
「超ギュウギュウ寿司詰め」状態であり、臭いおっさんらに囲まれ、手足の自由も剥奪されまま、電車の動きになすがまま、約一時間以上の地獄を我慢しなければならない。
純粋で素朴な青年には到底我慢できる世界ではなかった。

入学後1ヶ月ぐらいは欠席する勇気もなく第1時限を精一杯頑張ったが、直ぐに限界がきた。
『せっかく大学に入学したのに! もっと自由を! もっと楽しみを!』

そして、ついにやった。
すべての必須科目を、何らかの「言い訳」を自ら編み出し、「休講だ」と言い聞かせてさぼったのである。

必須科目以外の講義は、出席確認もしないし、教授も手抜きだし、講義ノート写しもある。単位を取るにはどんな方法を使っても試験で合格点を取ればOKだ。従ってこれらの科目は、気が向いたときや友人に会うときだけの出席となる。

問題は先に述べた必須科目の出欠確認だ。教科により、氏名を「出席カード」に記入して提出するか、教授の呼び声に大きな声で「はい!」と返事するかである。「代返」というものは知ってはいたが、現実には、見たことも聞いたことも頼まれたこともなかった。

ひたすらアルバイトに精をだし、ジャズ喫茶に出入りし、気の合う友人と一杯やる。
これが私の考えていた大学生活だ。

2年になった。
当然ながら1年時の必須科目はすべてダメなので、1年の分も併せ、英語-Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ,Ⅳ、仏語-Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、経済英語原書-Ⅰ、Ⅱとなんと10科目の必須科目履修と倍増してしまった。
しかもこれらは2年までに習得する決まりであり、3年からは専門課程と進む。
さらに、英語Ⅲ、Ⅳと仏語のⅢ、Ⅳは1年からの持ち上がりとなっており、教授や生徒もほぼ同じメンバーである。

仏語-Ⅲの講義に出たときだった。
出欠確認は、教授が生徒の名前を呼び上げる方式だ。
そろそろ私の番(あいうえお順)だと思っていたら素通りしていくではないか。思い切って手を挙げた。
「先生、すみません、名前、呼ばれていません!」
「・・・・・」
「○○といいます!」
「ほー、まだ、生きていたのかね。ここには行方不明で永久欠席と書いてあるんだが?」

この教授の対応は本当に堪えた。この事件が、まさか一生つきまとうとは、それこそ夢にも考えなかった。                         しかし、この出来事が、2年の学習態度を一変させた。
そして、必須10科目の履修単位をすべて1年間で取った。
友達から講義ノートを借り、参考書も買い、訳本も買い漁った結果である。

いまだに、数ヶ月に一度は、この『呼ばれない夢』の『見てはならない夢』を見る。

夢の中では、
呼ばれなかった私が挙手すると、出席者全員が一斉に私に向かって鋭い目線を送ってくる。
「どうして見たこともない奴がここにいるんだ?」           「お前の来る場所じゃないだろう!」

そして構内をさまよう自分がいる。                 「試験はいつだろうか?」と気にするが、大学の掲示板の場所さえ思い出せず、スケジュールすらわからない。ようやく見つけた友人に尋ねようとすると、足早に去って行く。
ゼミの懇意だった教授に出会った。
「先生!」
教授は一瞥しただけで、どこかへ消えていく。

『結局、俺は卒業できたのだろうか?』
『卒業証書はもらったのだろうか?』

そして冷や汗と一緒に目覚めるのである。
もういいでしょう、お願いだから精神的にも卒業させて下さい。

こんなことを書いてしまったので、そろそろ今夜にでも・・・。

(次回投稿、コロナ対応でしばらくお休みします・・・1~2か月程度?)(なんでもコロナのせいにする社会に見習って!!)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?