(17)注文の多い奥さまたち

老人は思う。

歳を重ねていくうちに、どうしても夫婦間で、意見の相違や行動の変化が生まれ、ときには齟齬をきたす場面が多々発生してくる。
その原因の大部分は、歳とともに変化していく個々人の価値観が赤裸々となり、相手とのズレをより大きく意識したり、感じることにある。違和感ぐらいで済めばいいが、拡大すれば闘いにもなる。
本来、出会いそして結ばれたときには、お互いを尊重し、お互いを認めるのが「当たり前」という心遣いが自然と身に備わっていた。つまり、無意識のうちに自分本来の価値観を表面に出さないでおこうとする作用が働いていた。
それがいつの間にか、お互いの欠点やミスを見逃せなくなり、くだらぬ口論へと進む。所詮、異なった価値観を持った他人同士が、一緒になったのを忘れてしまって。

特に、女性は子育ても終わる歳にもなれば、女性としての義務からの脱皮を肌で強く感じ「性」を捨て「女」になって行く。性を捨てた「男」も「女」も、自分の本能的価値観が全面で出てきて、徐々に周りの人たち(夫や妻)にもその影響を与え出す。
夫は妻に対し「どうしてこんなにも変わった、結婚した頃は・・・」と、その変化にため息をつくが、きっと奥さんサイドも同じ思いだろう。

そういう表面的な事象ばかりに目を向けているだけでは何ら発展性はない。
もっとお互いがそれぞれの人間性を認め、『歳とともに価値観も変わり、その結果、ズレが生じ、双方の言動に今までと違った変化が現われる。これは自然法則だ』と理解し、その「変化」を楽しむくらいの心づもりというか余裕が必要だ。(言うは易し行なうは難し)
長い人類の歴史においてこの「変化」は、有史以来の普遍的事実なのである。そして、特に妻においてこの「変化」が顕著となる・・・これがこの文の主旨である。

テレビニュースなどで映し出されている街頭インタビューで、中年や初老サラリーマンが「奥さんが怖いから」とよく答えているが、本当にそんなに怖いのだろうか?

その事実の裏付けを考えてみた。
以下、あくまでも一般論であり我家の話ではありません。


頭に浮かぶ「言葉」を並べてみる。
「男児-女児」、「少年-少女」、「男子-女子」、「男性-女性」、「婿-嫁」、「夫-妻」、「ご主人-ご令室」、「お父さん-お母さん」、「父ちゃん-母ちゃん」、「おとん-おかん」、「旦那様-奥様」、「主人-家内」、「亭主-女房」、「旦那-女将」、「父-母」、「爺-婆」、「祖父-祖母」など、男女を表す言葉は一生を通していつも一種の「対」となっている。要するに「対等」の関係である。
しかし結婚して数年経つと、それぞれが「亭主-女房」、「旦那-女将さん」などと呼ぶことが多くなるが、さらに年月を嵩むと、夫より「妻」を単独で表す言葉が断然多くなる。(日常会話上での話)

丁度、女性が中年に差し掛かった頃だろうか?

「細君」から始まり「愚妻」、「悪妻」、「山の神」、「恐妻」、「鬼嫁」、「古女房」、「嬶(かかあ)」などが、すいすい思い浮かぶ。
年数を経た「妻の呼び方」の多様性であり、いかに多いか! しかもすべてがあまりいいイメージの言葉ではない。良妻賢母などのように良いイメージの言葉もあるが。
しかし、字面こそ悪いが、決して額面どおりの意味でなく、謙虚さの表現であることも十分承知している。しかし、そこには夫側の本心も見え隠れする。

「夫の呼び方」にもいろいろあるのだろうけれど、今まで「対」になってきていたのに、上記に相反する言葉として「太君」や「愚夫」、「悪夫」、「海の神」、「恐夫」、「鬼夫」、「古旦那」、「ととあ」などの言葉は聞いたことがなく、せいぜい妻が呼ぶ際は、「亭主」、「旦那」、「主人」くらいですませている。ときには「バカ亭主」や「宿六」など侮蔑する言葉も出てくるが・・・。
こうやって「対」にならない言葉が妻に関して圧倒的に多くなるのは、なぜなのだろうか?

一般的に女性は妻となり母親となり、その結果、生活環境は著しく変化し、さらに年齢とともに閉経や女性ホルモンの減少なども加わり、それらを受けて、自然的変化の結果と言えるのではないだろうか。(医学的知識はまったくありません)
男女とも40~50歳にもなれば、それぞれのホルモン量も減少して、より本来の「素の人間」になる。女性ホルモンは女性をより優しく装わせ、男性ホルモンはより逞しく装わせるのに作用していると思う。
それらの「装い」が剥がれた時点で赤裸々の男女が戦えば、有史以来、自分のお腹を痛めた子を守り育ててきたという営みが、本質的に女性を強くしているのかもしれない。同時に、女性の方が男性よりもずっと厚くて丈夫な「装い」を当時から被っていたのかもしれない。
結論として、だから「女房は強い!」、だから「怖い!」ということなのかも知れない。この問題は永遠のテーマであり、永遠の謎でもあります。論理的に説けばノーベル平和賞授与もあり得るのではないでしょうか。

(以下は飽くまでも一般論であり想像の世界です)

今日もまた、オレを呼ぶ。
「お父さん!」、そらっ、注文が来ましたよ!!!

「なんで、もうコレ捨てているの!まだ十分食べられるでしょ!」
「なんで、マヨネーズ使い切ったら言わないの!」
「なんで、燃えるゴミにラーメンの袋捨てているの!」
「なんで、あたしの煎餅、勝手に食べるのよ!」
「なんで、脱いだ靴下がここにあるの! 洗濯機に入れておいてよ!」
「なんで、洗濯終わったばかりなのに、また出してくるのよ!」
「なんで、洗濯物、取り込んでいないのよ!」
「なんで、まだ乾いていないものまで取り込むの!」
「なんで、畳んでいないの! 取り込んだら畳むのは常識でしょ!」
「なんで、テレビのチャンネルそんなにしょっちゅう替えるの!」
「なんで、トイレの換気扇、回さないのよ!」
「なんで、トイレのスリッパが玄関にあるのよ!」
「なんで、食器の置き場所替えるのよ!」
「なんで、通販で役に立たないものばかり買うのよ!」
もっと、ご注文、想像しましょうか?

(追)ごもっともなことばかりなのに、なぜか言われる側はカチンとくるんですよね!
   すべてフィクションです。

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