(16)ご当地ソング

老人は学校を卒業し、新入社員ながらも同時に「転勤者」という形で東京に住むようになった。
山と海に挟まれた細長い街から、建物だらけの大都会へ来た実感をひしひしと味わった。

中野駅から徒歩15分程度の6畳1間のアパートに住んだ。
家賃は確か当時5000円くらいだった。(初任給が35000円くらい)

まだコンビニもなくスーパーでさえ珍しい時代であった。

仕事から帰っての夕食作りなんてあり得ないと、当然ながら毎日外食となった。
アパートへ帰る途中の少し小汚い定食屋、カウンターだけの洋食屋、そして駅前の大衆居酒屋の3店が基本的に夕食処となる。
一番よく通ったのが駅前の大衆居酒屋になるだろうか。ひとりのときは、1本のビールと適当なおつまみが夕食である。
週に2~3回は通っただろうか。

中央総武沿線に住む地方出身の仲間ともよく飲んだ。
ある日、いつものメンバー3人とその居酒屋に立寄った。
二階座敷の隅のテーブルに座り、翌日が休みということもあり、久々に全員が酩酊するほど飲む。

その内、同期の1人が、「オレ歌う、地元愛だ」といい、急に歌いだす。
「信濃の国は、十州に境連なる国にして、聳(そび)ゆる山はいや高く・・・・・」(長野「信濃の国」)
長い歌が終わるとその友人が
「次はお前だ!」と隣の友人を指さした。すると、
「桐生着道楽男のおしゃれ、機場育ちの有難さ・・・・・」(群馬「桐生音頭」)と続く。
「次はお前だ!」と空のお銚子をマイク替りに次のひとりに回す。
「富士の高嶺に降る雪も、京都先斗町に降る雪も・・・・」(京都「お座敷小唄」)と応える。
「最後はお前だ!」と私にお銚子が。
ところが私の地元にはそんな地元を代表する歌はない。
「いや、オレは無理だ。地元の歌なんてない」
「折角盛り上がっているんだから、何か思い出せ!絶対何かあるはずだ!」
別に歌うのが嫌ではない。
まして、酒の勢いもあるので恥ずかしいわけでもない。
みんなヘベレケ状態だからどうでもいいやと思い、頭に浮かんだご当地ソング、
「赤い灯、青い灯、道頓堀の・・・・・」(大阪「道頓堀行進曲」)

それ以来、私の出身地は「大阪」となってしまった。

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