(18)[実録]66歳と310日目の免許合宿(その1)

老人は東京駅から電車で30分ほど、さらにバスで10分ほどの郊外に住んでいる。

この辺りは、まだ下水道が完全整備されていなくて、すべての雨水や汚水は駐車場や庭に埋められたタンク(浄化槽)で、浄化して下水として流される。3ヶ月に一度、そのタンク点検・掃除に業者がやってくる。
まだ仕事をしていた頃のある日曜日の9時過ぎ。
「ピンポーン」とチャイムが鳴る。
「○○といいます。浄化槽の定期検査に参りました」
我家の浄化槽は駐車場の下に埋め込まれている。
駐車場は縦に細長く、幅が2.5メートルほど、奥行きも10メートル弱あり、普通車なら十分に2台は縦列できる。今は普通車1台が止まっている。
しかし何故か、その車はその浄化槽の蓋の上にばっちりと、いつも鎮座している。
車を動かさねばならない。
普段は妻が移動させるが、あいにく今日は娘と一緒に外出している。
我家は私以外の3人は運転免許を持っているが、今、家に居るのは昼まで眠る息子と免許のない私だけである。息子に頼むしかないのだが、気持ちよく直ぐに起きてくれるはずがない。
案の定、少し時間がかかり、しぶしぶ起き上がってパジャマ姿のままで車を動かす。業者の人に待って貰った恐縮と同時に、息子には多少の苛立ちと、それでも少しの安堵感を抱く。

ある日、会社での午前の会議も終わり昼食時の話である。
配膳された弁当も食べ終わり、食後のコーヒーとなり雑談しながら午後の会議を待つ。
社外から参加していた長老が、「最近、新しい車を買いましてね。もう子供たちもいないので、思い切って外車にしたんですよ。ドイツ車ですよ」
「へー、それは」(一同)
「シートが本革でね。思いのほか足回りがいいんですよ! 用事もなかったんですが、先日、沼津まで行き、うまい魚を食ってきましたよ」
「ちょっと調子に乗って、100オーバーで走りましてね」
「途中、追い越し車線を猛スピードで走る車がいましてね。その後を覆面が追っかけて・・・。最近の覆面はわかりづらいですよね。ヒヤッとしましたよ」
会議のメンバーは7人。
私を除く6名がこの話に興味があるがごとく深くあいづちを打ち、関連する話で盛り上がらせる。なかなか話が終わらない。隣の席から無言だった私に「どこか体調でも悪のですか?」と、最悪。

ある日、同僚たち4人との飲み会での話。
夜も更け酒も回り、1人が飲み過ぎたのでタクシーで帰宅するという。
「お前、タクシーで帰るなら○○通りを通って、△△交差点を曲がった方が近道だよ」
「いいや、××通りの方が遠回りだけど、混んでいないから結果的には早く着く」
など、都心の道路事情に詳しい3人が、ああでもなくこうでもないとほぼ5~6分。
「お前、どう思う?」と私に。
酒の勢いもあり「たいした差もないじゃん、どっちでもいいよ。好きに帰らせろよ!」と私。
急にその場が白けていったのは私のせいなのか?

妻とたまには車で旅行に行く。
もちろん助手席が私の指定席。
途中のサービスエリアや観光地の立ち寄りの主導権は、当然ながら妻がもつ。それは別にいいのだが、宿に着き玄関先で宿の人が待ち受けるなか、助手席から降りるのはどうもおもしろくない。

皆さん、免許をもっていない劣等感って分かりますか?

世の中、だれもが運転免許証を持っていることを前提にして、回っているのではないでしょうか?
身分証明が必要な際は、必ず「免許証などお持ちですか?」と尋ねられ、代わりに健康保険証を出すのに、少し引け目を感じるのは私だけでしょうか。

友人や会社の人間と一緒に飲むと免許保持を前提に、無免許の私にもあいづちを強請する。
『オレにはオレのワケがあって、免許、取っていないだけなんだ。金も能力もなかったわけじゃない』と心で呟く。
しかしながら、私はひとりその輪から少し距離を置かざるを得なくなる。
その場で「免許もっていないから違う話題に」とも言えない。
あきらかに、ひがみ根性での話なのは十分承知しているが・・・。

免許さえもっていれば、仮に会議での雑談とか酒席での無言状態や、宿の玄関前で助手席から降りることすら何ら抵抗感もなく、ましてや正体不明の劣等感を抱くこともないと思う。

私は学生時代に就職先も早く決まり、その後、父から「免許を取れ」と10万円をもらったが、そのお金で北海道を1ヶ月間ひとりで放浪してしまった。
免許は卒業するまでに、バイトで金を貯めて取るつもりだったが、内定先の会社からアルバイトの強請があり、結果的には取るタイミングを逃してしまった。
それからほぼ45年。

無事に退職した65歳と10ヶ月のそんなある日。
家近くのショッピングモールに、妻の運転で買物に行ったときだった。
「免許合宿、最短14日間!」というパンフレットが目に飛び込んできた。
「へぇー、14日間で免許が。2週間ならいいか・・・」と一部を手に取り、買い物袋に押し込んだ。

家に帰り、そのパンフレットを開きながら自問自答する。
「今さら、免許?」
「返納する年じゃん!」
「ドライブや車の旅など、それ程の興味もないし・・・」
「免許がなくても生活には困っていないし・・・」
「運転しない方が、健康的で安全な人生を送れるし、金もかからないし・・・」

「しかし、今は仕事も辞め、十分過ぎる時間がある」
「このまま何もしなければ、ボケるしかない!」
「でも、この年で免許取れる体力や知力はあるのか?」
「今さら免許取っても・・・」
「いや、浄化槽の上の車を息子に頼まなくても移動できるじゃないか」           「万が一、女房が病院通いにでもなれば・・・」
「その以前に、摩訶不思議な無免許コンプレックスがあるではないか!」
「そうだ! オレにはそのコンプレックスがあったんだ!」
「これを抱いたまま、死んでしまうのはちょっとおもしろくない」
ここで、一気にヤル気スイッチがオンとなった。

パンフレットを少し真剣に読み出す。
「あれ、すべて年齢制限がある。60歳まで!」と。
「じゃあ合宿は諦めて、近くにある教習所に通うか?」
「でも、通いだったら自分の性格上、最後までやり通せるほど意思は強くないし・・・」
「学生時代の『理由付けさぼり癖』はいまだに抜けていないはずだし・・・」
「同じ免許を取るなら、だらだらと数ヶ月かけるより、短期間で済ませた方が絶対いい!」

さらに真剣に読み出す。
家から近い合宿自動車教習所を探すも、地方ばかりで、その上年齢制限60歳ばかり。
「あれ、『シニアプラン』ってあるんだ」っと、ある地方の自動車教習所の案内を見つけた。
「きっと、オレのような輩が受けるプランだ!」
「普通料金より20%程度高いなぁ」
「まあ、しょうがないか。いちおう『卒業まで保証」ともなっているし。この年齢だし、どのくらい日数が掛かるか分からないし」

だが、よく見ると「64歳まで」とここでも年齢制限が表示されている。
諦めかけたが、「お問い合わせ、不明点は電話で!」と書いてあったので思い切って電話をする。
40~50代を思わせる男性が電話口に出た。
この案内人はパンフレットに掲載されている教習所すべての代表窓口の形となっている。
「66歳だけれど、どうにかならないですか?」と聞くと、6月のこの時期は比較的すいている時期なので、学校に確認してみるとのことであった。
その結果、パンフレットに記載されている「シニアプラン」の教習所が特例として受け入れるとなった。
それでもまだ決めかねていたが、家族に相談すると積極的に「行け!」ということもあり、ついに教習所の門をくぐることになった。

「シニアプラン」内容
  払込費用:313,200円(当時、税込み)
但し、卒業までの宿泊費と食事費(教習所内食堂使用のみ)                                             新幹線自由席料金、手荷物運送費 含む
ならびに、卒業が遅れても原則追加費用はなし。


次回から膨大な事実記録を基に、老人の運転免許取得への悪戦苦闘の合宿生活をノンフィクションでお伝えします。

                                100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?