(25)[実録]66歳と310日目の免許合宿(その8ー完)


7月1日 自宅 雨

朝早く起きる習慣が身に付いてしまったので7時に起床。
午前中は、教習所から届いた荷物や記録などを整理。
記憶期限の短い頭脳となってきているので、苦労して苦労して覚えた「法規記憶」を無くさないためにも、明日さっそく最寄りの「免許センター」で「学科受験」することを決めた。
従って午後は、ほぼ終日、「法規記憶」作業を繰り返す。
「技能」は教習所で「合格」を貰っているので、免許センターでは「学科」のみの試験であり、それに合格すれば待望の「運転免許証」の獲得となる。


7月2日 免許センター くもり

5時半に起床し、6時20分に家を出て、8時前には「免許センター」に着いた。
8時からの受付手続きを済ませ、3800円の印紙(申請費1750円+免許交付費2050円)を購入し、9時からの「学科試験」開始を待つ。
受験番号は「008」番。

最初に試験概要などの説明があり、9時30分から10時20分の50分間で、95問の出題に解答する。95問中5問がイラストによる3択となり、配点は1問あたり2点で計10点。残り90問が○×方式で配点は1問あたり1点、合計100点満点となり、90点以上で合格ということだ。

不思議と緊張感を感じることもなく、迷うこともなく30分弱で全問解答ができた。イージーミスや引っかけ問題に注意しながら二度解答を見直す。   制限時間となったので試験会場を退出した。本人採点では100点満点、最悪でも97~98点の自信があった。合否発表まで少し時間があったので、自販機のコーヒーを飲みながら、妻に「合格間違いないよ!」とのメールを送る。

10時50分、合否発表。
電光表示板の「008」番に明かりがついた。前後の番号は灯らず同情心と多少の優越感に浸る。
11時からの「適正検査(視力のみ)」も問題なく、免許証用の写真撮りに進み、さらに約1時間の「講習会」を受ける。
12時になってようやく待望の『免許証』が交付され、その瞬間から不可思議なコンプレックスからも解放されたのだ。

免許センターのある駅前のそば屋で、ビールと天せいろを頼み、交付された『免許証』を写メし、家族全員に送った。

午後2時過ぎに帰宅。
郵便箱を除いたら某会社から株式の配当通知が届いていた。
「これだ!」と思い、妻への報告も手短に終え、急いで近くの郵便局に。
「これ、お願いします」と配当通知書を係の人に提出すると、期待していたひと言がないではないか。
『何か、身分を証明するものをお持ちですか?』がない。
今まで、免許のないときには、何回かこのように催促され、健康保険証を見せていたではないですか? なぜ? どうして? 今回に限って?
結局この日は、『免許証』デビューはなかった。つまらない。


<感想>
・ようやくすべては終わった。おそらく自分のもつ能力の150パーセントは  使っただろう。
・実際の公道デビューはいつになるだろうか? 教習所近辺と違いこの辺りは少し走ると車だらけの道ばかりである。こんな中を本当に運転できるのだろうか?
それとも不思議な劣等感に別れを告げたままで終わっちゃうのでしょうか?

<追記>
「免許センター」での「学科」試験では今回30人ほどが受験し、10人が不合格となっていた。
不合格の場合、「申請費」は戻らないが「免許交付費」(印紙)は次回にもそのまま使えるという。


<あとがき>
自宅から車で15分ほどの大きな霊園にいる。
免許を取っても乗らなきゃ直ぐにペイパーになるからと、妻がもうひとつ気が乗らない私を半ば強引に連れだしてやって来た。
お墓に入っている人々や霊園関係者には大変申し訳ないが、ここは実に運転初心者にとっては素晴らしい「練習場所」といえる。
中央に幅広いメイン道路が縦に走っており、その両サイドには幾つもの脇道があり、さらにその脇道を辿っていくと車が1台通れる細い道がこれまた何本も繋がっている。山を削って造作されているので、アップダウンもS字カーブもたっぷりある。駐車場も大きなものから2~3台のものまで、これまたあちこちにたくさんある。V字ターン、車庫入れ、縦列駐車など練習し放題の場所である。園内の制限速度は30キロである。
ある意味では、教習場より現実に近い「道路」であり、練習にはもってこいといえる。(スミマセン)

約30分程度の練習を終え、霊園から自宅まで、免許取得後初めて公道を運転する。
教習場を思い出しながらも慎重に運転する。

このようなことを数回、繰り返しただろうか。妻からも「許可」を得られたので、「霊園教習」も無事に卒業。

今は妻と交互の運転で、近くのスーパーから遠く離れた温泉地まで、高速も含めて楽しく運転している。
そして一番の楽しみだった身分証明の際には、堂々と「免許証」を出しているし、旅館などへ自ら運転して行った際は、ゆっくり落ち着いて運転席から降りている。退職したので飲み会はぐっと減ってしまったが、時には酒席で車の話をすることにも出くわす。


いま振り返っても本当につらい16日間であった。
年とともに集中力や記憶力は見事に衰えてくる。
こんな自分ではなかったと思うが受け入れざるを得ない。
『覚えては忘れて、忘れては覚える』の繰り返しであった。
合宿を終えて免許取得と同時に、あれほど苦労して覚えた交通法規などは、今は私の頭の中からどこか遠くへ飛んで行ってしまったのが現状だ。

講習以外での唯一の楽しみは若い人たちとの出会いだった。
土建屋、工務店、運送業、フリーター、日本一周を夢見る乙女、大学生などとの交流は、私にとっては非日常的で実に新鮮でおもしろかった。

70歳近くになっての免許の取得は家族こそ、その努力を評価したが、すべての知人は「いい年をして何を考えているのか? 免許返納年齢ではないか? 高齢者事故を知らないのか?」というのが本音の評価であろう。
もちろん加齢による身体的劣化や記憶力、瞬発力など、何ひとつ良くなることはなく、日増しに悪化しているのは十分承知している。承知どころか合宿で嫌というほど体験してきた。
しかし冒頭にも記したように、私には無免許であることが、なんらかの小さい劣等感でもあった。免許を得たからといって、日本中を車で走り回るとか、高速道路をぶっ飛ばすなどの思いはまったくない。

免許を持っているという状態が満足であり、「何か免許証のようなものをお持ちですか?」とか、わが家の下水槽点検で、駐車している車を「少し移動、お願いできますか」などに、さっと行動できる自分が、ほんの少し誇らしく、ようやくにして他人様に追いついたという感じである。
長い人生を過ごしながら、いつもなにかひとつ足らなかったピースを埋め込んだということである。

75歳になれば自らの運転は止める。免許返納はしないつもりだ。きっと自動運転車が出回っても、当分の間は免許証が必要なはずだ。
もちろん肉体的・精神的などの不都合が出てくれば、躊躇なく返上するし、家族などから「返上しなさい」と言われれば返上する決心はできている。

車を運転するとかしないとか私にはどうでもいいことなのだ。
免許証を保持していることに価値を見いだしているのだから。
免許取得決意からのほぼ20日間の努力ご苦労さん! 
そしてほぼ50年間の劣等感よ、サラバ!


<追>
自動車教習所を卒業して3年目のとある日に教習場を再訪した。
一番の目的は、最後に飲み食いしたあの居酒屋の旨さが忘れられず、かねてから「もう一度」との思いが常にあった。もちろん教習場やその寮、ホテルも思い出深い場所であり、再訪したかったのも事実だ。
それらを目にしただけで、懐かしくもあり苦闘した当時の「私」が浮かんでくる。手汗を感じ緊張感でいっぱいで運転している自分自身の姿や短い休憩時間を走り回っている姿が目の前に浮かんでくる。
学生時代ですらあれだけ集中して頑張った経験はない。何かオーバーな表現をしていると思われるだろうが、今思い出しても、当時の自分の姿はある意味、辛そうで悲しげだが美しくて別人のように見える。

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