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やさしいひと言が、わたしのご機嫌な1日をつくる
書きたいことは、タイトルに書いたその一言で終わりなのだけど、
子育てをしていると自分にとっての経験=社会に対する印象になりがちだと思う。
だから、どんなひと言をかけるのかがめちゃめちゃ大事という話。
もともとアクティブな性格で1日中家から出ずに過ごすなんて想像もできなかった私も、出産直前から娘の1ヶ月検診が終わるまで家から一歩も出ずに過ごしたし、コロナの影響で1ヶ月と言わず数ヶ月はほぼ引きこも
ワールドピースゲームについて
群馬県前橋市での開催決定に続き、募集していた愛知県西尾市の実施も無事開催が決定しました!
現地でお会いする皆さんどうぞよろしくお願いします!
ワールドピースゲームって、なに?という方は下記のリンクから開発者であるジョンハンター氏のTEDトークをぜひご覧ください。
子どもたちが、世界のリーダーの役割を担い、現存する社会課題の解決を目指すというシミュレーション型プログラムです。
大人として、何
勝手に宮崎県内の朝市まとめ。実は宮崎は、サンデーマーケットが活発だった!?
こんにちは!
5月に宮崎市に移住した谷口真里佳です。
突然ですが私、朝市が大好きです。海外旅行の見所としてもよく出てくるの「サンデーマーケット」
ニュージーランドにいた時は、毎週のようにマーケットに出かけてコーヒーを飲み、野菜を買ったり、お菓子を買ったりしていたし、いつかドイツのクリスマスマーケットに行きたいなという夢があります。
実は宮崎には、このマーケット、マルシェ、朝市(いろんな言い方があ
私と教育の距離 最終話
ワールドピースゲームに出会い、
答えがない場を提供する側に回ったことで、
私はみんな”もっと自由でいい”と、思うようになった。
自由でいい、って言うのは、ルールなんて全てなくていいってことじゃないけど、ルールや常識の外に、世界をよくするアイディアがあるんじゃないかと思えるようになった。
子どもの頃の私は、先生がいうことが全て正しいと思ってたし、
社会のルールは全て守らないといけないと思っていた
私と教育の距離 vol.6
そんな時に出会ったのが、
ジョン・ハンター氏のTEDトークだった。
それは、ワールドピースゲームといい、
世界の課題を解決することを子どもたちに委ねると言う。
しかも、「大人が正解を教えない」のだと。
このトークを見た時に、直感的に感じた。
大人が教えなきゃいけないという発想が、もはや違うのかも、と。
なんか大人として「もう教えれることってないんだ」と思うとショックだったが、同時に「
私と教育の距離 vol.5
いざ決断をして、仕事を辞めてみると、なんだか世界は明るかった。
世界は明るいなんて書くと大げさかもしれないけど、当時の私は、「もう就職できないかも。そしたらどうやって生きていこう」と真剣に心配していた。
留学しようか、仕事を探そうかと悩んだけど、次に仕事をするなら熱中できることをしたいと思っていたから、英語の先生になることにした。
この英語の先生という仕事を通じて、子どもたちを惹きつけるレッ
私と教育の距離 vol.4
そういえば、私が、仕事を辞めるかどうしようかと悩んでいる頃、
一貫して「自分がしたいことを今すぐにするべき」と言っていた人がいた。
それが今の夫なのだけど、
彼は、物心ついた頃から「自分で考えて生きる」を実践している人だった。
同じ時代に同じ日本に生きていながら、「みんなが」という事に流される事なく、自分がやりたいと思う事や必要な事に向かって行動する人で、私は「就活だーどうしようー」と大騒
私と教育の距離 vol.3
私が教育を仕事にしているのは、世界から戦争や貧困のない状態を作るには、次世代の教育がとても重要だと信じているから。
小さい頃おじいちゃんが、戦時体験を聞かせてくれていた。
「空襲警報が鳴るとみんなで疎開した」とか
「終戦後に、アメリカ兵から飴もらってね」とか、紛争下にある何気ない日常の話をよく覚えている。
テレビを見ると、アメリカ兵から飴をもらった少年がおじいちゃんに鳴る程の時が経っても、
私と学校の距離 vol.2
私は一体、学校で何を学んできたのだろう?
22歳、その時に私は「新卒で入った会社は、3年は続けること」ということが正解だと思っていた。
でも入社から半年くらい経った頃に、自分のこれからの生き方、やりたい事を考えた時、この1年で十分だなと思っていた。
最初にこの「会社を辞める」という選択をするまで、私は結構受け身だったな、と思う反面、思い返すと自分としては、「自分の意志を持って」色々選択してい
私と学校の距離 vol.1
先日、「まりかさんって、学生の頃どんな子だったんですか?」と聞かれた。
私は、どちらかと言えば、ずっと学校が好きだった。
先生とお話も、友達に会いに行くことも、勉強もテストも好きだった。
先生に恵まれていたのだと思うし、団地に住んでいたこともあり価値観が近い友達も多かった。
私には、学校に行くことも、テストを受けることも、受験があることも、
何にでも”答えがある”ことが当たり前だった。