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私と教育の距離 最終話

ワールドピースゲームに出会い、
答えがない場を提供する側に回ったことで、
私はみんな”もっと自由でいい”と、思うようになった。

自由でいい、って言うのは、ルールなんて全てなくていいってことじゃないけど、ルールや常識の外に、世界をよくするアイディアがあるんじゃないかと思えるようになった。

子どもの頃の私は、先生がいうことが全て正しいと思ってたし、
社会のルールは全て守らないといけないと思っていたけど、
大人になって、ルールというのも誰かが何かのために作ったもので、
それを守ることが苦しかったり、守れない立場の人がいるということも知った。

社会に出てからのことだけではなく、
学校の中でも同じことなんじゃないかと思う。
日本の学校では、”きちんと座る”というのは、”みんなができる(はずの)こと”で、”そうしないといけない事”として教えられるけど、
ニュージーランドでは、そんなルールなくて、”みんな好きなところに座りましょう”と言われる。

授業だって、先生が喋ってそれを”静かに”聞くが当たり前だったけど、
最近では、アクティブラーニングという言葉がずいぶん浸透していて、子供達が能動的に動いている授業の方が良い授業ということになりつつある。

ワールドピースゲームを通して、子どもには無理!と大人が思うような課題を何度となく解決していく様子を見ていると、
限界を作っているのは大人の方だよなと毎回痛感する。
ルールとか、常識と言われるとなんとなくそれが正しいような感じがしてしまう。

教育というと、どうしても「正しい」かどうか、教えてあげようという姿勢になりやすいと思う。

どこかの哲学者が、「無知の知」ということを言っていたが、
これからは、「私にはわからない」ということを認めて、斬新で新しいアイディアを取り入れていければ、世界は今よりもっと良くなると信じている。

私も教育に携わっているひとりだけど、
私は子どもたちのアイディアや可能性が、大人の固定観念や社会のルールで潰されることがないことを心から願い、
そのアイディアや可能性が存分に発揮できることを応援をしたいと思う。


生きることに、正解はない。

正解がない道を歩くのは、時々ちょっと大変だけど、

正解のないことを探求することこそが生きることなのかもしれない。

そして、探求するって本来は、すごく楽しいはず。


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