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大人を名乗る男なら、女を心で愛撫せよ

 幼い頃、私は斜視だった。左目がぐいと中に寄っていた、眉が異様に太かった。昭和の中頃、近所のおじさんおばさんは決して親切ではなかった。あからさまに「醜い」と言われたこともある、避けられたことも多々ある。父と母が苦労して築いた小さな家庭は決して豊かではなかった。
 私はムラ社会が嫌いだ。
 ムラ社会は「馴染まない者、異形の者」を怖れあざける。
 だから田舎を出た。
 都会に出た、けれど「ムラ社会」気質は都会のあらゆる場所に存在していた。PTA地域自治体教育界政界芸能界宗教大企業SNSなど典型的ムラ社会ではないのか?

 誰かのチカラが全体を覆う。
 個人は縛られた操り人形であることに気づかず、マスコミが流す風潮に踊らされ、個性を謳歌しているつもりでいる。
 誰かが勝手に定めたモラル、取り決め、流行りに必死で従うことを社会性と呼ぶのなら自分はそんなものは要らない。
 
 幼いころの斜視は17で進学のため上京した頃に自然に治った。斜視が治れば人生は多少明るくなるのではと期待していたが、斜視は私の本質には実はあまり関係がなかったように思う。斜視の次に私を襲ったのは「笑うと醜い」妄想だった。
 笑うな。醜い。
 こういうことをダイレクトにいう奴が実在した。今会ったら滅茶苦茶に言い負かしてやるのだが、当時の自分にはそれが出来なかった。一方的にずいぶんと傷ついたことを懐かしく思い出す。

 男には2種類あると思う。
 女を心で踏みにじる男
 女を心で愛撫する男
 
 すべて大人を名乗る男であるのなら、女を心で愛撫できる男であって欲しい。
 61になり男も女ももう関係ないだろう、婆さんだろうと思われるかもしれない。だが女心というのはしつこい。入院中だった義母が満足に書けない文字で綴った義父あてのラブレターを読んでしまったことがある。
「いとしい、いとしい、おとうさんへ」と書いてあった。
 義母にとって義父は「いとしい、いとしい、おとうさん」であったのだなと妙にせつない気持ちになった。もし義父が女を心で踏みにじる男であったのならこのようなラブレターは存在しなかっただろう。
 もっとも私はこの義父とはたいそう折り合いが悪かった。細かいことをとやかく説教する爺さんで、私が一度だけ大声で怒鳴り返してからというもの、死ぬまで私を受け入れようとはしなかった。
 いろいろ、ある。
 誰にでも、おそらく、いろいろ、ある。

 精神疾患から立ち直ってから「好きなことしかしない」を徹底している。人生は短い。とてつもなく短い。「好きなことしかしない」を貫くために体力を駆使している、一日は瞬く間に過ぎる。外国語を聴く。話す。音楽を聴く。書く。さまざまな年代の人たちとたわいのない話を交わす。服を見る。花を買う。あるいはスポーツで連日汗を流す。
 いつ死んでもいい、は嘘だ。
 まだ死にたくはない。
 でももし明日死ななければならないとしても後悔はない、ように思う。
 わたし。本気で人生を遊んでいるもの。

 この頃幼いころの「斜視」が戻ってきたようだ。
 鏡を見る、左目が中央に寄っている。
 むかしの私であれば「醜い」とおおいに嘆いただろうが、ずいぶん私はわたしに優しくなった、甘くなった。「寄り目」が可愛く思えてならない。どこを見ているのかわからない鏡の中の自分を「アホっぽくてイイ」とほめたくなる。
 雑誌やネットに出ている今の流行りなど私は身に着けたくない。ガウディの色彩を着たい。あるいはコロンビア出身のレゲトン歌手みたいな半分裸の恰好で街を歩きたい。
 流行語も使いたくはない。
 流行歌には少しだけ興味がある。
 どこかでイエスを想っている。
 これはもう理屈ではない。筋は通らない。
 私はキリスト教及びキリスト教影響下から断じて逃れられないヨーロッパアメリカに対し「反感」を抱いている。しかしどこかで「イエス」あるいは「聖母マリア」を想っている。
 説明はつかないし、辻褄を合わせる必要もおそらくはないのだろう。

 戦争になるのだろうか?
 ふと思う瞬間が増えた。
 人間は戦争のかたわらで生きてきた。たまたま安全地帯にいる者は、犠牲者が痛みと恐怖でおののく声に耳をふさぎ「自分のせいではない」「戦争とはそういうものだ」と無音で察知し、それぞれの営みを継続してきた。
 可能であれば永遠に安全地帯にいたい。
 正直。そう思う。
 人間には「自分さえよければいい」が本能的に備わっている。そこから目をそらすと物事をむしろ見誤ると、私はそう考える。
 
 

 

 

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