親指❌先生がパニック【幼少期頃・日常の怪我健忘録】

私は子供の頃から人の100倍活発で、とにかく走り回るのが大好きだった。

スポーツも好きだし、友達との鬼ごっこ(&木の上だけ鬼ごっこ:地面に足が着いたら負けだけど、木から木へ移るのはOK)や探検、虫取りも大好きだった。そのためか、打ち身だらけ、擦り傷だらけが当たり前の子供時代を過ごした。(けど、多くは気が付いたら傷ができていたといった感じ。シリーズ?最後、なんでほぼどんな傷でも「絆創膏貼っとけば大丈夫」という思考回路が発達したのかが分かるかも。)

「大きい怪我って、今までしたことないんですよ〜🤣🤣🤣」って思って生活して来た。けれども、色々書いていたら、案外そんなに取るに足らない擦り傷ばかりでもなかったかもなぁ、と思えてきた。(子供の頃沢山遊んで、怪我よりも遊びが重要な生活を送っていると、些細なことで動じづらい強さが備わるかも?)

ある日の工作の時間に、私は木をカッターナイフで割ろうと考えた。もっと細い木で柱を作るために必要だったからだ。

最初こそ、ナイフの刃先に手が行かないように切ろうとしていた。しかし、途中でナイフが引っかかって、動かなくなってしまった。

集中していて、熱心になってくると、思考はそっちのけで目の前のタスクに夢中になる。

咄嗟に、ヒョイと手を持ちかえて、グッと強くナイフを動かした。その瞬間、木の木目に沿って、木がサクッと5cmくらい一気に縦に割れた。しかも、斜めに割れたので、その両脇を持った私の指にもナイフが突き刺さった。

痛みは感じなかった。

この時、小学校低学年。(初めての切り傷)

ナイフを傷から抜いて、血が出ている指にもう片方の手を被せて、先生のデスクに絆創膏をもらいに行った。

この時、自分の番が回ってきた時に、先生に「指を切ったから、絆創膏をください」と態度よく普通にお願いをした。

普通に、サッと絆創膏をもらえると思っていたので、先生が急に変な顔をして、私に「指を見せなさい」と強く言った時には、「嘘なんてついてないよ~」とちょっと内心では抗議しながら、パッと「ほらね、本当のこと言ってるでしょ」と真実を述べている自分に胸を張るといった心持ちで指を見せた。

それでも、先生は表情を緩めず、絆創膏も出してくれなかった。

しかし、突然「腕を高く持ち上げて!」と私の手首を引っ張り上げながら、けどグリップは強くなく、クラスに私を保健室につれていくと言い放ち、私を保健室に連れて行く。何度も「頭のの上まで手を上げて!」と私に注意喚起をする先生。私の手首を持つ手は、慌てたような先生の足取りが微妙になる度に下がったので、私はそれに引っ張られずに頭の上で手を保持するように努めた。

私は「指切っただけなんだけど。絆創膏貰えればいいのに。こんなにおおごとかな?」と思いながら、そのまま普通に保健室への道のりを先生に着いていった。

いざ、保健室に到着すると、何やら包帯を巻かれてしまった。そして、学校には母が呼び出されて、私はかかりつけの整形外科クリニックに連れて行かれた。(後で知っただが、私の作業していた場所は血だらけで、歩いた後も歩行跡をマーキングしたような道標のように血がポタポタと滴った血痕があったらしい。)

母は至って冷静で、多分、クリニックに向かう途中の車内でも二人で笑って会話していた。車内が和気藹々としていたことは覚えているが、会話内容は覚えていない。(あるいは、しりとりでもしていたかもしれない。)

クリニックに到着すると、医師は私の指に巨大ホッチキスを当てたままで動かずに「うーん」や「どうしよう」と何度も何度も唸ったり、ボヤいたりしながら躊躇し始めてしまった。

「え、針と糸じゃなくて、こんな巨大なホッチキス、指からはみ出しそうじゃん! ていうか、ホッチキス針長すぎて、骨に針が到達しそうに見える」と考えた私。

看護師さんに「泣かなくて偉いね」と言われて、ハッと気がついた。その時、骨にホチキス針が刺さらない方法を思いついた。私は逆に泣けはしないので、「声を上げて、嫌がった」(その間、ちゃっかり手元は不動🤣)チャチな演技だけれども、大人はなだめようとした。私は「ホチキスは嫌だ!もっと小さい針と糸が良い」と駄々を捏ねてみた。(人生初の駄々コネの瞬間。縫合セットは、ドラマERで知っていた。)

それを見た母も、流石に学年でも一二を争うちっちゃいちっちゃい身長が1m超えてそう長くない子供の指に、押し当てた際にはみ出しかけてる巨大ホッチキスを見て、「縫合セットはありますか? 小回りが効く針の方が小さな子供には安全ではないでしょうか」と質問してくれた。

母よ、ナイスなプレー👍

医師は、「本当は針と糸で縫ってあげた方がいいけれども、残念ながら当クリニックにはホッチキスしかない」と伝えた。

マジ!?

結局、縫合テープに似た、布っぽいものを重ね合わせて傷口に張り、包帯を巻いただけで帰宅した。

この傷、10年以上経過しても、毎冬パックリ割れてしまっていた。がま口のように、1cmに満たない深さでパックリと傷が開いてしまう。そして、そのまま日常生活を送るものだから、傷の先の皮膚の角はがま口財布👛のように角質が発達し、もうちょっと深い所はそのまま傷が開いてる感じで、何が触れても滲みる。

何度形成外科に行って治してもらおうと考えては、期を逸して来たか。(夏の傷がくっついている時期に受診したところで、対応は必要なく、傷が開いている時に来てください、とのことだった。)

ある時、何を考えてか、考えずか、滅菌済みのメス(付け替え用の刃を自分の清潔なメスボディーに付けて)で割れた傷口の内側をちょっとだけ切開した。

傷口はがま口のようにパカッと開いていたので、内側の開いた傷組織を側面に並行に超超超薄くスライスして、角質化した傷の外端は切除した後、傷の側面を手のひらを合わせるようにしてくっつけた。そして、閉じた傷口がズレず、組織が合わさった線にピッタリ密着させるようにしてJohnson&Johnsonのキズパワーパッドを貼った。そのまま放置して、どれくらい経ったのだろう? キズパワーパッドを交換する際に傷はくっついていそうでも、念の為もう一回交換して7日間程度放置した。

これで傷が治癒すれば、20年近くも続いた毎冬季現れて治らない傷が癒える。治らずとも、ぶっちゃけ何もする前の状態に戻るだけ。(当時はそう考えた。)

もし治らなかったら、時間ができたら、形成外科で切って縫って治してもらえるか相談しようと考えた。

ノーリスク、ハイリターン。
(本当にノーリスクかはさておき……当時、この瞬間はノーリスクだと考えた。)

驚くべきことに、これを堺に傷は完全に癒えた。

冬毎年割れていた、深さ1cm弱の傷は、嘘のように姿を消した。

脅威のキズパワーパッド!

もう一つのキズパワーパッドエピソードは↓↓この記事から🎶

今を大切に生きよう!

追記:ちなみに、どこかにナイフや他のものが刺さった場合には、抜かずに、それが動かないようにして救急隊に電話しよう!(刺さった物を抜くと、その物が押さえていた血管への物理的な圧迫が除去されて、出血が酷くなることがある。)

これは、なんかふと何も深く考えずにやっちゃったこと。今回は上手く行ったものの、むしろ事故や思わぬ後遺症が起きるリスク、感染のリスクなど、色々あったことだろう。絶対に真似しないでね。本当、嘘みたいだし、書き返すと自分の無鉄砲さに頭を抱えるほど恥ずかしい。本当、事故に繋がらずによかった。全くもって、ノーリスクじゃないので、こういう阿保なことはしないでね……

たまに、色々嫌になって、治したくなっちゃう時ってあるよね……


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