患者が医師になった時LBL(-5)〜余談〜初心(1)

遠い異国でのお話です。これが、事実かフィクションかは、読書の皆さんの判断に委ねます。


ずっとずっと前のICUでのできごと。


病院自体には、移植待機中の者もいたが、移植と関係のない状態の患者さんもいた。


私の初心とでも言おうか……


担当の患者さんが重篤・人工呼吸器に乗っている時に必ず心がけていることがある。


それは、どんなに意識がなさそうに見えても、必ず対話のように話しかけて、体を触ることだった。


まず、対話や会話について話す前に、触るということについて補足しなければいけないだろう。


変質者のように、体を撫で回すのでは決してない。


そして、診察という意味でもない(診察するのとは別)。


誰か親しい人と会話する時や、知らない人と楽しく世間話をする際に、肩や手などに触れることがあるだろう。(接触は免疫不全や免疫抑制中じゃない場合)


友人ならば、会った時にハグをして、頬と頬を接触させるかもしれない。


家族ならば、会ったり別れたりする際にキスをするかもしれない。


何か真剣な話の時には、手を握るのではないだろうか。


人が接触すると心が温まるだろう。実は、人と人が触れ合う時に、オキシトシンというホルモンが分泌されるそう。このホルモンは、幸せな気分を与える他、免疫力に良い影響を与えることも知られているという。


私自身が重篤な症状で、外から見たら意識がなさそうに見えても、外から見たら寝ているように見えても、実は意識がはっきりしており、周囲のことがハッキリと聞こえ、感覚もあるというのは私自身が昔病気で人工呼吸器装着中に実体験している。


だから、私が患者さんと接する時には、外見やデータが何をどう示していようが、私は絶対に起きた状態の人間と接するのと全く同じ接し方をするように心がけている。


身元不明の観光客の国籍が分かり、大使館経由で家族を見つけ、連絡が行き、家族が到着するまでの日々よりも時間が途方なく長く感じることも多くないだろう。その最中こそ、患者さんに毎日話しかける。


それは、血圧維持と延命のために昇圧剤をありえないほど入れて、指先は既に黒色に変化し始めても……


聞こえているかは分からないが、伝わっているとは断言できるよ。


毎日毎日、患者に会いに行き、話しかけ続けた。


手術のために転科しても、シフト終了後に会いに行き、毎日家族を探していると伝え続けた。


家族が見つかって、彼らが病院に到着するまでの間、私が知り得た情報は伝え、目の前の患者さんの頑張りを褒めるとともに、家族の到着が間近なことを伝えた。


家族が居ない患者さんにも、同じような話しかけ方をした。


退院後何がしたいかと問いかけた。


どんな病状でも、目先の前向きな話をした。


その日は帰宅すると伝え、翌日必ず会いに来ると伝えた。


嘘はつかず、曖昧な表現もせず、でも……具体的な想像可能な時間軸で人(私)との関わりが望めることを伝えた。(希望になれたと思いたい。)


どんなに言葉や目で見る反応がなくとも、必ず親しげに話しかけるように努めた。


その時、肩に手を置いたり、手に触れたりして話しかけた。


たとえ、私だけがその人と彼(彼女)が健康な時と同じように接していたとしても…… その人が人間らしい時間を感じられるように最大限努めた。(私だったら、そうして欲しいから。そのような人と人との優しさを感じられる接触によって、私自身が救われたことがあったから……その記事は文末のリンクから)


人は時に想像や医療者の経験を絶する回復力を見せる。


そして、そうしたいと願う心は、健常者には他愛なさ過ぎて気づくことすらない些細なことや、たった一言の温かい言葉、無言でも会いに来てくれる誰かの存在……実に様々な要因で保持され、何度でも復活する。


その、この世に繋ぎ止める心は、この世に一つでも楽しみにできることがあるだけで、生きたいと思えることが多い。


生きたいとさえ心底願えれば、人は全人類の想像を絶する力強さで生を求められる。


たったそれだけのことで、生きれる人が一人でも増えるかもしれない。


死に目に家族に会える人が一人でも増えるかもしれない。


この世を去る瞬間、孤独を感じずに済む人が一人でも増えるかもしれない。


だから、どんな状況でも、必ず自分の患者さんや自分が受け持ったことのある重篤な入院患者には、可能な限り話しかけ続けた。


その人が、親しい友人かのようにね。


だから、さりげない手や肩のボディータッチと親しげなその人が意識あると決めつけたような「会話」を常に心がける。


私のような医者なんかが予想する余命を超えて、家族と会えるまで待っていたかのような人は……案外多い。


人間が知らない現象は、私達が想像するよりも多いのかもしれない。


人は時に無力だが、人ほど力を与えられる存在もない。


そうだなぁ。


私は駆け出しの頃の方が、経験を積んでいった先よりも、よほど目の前の患者さんに人として向き合い、人同士として最善を尽くし、本人のためになることができていたのかもしれない。


技術や知識は、あって当たり前だ。


剣山の上での修業は欠かせない。


精進を続けるのは必然だ。


その過程で、絶対に失ってはならないものは、医師自身の人の心や思いやり……そして、患者さんを自分と同じ人間だと感じ続けるその心なのかもしれない。


最近、たまに思う。


なによりも大切なことは、誠意なのかもしれない、と。


成功以外、どんなに頑張ったとしてもAllオアNoneという結果の世界……?


そうかもしれないね。


移植ができるか、治るか、治療が成功するか……


たしかに、成功……それも最善以外の成功は全てNoneに感じてしまう場合もあるのかもしれない。


仮にもしそうだとしても、誠意や優しさを伴った過程というのは、人(医師)と人(患者)だからこそ、もう一つの最も大切なことのように感じる。


今を大切に生きよう!


上記の価値観に至った経験は↓↓の記事をご参照ください。


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