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ダン・ダグモアの最近のインタビューと名演10選
今回も70年代の南カリフォルニアのロックに関するお話。前回は、グラム・パーソンズとリンダロンシュタットの接点を軸に「カントリーロック」というスタイルが形成されていく過程での、実験的試みやそのルーツとなった音楽について検証した。
今回は、リンダたちが追求していた音楽が、「カントリーロック」という時空の限られたジャンルから、より普遍的なアメリカン・ミュージックへと変遷していった過程をあるミュージシャ
リンダ・ロンシュタットとグラム・パーソンズの決して意外ではない接点
前回・前々回の記事で、「カントリーロックのパイオニア」と言われるグラム・パーソンズの生涯について紹介した。1960年代末から70年代初頭のロサンゼルスで華開いた「カントリーロック」──その形成の過程でグラム・パーソンズが果たした役割は大きいが、カントリーロックは決してグラムひとりが作り上げたものではない。全米各地からこの地に引き寄せられてきた若者の才能とエンターテイメント業界のコマーシャリズムが入
もっとみるグラム・パーソンズ、そして、ジョシュア・トゥリー(後編)
今日「アメリカーナ」や「ルーツロック」と言われる音楽の歴史を語る際、無視できない人物のひとりがグラム・パーソンズだろう。前回の記事では、「カントリーロック」のパイオニアと言われる彼がどのような音楽をつくってきたのか、そして、そこに至るまでどのような人生を過ごしてきたのか、その断片を紹介した。今回は、彼の命をわずか26年で奪うことになった非業の死にまつわるエピソードと、その背景にある、ある場所の存在
もっとみるグラム・パーソンズ、そして ジョシュア・トゥリー(前編)
前回の記事でクリス・ヒルマンとバーニー・レドンについて取り上げたので、今回は、フライング・ブリトー・ブラザーズで彼らのバンドメイトだったグラム・パーソンズについて書いてみたい。
グラム・パーソンズと言えば、今でこそ「カントリーロックのパイオニア」として一定の認知と評価を得ているが、私が彼の音楽を意識し始めた80年代前半には、まだまだ知る人ぞ知る存在だった。エルヴィス・コステロが81年に彼の曲を取
バーニー・レドン×クリス・ヒルマン:最新の対談動画で知ったいくつかのエピソード
先日、note仲間の音楽の杜さんが、フライング・ブリトー・ブラザーズのサードアルバムとディラード&クラークのファーストアルバムを相次いで紹介されていた。すると、まるでそれにタイミングを合わせたかのように、ある興味深い対談動画がカントリーミュージック名誉殿堂博物館のサイトにアップされた。フライング・ブリトー・ブラザーズでバンドメイトだったクリス・ヒルマンとバーニー・レドンの最近の対談だ。ご存じのよう
もっとみる44年後の感慨:ドゥービー・ブラザーズ「Keep This Train A-Rollin'」
先日、note仲間のよっしーさんがドゥービー・ブラザーズの76年のアルバム『Takin' It to the Streets』(邦題『ドゥービー・ストリート』)について書かれた記事(下記)を読んだ後、それに感化されてマイケル・マクドナルド期のドゥービーのアルバムを順番に引っ張り出して聞いていた。
『Takin' It to the Streets』から順を追ってBGM的に何げなく聞いていたのだが
【追悼】デイヴィッド・サンボーンの歌伴名演10選
去る5月12日、日本でも人気の高いサックス奏者、デイヴィッド・サンボーンが亡くなった。78歳だった。最近も「サンボーン・セッションズ」というYouTubeチャンネルでゲストとの共演を発信していたし、コンサートの予定も入っていた。なので、私自身は寝耳に水という感じだったのだが、実はここ数年来、前立腺癌と戦っていたという。彼のFacebookページをフォローしながら見落としていたのだが、この5月4日の
もっとみるブルーグラス名盤探訪『J.D. Crowe & the New South』(1975年)
毎年新緑の季節になると、ブルーグラスが聞きたくなる。本能的なものか、その言葉の響きからくる「刷り込み」に近いものなのかはわからない。
ご承知のとおり、「ブルーグラス」というジャンル名は、この音楽スタイルを確立したビル・モンローのグループ名「ブルーグラス・ボーイズ」に由来する。1930〜40年代にかけて、スコットランドやアイルランドにルーツを持つアパラチア地域で歌い奏でられていた民俗音楽にブルース
ジェイムス・テイラー コンサート雑感(2024年4月6日 東京ガーデンシアター)
ジェイムス・テイラーは、私にとって特別な存在だ。14〜5歳の頃に初めて聞いて以来40数年、ジェイムスの音楽は常に私の人生のBGMだった。20歳前後の多感な時期、彼の曲はジャクソン・ブラウンの曲とともに、私の人生の「道標」だった。「Country Road」や「Riding On A Railroad」に自分探し・アメリカ探しの旅に出る勇気をもらい、疲れた時には「Yon Can Close Your
もっとみるL.ヘルム/J.キャッシュ/E.ハリス/C.ダニエルズらによる出色のコンセプトアルバム『The Legend Of Jesse James』
前回の記事でエミルー・ハリスの2番目の夫ブライアン・アハーンについて、彼が関わった70年代の作品を軸に取り上げた。一方で、エミルーの80年代を語るとき無視できないのが、3番目の夫ポール・ケナリーの存在だ。今回は、このポール・ケナリーについて、彼を語る上で鍵となるアルバム『The Legend Of Jesse James』を軸に掘り下げたい。
アルバム『The Legend Of Jesse J
プロデューサー ブライアン・アハーンと「White Line」
少し前にエミルー・ハリスの初期の曲「アマリロ」(Amarillo)について書いた際、彼女の当時のプロデューサーであり、その後夫にもなるブライアン・アハーンについて言及した。70年代のカリフォルニアにおいて、ロックサイドからのカントリーロックでもナッシュビル産のカントリーでもない、独自のカントリーミュージック・モデルの形成に寄与したという意味で、ブライアン・アハーンの果たした役割は大きいはずだが、そ
もっとみる新譜レビュー:John Leventhal 『Rumble Strip』
今回は、1月末に発表されたジョン・リヴェンサールのデビューアルバムを取り上げたい。「デビューアルバム」と言っても、彼はぽっと出の新人などではない。それどころか、プロデューサーとして19回もグラミー賞にノミネートされ、そのうち1998年にはプロデューサー&コンポーザーとして「ソング・オブ・ザ・イヤー」と「レコード・オブ・ザ・イヤー」も受賞している。90年代以降、「アメリカーナ」と言われる分野の一翼を
もっとみるボズ・スキャッグスとジェフ・マルダーの 一見意外な音楽的共通項
前回、ボズ・スキャッグスの音楽的ルーツに触れた記事を書いた際、彼の実質的ファーストアルバム『Boz Scaggs』(1969年)を聞き直していたのだが、そんな中でちょっとした「気付き」があった。それは、ボズの根っこにある音楽性とジェフ・マルダーのそれとの共通点だ。例えば、アルバム『Boz Scaggs』には、一般的な彼のAORイメージからはほど遠いカントリーブルース的な要素が垣間見られる。ボズがヨ
もっとみるボズ・スキャッグスの音楽を何と形容するか?
ボズ・スキャッグスが来日する。ここのところ東京公演1回切りという海外アーティストが多い中、2月19日の東京から3月1日の福岡まで、なかなかのサービスぶりだ。ボズの来日は、1978年の初来日から今回で何と23回目になるという。それだけ彼が日本のファンに愛されているということだろう。
ボズのコンサートは今までに4回見た。最初に見たのは1983年。ジョー・ウォルシュ、マイケル・マクドナルドとのジョイン