国境の町 エルパソ
先月(2024年5月)末、ウィリー・ネルソンの新しいアルバムが発売になった。ソロスタジオ作としては何と75作目。コラボレーションも含めれば、彼が作ってきたアルバムは150を超える。1933年(昭和8年)生まれの91歳、この年齢で現役バリバリで活躍している芸能人は、他には黒柳徹子さんくらいしかいないのではないだろうか。さすがに往時に比べれば声はガラガラだが、それでも十分に伸びのある歌い方だ。しかも、若い頃とは違う、ある種の凄みすら感じさせる。
新作のタイトルは『The Border』。タイトル曲「The Border」は、その象徴的なアルバムカバー・ビジュアルとともに、既に3月に先行リリースされていた。この曲はロドニー・クロウェルのオリジナル(アレン・シャンブリンとの共作)で、クロウェルの2019年のアルバム『Texas』に収められていたものだが、アメリカ大統領選の今年、この曲をいち早くリリースし、アルバムタイトルにもしたウィリーの気概に感服する。
曲の背景になっているのは、近年大きな問題となっているアメリカ=メキシコ間の国境問題。周知の通り、トランプ前大統領が不法移民阻止のために壁の建設を推し進め、バイデン現大統領が前回の選挙戦公約に人道的見地からの建設中止を掲げたものの、あまりの不法入国の多さに昨年10月に建設の再開を打ち出している。一筋縄では行かない複雑な問題だが、アメリカ人であれば目を背けてはならない問題、いや、アメリカ人に限らず、全世界の人間がもっと目を向けるべき問題だろう。
一般に、カントリー歌手は「右寄り」と見られがちだが(実際その傾向が強い)、ウィリー・ネルソンは根っからのリベラル派だ。だが、この曲「The Border」は、声高に政治的主張を述べるようなメッセージソングではない。しがない国境警備隊員が自分が感じている国境地帯の腐敗を呟きのように語る、そんな歌だ。
ウィリー・ネルソンのシグネチュアサウンドとも言えるメキシカンボレロ風のギターが、メキシコ情緒を醸し出す。ボディに穴ぼこの空いたガットギターでウィリーが若い頃から奏でてきた音だ。1984年にウィリーが唯一の来日を果たした際のコンサートパンフに掲載されていた鈴木道子氏とのインタビューの中で、彼は「僕の音楽の傾向は、どこかスペイン的になりがちなので、前世か来世はメキシコ人なのかもね」と答えていた。
この歌の主人公は、汚職について明からさまに語っているわけではない。ただ、彼の言葉からは、それを見て見ぬふりをする連中やそれに加担する連中がいることが透けて見える。そして、彼自身も、そのことを公言できないことに良心の呵責を覚えている。彼はアメリカの国境警備隊員として働いているようだが、妻と思える女性がマリアという名であること、カンポスやラミエンというメキシコ名の友人がいたこと、さらには「川を渡って懐かしいメキシコでひとりで死にたい」と言っていることなどから、彼自身もメキシコ系の移民と考えられる。(そう言えば、サウスウェスト情緒漂うジャクソン・ブラウンの曲、「泉の聖母」に出てくる女性の名前もマリアだった)
このストーリー、そして、「The Border」というタイトルから思い起こされるのは、1982年に公開された同名の映画だ。そこでも、ジャック・ニコルソン扮する国境警備隊員が、腐敗にまみれた国境警備の実情に良心の呵責を覚えていた。
この映画の公開から既に40年以上経っているわけだが、アメリカ=メキシコ間の国境問題は全く変わっていないどころか、むしろ深刻さを増している。楽曲「The Border」の作者ロドニー・クロウェルがこの曲を書き始めたのは2004〜5年頃だというから、その頃はメキシコより南の国々からの移民は今ほど深刻ではなかっただろう。しかし、逆に言えば、根本的な問題は何十年も変わっていないということになる。4番の歌詞で歌われているカンポスとラミエンというのは実在した国境警備隊員で、2005年に国境付近で逃走していた非武装の麻薬密売人を撃って負傷させ、その事実を隠蔽しようとしたとして収監された人たちだという。(その後ふたりは、ブッシュ政権時代に減刑、トランプ政権時代に完全赦免されている)
壁の問題は別にしても、洋の東西、陸海空を問わず、とかく国境地帯というのは汚職の温床になるところだ。東南アジア辺りでも、空港の税関職員に賄賂を要求されたというのはよく聞く話だ。権力と貧困が混在するところには、おそらく太古の時代から必然的に生じてきた問題なのだろう。幸いなことに、現代の日本人の多くは、こういった国境線に関わる汚職や国境地域での緊迫感といったものにはあまり馴染みがない。それゆえ、無頓着だとも言えるだろう。物理的な国境が日本にないせいもあるし、戦後の日本では比較的貧困格差が少ない社会が築かれてきたことや、こういった汚職を「悪」と考える文化が根付いてきたことも大きいのではないだろうか。
ライ・クーダーが音楽を手掛けた映画『The Border』の主題歌は、メキシコ系テキサス人シンガー、フレディ・フェンダーが歌った「Across the Borderline」という曲だった。アメリカルーツ系音楽が好きな我々世代の日本人には、作者のライ・クーダー自身が歌っていたバージョンがパイオニア「Lonesome Car-boy」のCMに使われていたことでお馴染みだろう。(ライは、後のアルバム『Get Rhythm』(1987年)でこの曲を再録している)
この曲は、国境を超えてアメリカに渡ろうとしたメキシコ人の視点で語られている。夢を描いてはるばる国境地帯までやってきたものの、憧れとはほど遠い現実がそこにあることを知り、その悲しい現実を同胞たちに優しい言葉で警告する──そんな内容だ。サビの部分の歌詞がそのことを象徴的に伝えている。
この曲のテーマは、国家や資本主義に虫けら同然に扱われる貧しい移民を歌っているという意味において、各々背景は異なるものの、ウッディ・ガスリーの「Do Re Mi」や「Deportee」にも通じる。前者はライ・クーダーがファーストアルバム(1971年)で取り上げていた曲。後者は、クラシックロックファンの間ではバーズのバージョンで知られているかもしれないが、ウィリー・ネルソンも、ウェイロン・ジェニングス、ジョニー・キャッシュ、クリス・クリストファスンとのコラボ「ザ・ハイウェイメン」のファーストアルバム(1985年)で歌っていた。ウィリーは93年には、ライ・クーダーの「Across the Borderline」も取り上げ、この曲をタイトルに冠したアルバムも発表している。リベラル派のテキサス人であるウィリーにとって、国境問題は目をつぶるわけにいかない問題なのだろう。
映画『The Border』の舞台となったのは、テキサス州の西の端でメキシコに接する街、エルパソだ。前述の「The Border」で歌われていた国境警備隊員のカンポスとラミエンがいたのもこの街だ。国境地帯の緊張感などというのは、我々日本人が普段感じることのないものだが、私自身はこのエルパソ周辺でそれに近いものを少しだけ体感したことがある。それは、1988年の1月末。約8カ月のアイダホでの短期留学を終え、アメリカ横断の一人旅の途中だった。ニューメキシコ州南部の丘陵地のようなエリアの片側一車線のハイウェイを走っていたとき、けたたましいサイレンを急に鳴らしてハイウェイパトロールの車が後から近づいて来た。記憶としては、下の写真のような雰囲気の場所だった。もちろん道は舗装されていたが。
車を脇に停めるよう指示され、屈強な白人保安官二人が近づいてきた。スピード超過していたわけではない。免許証を見せるように言われ、外国人だとわかると今度はパスポートを見せるよう言われた。パスポートを入念にチェックしていた一人が言った。「お前のビザはあと数日で失効するから、すぐに国外退去しろ!」。「そんなことはないはずです」。私は反論した。実は、学生ビザの有効期限については、心配だったので、旅に出る前に留学生の世話係のおばさん(事務員)に確認していた。彼女いわく、「留学期間が終わった後、3カ月は大丈夫と思いますよ」ということだった。しかし、これはいい加減な情報だったようで、本当は1カ月が正しかった。私はまだこれから東海岸を目指すつもりで、ここでいきなり帰国するわけにいかなかった。即刻退去を命じる強面のハイウェイパトロールに「何か他に方法はないんですか?」と尋ねると、「なくはない」と言う。「エルパソまで行って、一旦メキシコへ出国しろ。そうして、もう一度入国すれば、今度は観光ビザ扱いになるから、あと3カ月はアメリカにいられる」。どの道エルパソを訪れるつもりだったので、これは結果的には大変ありがたいアドバイスだったが、70〜80年代前半のアメリカ映画によくありそうなこのシーンは、20歳そこそこの私にとっては結構な恐怖体験だった。
実はこの時、私が乗っていた車のコンディションは最悪だった。留学中のアイダホで友人から500ドルで譲り受けた車で、73年製のアメリカンモーターズ社の「ホーネット」という車種だった。そもそもそんな車で一人でアメリカ大陸を横断しようなどというのが、無謀と言うべきか、無知と言うべきだった。寒い朝などにはエンジンが掛かるまでに何分かを要した上、グランドキャニオン近くのフラッグスタッフという町ではブレーキが突然効かなくなってしまった。ブレーキペダルがスコーンと抜けたようになり、ペダルを踏んでもそれを返す反発力がなくなったのだ。慌てて修理屋に飛び込み、1泊2日で修理してもらったのだが、すると今度はペダルがほとんど踏み込めないくらい硬くなってしまった。「ちょっと硬すぎるんじゃないですか?」と修理工場の人に言ったが、「最初はちょっと硬く感じるかもしれない」くらいの返答だった。そんな状態のまま、ウィンスローから、モニュメントバレー、サンタフェへと廻り、ホワイトサンズ国定公園という雪のように白い砂漠地帯に向かう前後に、ハイウェイパトロールに目を付けられたのだった。今から思えば、足回りが白い砂にまみれたオンボロ車を見て、不法移民と思われたのかもしれない。
ハイウェイパトロールの一件の後、エルパソに向かう途中、ブレーキの硬さは、よくなるどころか益々ひどくなってきた。エルパソの郊外に差し掛かった頃、ついに四つ角の赤信号で止まれなくなり、そのままま交差点に滑り込んでしまった。制御の効かない氷の上にいるようだった。幸い交差点に車は来なかったが、状況によっては大惨事になっていたかもしれない。命からがらエルパソ市内に辿り着き、またまた修理屋に飛び込んだ。何とか状況を説明し、またもや1泊2日で車をドック入りさせた。その結果、どうやらフラッグスタッフの修理工場の作業員がブレーキペダルのねじ止めを本来とは違う箇所に取り付けため、全然遊びがない状態になっていたらしかった。この頃、アメリカンモーターズという会社はクライスラーに買収されており、既になかった。部品の調達もままならなかったのだとは思うが、それにしてもアメリカ人恐るべしである。
翌日、何とかましになった車で国境線を目指した。国境を超えてメキシコに渡るのは実はこの時が2回目で、先に訪れたサンディエゴでも国境の向こうにある街、ティファナを訪れていた。しかし、サンディエゴ=ティファナ間の国境検問所周辺は、今にして思えば、ほとんど観光地のようになっており、ティファナ側にも土産物屋やレストランが連なるなど、明るく賑やかな雰囲気だった。それに比べて、エルパソと対岸の町シウダー・フアレス間の検問所周辺は、なんだか殺伐とした雰囲気で、ある種の緊張感が漂っていた。
メキシコ側に出るのはごく簡単だったと思う。検問所を出るとすぐに川があり、橋が架かっていた。リオグランデだ。橋を渡っても特に何もなかったのですぐにUターンし、再び検問所に向かった。車が列をなしており、自分の順番が来るまでかなり時間を要したが、再入国審査そのものに手間取った記憶はない。入国審査官も、ある程度人種や人相を見て審査を行っていたのだろうか。
エルパソの街の記憶は、車の修理とこの国境検問所以外、ほとんど残っていない。そのくらいしか写真に撮っていないからだが、特に写真を撮ろうとは思わないくらい印象的なものがなかったのかもしれない。或いは、修理のことと再入国のことで頭がいっぱいだったのだろうか。ここを訪れるまでのエルパソのイメージは、往年のカントリーシンガー、マーティ・ロビンスのヒット曲「El Paso」とその続編とも言える「El Paso City」で歌われていたような、メキシコ風情を感じさせる西部劇の世界だった。赤茶けた大地を何となくイメージしていたのだが、記憶として残っているこの町の色は、限りなく白に近いグレーだ。たまたまその時の天気がそういう曇り空だったせいかもしれないが…
バイデン大統領は、つい先日(6月4日)、不法越境対策強化の大統領令に署名している。不法越境者の数が一定数を超えた場合、難民申請の受理を一時的に停止し、直ちに送還することを可能にするというものだ。
「グローバル化」や「ダイバーシティ」といった言葉が、企業や行政によってお題目のように唱えられる昨今。しかし、そういったお題目より、ひとりひとりの当事者がどう感じているか、そこに目を向け、耳を傾けることが大切。それを見届けるまでは死にきれない──ウィリー・ネルソンはそんなふうに思っているのではないだろうか。
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