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ボズ・スキャッグスとジェフ・マルダーの 一見意外な音楽的共通項

前回、ボズ・スキャッグスの音楽的ルーツに触れた記事を書いた際、彼の実質的ファーストアルバム『Boz Scaggs』(1969年)を聞き直していたのだが、そんな中でちょっとした「気付き」があった。それは、ボズの根っこにある音楽性とジェフ・マルダーのそれとの共通点だ。例えば、アルバム『Boz Scaggs』には、一般的な彼のAORイメージからはほど遠いカントリーブルース的な要素が垣間見られる。ボズがヨーデル唱法を聞かせるジミー・ロジャースのヒルビリーブルース「Waiting for a Train」が顕著な例だが、この種の戦前のカントリーブルースはジェフ・マルダーの十八番レパートリーだ。そんなことを思いながらジェフの一連の作品を聞き直してみたのだが、すると今度は、ジェフの側からボズとの共通点を再認識することができた。今回はそのことについて触れてみたい。

日本にもマニアックなファンが多いジェフ・マルダーだが、一般的な知名度は決して高いとは言えない。洋楽ファンの間でも「マルダー」と言えば、元奥方で離婚後も元旦那の姓をそのまま名乗っているマリア・マルダーの方が知られているくらいだろう。そんなわけで、まずはジェフのバイオを引用すべくウィキペディアを見てみたのだが、日本語ページは存在しなかった。英語版の方もイントロの説明が少し言葉足らずな感じだったので、「OK Music」というサイト(この3月にサービス終了するという)に掲載されていた紹介文の冒頭部分を引用しよう。

Geoff Muldaur ジェフ・マルダー
60年代のボストン・フォーク・シーンにブルース・リヴァイヴァリストとして登場するのと同時に、ジム・クウェスキン&ザ・ジャグ・バンドの一員として活躍。解散後はウッドストックに拠点を移して奥方とのデュオ、ジェフ&マリア・マルダー、ポール・バターフィールドのベター・デイズ、一時は名ギタリスト、エイモス・ギャレットともコンビを組んでいたこともある。ある意味、ヴァン・ダイク・パークスやジョン・サイモンと並ぶ亜米利加音楽の探求者だ。

出典:OK Music

簡潔で的を射た紹介文だ。強いて補足するとすれば、ジェフのアメリカ音楽探求の姿勢は、ヴァン・ダイク・パークスやジョン・サイモンにも確かに通じるが、彼ら二人が元来ピアノ弾きでアレンジャー/プロデューサー的性格が強いことを考えると、ジェフの場合は、むしろライ・クーダーに近いと言えるのではないだろうか。マンドリン、バンジョーから、ピアノ、トロンボーン、クラリネットまでこなすマルチインストゥルメンタリストではあるが、基本的にはギタリスト兼シンガーである点や、自作曲が比較的少ない点、ジャグバンド時代に一定の成功を得た後にバークリー音楽院で学び直したくらいの学究肌である点も、ライ・クーダーに通じるものを感じる。二人とも、盲目の黒人ゴスペルブルース・シンガー、ブラインド・ウィリー・ジョンソンに大きな影響を受けている上(ライが手掛けた映画『パリ、テキサス』のテーマ曲は、ジョンソンの曲「Dark Was the Night, Cold Was the Ground」をモチーフにしたもの)、60年代初頭に片やLA、片やボストン・ケンブリッジのフォーククラブで仲間たちと研鑽を積んでいたという時代性も共通する。

ジム・クウェスキン&ザ・ジャグ・バンド時代(60年代初め)のジェフ・マルダー(左端)。右端はマリア。
出典:Tallahassee Democrat collection

ただ、ライ・クーダーの場合、個性的なスライドギター・スタイルからあちこちのセッションに駆り出されたり、80年代以降は映画音楽を任されたりと、自身のルーツ探求型レコードが売れなくても、ある程度「潰しが効く」人だった。一方のジェフは、多くの人に求められるような特長に乏しかった。他人のレコードへのゲスト参加も親しい友人レベルに限られており、ライのようにセッションワークで日銭を稼ぐようなタイプではなかった。実際、80年代初めから90年代末の長きにわたって音楽業界から離れ、自動車向けのソフトウェアの開発で身を立てていたという。

ジェフ・マルダーの代表曲は何?と聞かれても、恐らく万人共通の曲名は出てこないだろう。これといったヒット曲がないせいもあるし、彼の音楽の輪郭が曖昧なせいもある。戦前のブルースから戦前ポピュラー音楽、アーリージャズ、ゴスペル、ヒルビリー、ニューオーリンズから中南米までをカバーする音楽的包容力の広さゆえ、それらの音楽に共通する時空的共通性を見出せない人には、彼のアルバムはともすれば散漫なものに聞こえる。かく言う私も、ジェフ自身が最も自信を持っていると思われるアルバム『Is Having a Wonderful Time』(1975年)を最初に聞いた時には、何だかまとまりのないアルバムだなぁと思った。シンガーとしても決して「上手い」タイプではない。ライ・クーダーもそうだが、「ヴォーカリスト」と言うよりは、楽器とのアンサンブルを踏まえて「雰囲気」で聞かせるタイプだ。

ジェフ・マルダーらしさを象徴する曲としてここで紹介したいのは、マリア・マルダーとの夫婦デュオの1枚目『Pottery Pie』(1968年)に収められていた「Prailie Lulluby」という曲。多くの人にカバーされている戦前のヒルビリーブルースだが、一般的には最初に録音(1933年)したジミー・ロジャースの曲として知られている。ジェフは、2000年の復活第2弾アルバム『Password』でもこの曲を再演しているくらいだから、彼にとって思い入れのある曲であることは間違いなさそうだ。

Geoff & Maria 『Pottery Pie』(1968年)
ジェフ・マルダー『Password』(2000年)

ボズ・スキャッグスのファーストで「Waiting for a Train」を改めて聞いた時に思い出したのが、このジェフ・マルダーのジミー・ロジャース・カバーだった。ジミー・ロジャース(1897-1933年)は一般的には「カントリー音楽の父」として知られているが、南部生まれの彼の音楽の多くは、黒人の12小節ブルースの形式を取り入れたものだった。ロジャースが活躍した1930年代には、「カントリーミュージック」という言葉はまだ生まれていなかった。スコットランドやアイルランドの民謡をルーツにアパラチア周辺で発展してきたフォークソングやマウンテンミュージックに黒人のブルースやジャズの要素を取り入れたのがジミー・ロジャースで、そのスタイルはその後に出てくるハンク・ウィリアムスなどを経て、今日の「カントリーミュージック」に繋がっている。(ジミー・ロジャースの「Waiting for a Train」のオリジナルバージョンには、ディキシーランドジャズ的な間奏も入っている)

いわば、ブルースの「白人化」を図ったのがジミー・ロジャースであり、彼はカントリーミュージックの殿堂入り以外に「ブルースの殿堂」入りも近年果たしている。ただ、1920〜30年代という時代を考えれば、一般市民の日常を歌う「フォークソング」の世界は案外白黒混交だったのではないかと思える。それは、レッドベリーミシシッピ・ジョン・ハートなどの黒人の音楽を聞いても感じることだ。そういう米国民俗音楽の中の「ブルーズ」をしっかりと感じとったのが、ジェフ・マルダーであり、ボズ・スキャッグスだったのではないだろうか。もっともこれはこの二人に限ったことではなく、ボブ・ディランも含め、ティーンエイジャーとして1960年前後のフォーク・リバイバルの時代に音楽を吸収した多くの人たちに共通するものだと思う。

ボズ・スキャッグスがこうしたカントリーブルース調の曲を取り上げていたのは、せいぜい2作目までだった。それ以降、彼は都会的なソウル色を強めていく。しかし、原点回帰が鮮明になった2013年のアルバム『Memphis』では、アレンジこそややモダンながら、再びカントリーブルース作品が取り上げられている。1920年代から存在するトラディショナルで、初期のボブ・ディランもカバーしていた「Corrina, Corrina」だ。(下の映像はもう少し最近(2020年頃)のもので、アルバムのものよりもアコースティックな仕上がりになっている)

一方、基本的にキャリア全般を通じてアーリー・アメリカン・ミュージックを追求してきたジェフ・マルダーだが、唯一少し例外と言える作品がある。1976年のアルバム『Motion』だ。彼のアルバムの中ではモダンな音づくりで、私もアナログ盤を持っていながら「ジェフ・マルダーらしくない」とあまり聴いてこなかった作品だ。実はジェフ自身もこのアルバムが気に入っていないようで、『レコードコレクターズ』2001年3月号の記事によると、「スタジオに行ったらカラオケが用意されていて歌っただけ」だという。しかし、今回、ジェフ・マルダーに対して持っているイメージをまっさらにして改めて聴いてみたところ、必ずしも悪い作品ではないと思った。アルバム全体から醸し出されるのは、AOR以前/ディスコブーム前夜のブルーアイド・ソウル風味だ。冒頭のゲイリー・ライトの曲「Let It Out」のアレンジは、『Silk Degrees』の中の佳曲「Georgia」を彷彿させ、ホーンの使い方にはメンフィスソウルの香りもする。そして、このアルバムでは、ボズが『Silk Degrees』でカバーしていたアラン・トゥーサンの曲「What Do You Want the Girl to Do」が取り上げられている。

『Motion』では、この曲のほかにグレン・キャンベルが翌77年にヒットさせた「Southern Nights」を含め、計3曲のトゥーサン作品が取り上げられている。加えて、ニューオーリンズ出身のロニー・バロン(ジェフとはポール・バターフィールドとのベターデイズ時代のバンドメイト)の曲もフィーチャーされているが、アルバム全体から漂う雰囲気はニューオーリンズというよりは、多少メンフィスの香りのするブルーアイド・ソウルで、ストリングスのあしらいにはディスコの匂いもする。『Silk Degrees』が発表されたのが76年2月。『Motion』は同年10月。かなりの確率で『Silk Degrees』を意識したプロダクションなのではないだろうか。

ジェフ&マリアの時代からリプリーズレーベルに所属していたジェフ・マルダーだが、このレーベルにはマリア・マルダーのほか、ライ・クーダーやジョン・セバスチャン、アーロ・ガスリーらも所属していた。古き良きアメリカ音楽をある程度強みにしているようなレーベルカラーだったはずだが、このA&R面での強引な舵取りは何だったのだろうか?(ちなみに、リプリーズの親会社であるワーナーブラザーズ(WB)は、76年に一旦リプリーズを休眠状態にさせ、所属アーティストをWB直下に置く組織変更を行っている)そうなると気になるのがプロダクションだが、このアルバムのプロデュースとアレンジを担当したのは、トレヴァー・ローレンス。後期バターフィールド・ブルース・バンドのホーンセクションをデイヴィッド・サンボーンらとともに担った黒人サックスプレイヤーで、スティーヴー・ワンダーやストーンズ、ジョー・コッカーらのホーンセクションにも参加していた人だ。

バターフィールド・ブルース・バンドの『Live』(1970年)の ゲートフォールドジャケット中面より。左から2人目のバリトンサックスがトレヴァー・ローレンス。その右横はデイヴィッド・サンボーン。

この人選はポール・バターフィールド繋がりではないかと思えるのだが、興味深いのは録音地がクレジットされていないこと。ヴォーカルとバッキングトラックが別の場所で録音されたので、録音スタジオを明記できなかったのだろうか。タイトル通りジェフの自信作である前作『(Geoff Muldaur) Is Having a Wonderful Time』には、旧知のジョー・ボイドのプロデュースの下、以前から行動を共にしていたミュージシャンたち(エイモス・ギャレット、クリス・パーカー、ビリー・リッチ、ビル・キース、マリア・マルダーら)に加え、バーナード・パーディやコーネル・デュプリーなど、NYのセッションメンが参加していた。一方、『Motion』のクレジットを見ると、バックはLA拠点のミュージシャンを中心に構成されている。ジム・ケルトナーやクラウス・ヴァーマン、ディーン・パークス、ジェシ・エド・デイヴィス、ホーンセクションには、プロデューサーであるローレンスと数々のセッションを共にしてきたジム・プライスやボビー・キーズ。最も興味深いのが、当時ジム・ケルトナー、ダニー・コーチマーらとともにアティチューズを組んでいたデイヴィッド・フォスター、そしてジェイ・グレイドンの参加だ。フォスターとグレイドンに特徴的な音はまだ目立たないが、この二人とジェフの組み合わせにはやはり違和感を感じる。それまでボストンやウッドストックでルーツ音楽を追求していたジェフを、西海岸イメージのブルーアイド・ソウル・シンガーに仕立て上げようとする力が働いたことは、出来の悪いジャケットデザインからも窺い知れる。

ジェフ・マルダー『Is Having a Wonderful Time』(1975年、左)『Motion』(1976年、右)

ただ、ジェフ・マルダー自身がR&B〜ソウル的な音楽に全く関心がなかったかと言うと、そうとも言えない。彼の自信作『Is Having a Wonderful Time』(1975年)でも、60年代のR&Bヒット「Higher and Higher」をメンフィスソウルっぽいホーンをフィーチャーしながらカバーしている。この曲をリタ・クーリッジがヒットさせたのは77年だが、面白いのは、その曲を収めたリタのアルバム『Anytime... Anywhere』に収録されているダニー・ホイットン作品「I Don't Want to Talk About It」を、ジェフが先に『Motion』で取り上げていること。(ロッド・スチュワートがこの曲をヒットさせたのは77年)。ちなみにリタは『Anytime... Anywhere』でボズの「We're All Alone」もカバーしており、ボズがアメリカでシングルカットしなかったこの曲を全米7位のヒット曲にしている。

リタ・クーリッジ『Anytime...Anywhere』(1977年)

ジェフのアルバム『Motion』の中で私が最も良いと思う曲は、ベターデイズ時代のバンド仲間・ロニー・バロンの作で、ボニー・レイットとのデュエットで歌われる「Since I've Been With You Babe」だ。ここでのジェフのヴォーカルはなかなか垢抜けていて、ヒットしてもおかしくないような出来に仕上がっている。

ボニー・レイットと言えば、興味深いのが、彼女がアラン・トゥーサンの「What Do You Want the Girl (Boy) to Do」をジェフやボズよりも先に取り上げていること(75年のアルバム『Home Plate』収録)。ケンブリッジのフォーク&ブルースシーン出身で、一時ウッドストックにもいたボニーは、同じシーンの先輩格ジェフと旧知の間柄だったと思われるが、ボズ・スキャッグスも2015年の『A Fool to Care』でボニーとのデュエットを実現させている。『A Fool to Care』は、『Memphis』(2013年)に続くボズのルーツ回帰第2弾アルバムだが、この中には過去にジェフ・マルダーが取り上げていた曲が2曲含まれている。ひとつは、ニューオーリンズ出身のR&Bピアニスト、ヒューイ・"ピアノ"・スミスの50年代のヒット「High Blood Pressure」で、ジェフは前述の『Is Having a Wonderful Time』でカバーしている。もう1曲は、ベターデイズのセカンド『It All Comes Back』(1973年)でジェフが歌ったボビー・チャールズ(ベターデイズの準メンバー的存在だった)の作品「Small Town Talk」(リック・ダンコとの共作)だ。

『A Fool to Care』は、ニューオーリンズ風の泥臭いR&Bや50年代の3連系ロッカバラード、アル・グリーン、カーティス・メイフィールドらのソウルミュージックから、キューバ風の曲まで、ややまとまりにかける印象のアルバムだったが、この一見バーサタイルなアプローチはジェフ・マルダーのそれに似ていることに気が付いた。米国から中南米まで、時空横断的にグッドタイム・ミュージックを探求するアプローチだ。ボズがこのアルバムでザ・バンドの「Whispering Pines」を取り上げたのは当初意外だったが、これも、「Small Town Talk」と同様、ウッドストックで生まれた米国南部への憧憬に根ざす曲と考えれば合点がいく。元々同じような音楽志向でありながら、70年代半ばに時代の波に乗ったボズ・スキャッグスと、時代から取り残されたジェフ・マルダー。私が知る限り二人の直接の接点は見受けられないが、ほぼ同年代の二人が結局は同じ出発地に帰港した──今回そんな印象を強くした。

必ずしも「上手い」とは言い難いジェフ・マルダーのヴォーカルの中で、私が最も味わい深いと感じるのが、ベターデイズのファースト(1973年)に収められていた50年代のブルースバラード「Please Send Me Someone to Love」だ。ニューオーリンズの川面に浮かぶ月影を思わせるような気だるいムードから最後には熱い絶唱で終わるこの曲。今のボズ・スキャッグスにぴったりだと思うのだが、どうだろうか。


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