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学会遠征編 8日目(終) 帰国

はじめに

この記事は学会遠征編 7日目 敗走|シナモンパン (note.com)の続きです。2024年3月20日(水・祝日)の視点で書いています。まだ読んでいない方はこちらも確認してみてください。シリーズ化しているので、最初から読むと話が分かりやすいかと思います。以下常体

学会遠征編 1日目 徳島への移動日|シナモンパン (note.com)
学会遠征編 2日目 徳島の学会と鳴門の渦|シナモンパン (note.com)
学会遠征編 3日目 徳島観光|シナモンパン (note.com)
学会遠征編 4日目 淡路島観光と明石市|シナモンパン (note.com)
学会遠征編 5日目 バンコク上陸|シナモンパン (note.com)
学会遠征編 6日目 タイの学会|シナモンパン (note.com)
学会遠征編 7日目 敗走|シナモンパン (note.com)

飛行機

 3連続シートのいちばん窓側のシートなので、移動するにも一苦労である。トイレも我慢しようかと思ったが、これから寝ていきたいというのにおねしょの心配をしながら5時間耐えるというのはさすがに困難だ。トイレには適宜行くことにした。ついでに広い場所に出れば大きく伸びもできるので、筋肉的にもありがたい。ゆっくり寝ようとした。
 当然ながら寝られなかった。体中から緊張をほどいて、副交感神経を優位にさせようと思えば思うほど逆に睡眠からは遠ざかっていった。目がぱっちりするわけではない。ただただ寝られないのだ。隣に誰もいなかったら少し大きく座席を使っていたことだろう。後ろに人がいなければ座席を倒していたことだろう。前に人がいなければ足を投げ出してリラックスしていたことだろう。窮屈な自分には何もできなかった。休みたい。こうして熟睡とはいかずとも休憩という形で数時間飛行機に乗っていた。
 日本時間で午前4時を過ぎたころ、飛行機は既に台湾の上空を超えていた。順調に飛んでいるようである。ここで機内食の時間となった。こうなったらもう寝ているわけにはいかない。配膳されたメニューは、今度はお米主体の和食だった。
「みそ汁はお付けしますか?」
もちろんだ。みそ汁こそ日本の代表的な料理である。これをいただかないことには日本に入国できない。みそ汁の温かみが飛行機のサービスの温かさとも感じられた。ドリンクは、せっかくなのでアルコールにしようと思っていた。かつて旅好きの友人が国際線はアルコールの提供もあると教えてくれたので、本当に飲めるのか気になったのだ。もちろんOKだった。メニュー表を見せてもらい、赤ワインのミニボトルをいただいた。ぶどう感の強い香りでおいしくいただけた。ちなみに隣に座っていたおじさんはasahiビールを飲んでいた。なるほど、ビールで日本を思い出すのも手だったかもしれない。
 こんなところで悪酔いしても虚しいだけなので1本に留めた。機内食を美味しくいただいてもう少し時間がたったころ、飛行機は着陸の態勢に入った。時刻は6時少し前。3月中旬なのでちょうど夜明けの時間帯だ。これまで真っ暗だったはずの空は紺色になり、そこから橙色の光が地平線の向こうからしみ込んできた。羽田空港回りの地上もはっきりと見えてきた。港の形がくっきり見える。暗いのは海、灯がともされているのは陸地だ。こんな時間でも電気をつけているのは、きっと勤勉に稼働する工場かこんな時間まで起きてしまっている不届き者かのどちらかだろう。社会不適合者も集まれば美しい景色になるということだ。地上が近づくにつれ、橙色は次第に勢力を増していった。飛行機が滑走路を減速する時間が、ちょうど東京の日の出の時刻だったのだ。こんなに日の出というのは美しいものなのか。まるで地球ぐるみで我々を日本に歓迎しているかのようではないか。何度も写真に収めておいた(もちろん機内モードだよ)。飛行機を降りてからしばらく歩く道では、もう空が完全に白く明るくなっていた。一仕事終えた飛行機と太陽のツーショットはベストコンビだった。

羽田脱出

 もう日本語が通じる場所だ。恐れることは何もない。まずはスーツケースを回収しに行った。あのベルトコンベアを見るのは少し好きだったりする。あのスーツケース1周したな、と回転寿司屋の人気のないネタを見守るような気分になれるからだ。僕のスーツケースにはシマエナガのストラップ"シマシマ"がついている。大切な我が子だ。コンベアが4,5週ほどしたのを見届けたところで息子がやってきた。いつみてもかわいいシマエナガだと思っていたら、全身黒ずんでいた。飛行機の中でごみなどが付いたのだろうが、個人的には「日焼けして帰ってきた」と解釈した。あんな暑いところで一緒に冒険したのだから、黒くなってもおかしくはないのだ。
 次に関税のチェックだ。怪しいものを持ち込んでいないかのチェックである。恥ずかしながらこの仕組みを知らなかったので少し戸惑ったが、書類を書いて提出すればいいだけの話である。タイの空港でお酒など買っていようものならきっと面倒なことになっただろう。シンプルに野菜や果物を買ったとしてもそうだ。入国審査も完了し、晴れて日本の土地に足を踏み入れることが可能となった。
 3月半ばの早朝。ここ東京は、意外にも今回滞在する地域の中では最も寒い地域である。今の自分はタイ上がりで涼しい格好をしている。トイレの個室で長袖に着替えた。顔も洗って新しい1日の始まりだ!

張り切っていこう!

頑張ろう…


自分の体は当の昔に限界がきていることを思い出した。飛行機でも十分に寝られたとはいいがたい。無理しなくていい、長いベンチはどこもたくさん空いているんだ…

30分だけ横になろうと思った。荷物は鍵をかけてあるし、最低限の防犯は施したつもりだ。それにここは日本である。少々気は緩んでいるかもしれないが、30分だけなら大丈夫だろう。そう思って少しの間目を瞑った。

 2時間が経過していた。当然と言えば当然のことだろう。寧ろ、2時間で打ち止めできたこと自体が奇跡なのかもしれない。11時にクゥちゃんと新橋で待ち合わせの予定だったが、まだ時間はある。とはいっても今この状態で会うと、たぶん臭くて汚いと思われる。汗拭きシートではぬぐい切れない汚れだってあるのだ。一応人に会うのに汚いのはよくないだろう。そのため事前に銭湯に入ってから行くと伝えたら、近辺で午前から営業してそうなところを検索してくれた。なるほど、空港から4kmかぁ、歩けると思ったが、冷静さを取り戻した。粕谷駅まで電車を使った。いわゆる町中にある銭湯、というようなお店だった。
 サウナは別料金のオプションで追加できるようだが、そこまで時間があるわけでもないので入浴だけにした。ここはシャンプー等は用意していないということだったが、全然問題ない。タイで使う用として持ってきておいた試供品のシャンプーたちを、今まさにこの場面で使えばよいのだ。お店の人にスーツケースは預けてタオルを貸してもらい、風呂場に入った。祝日とはいえこんな午前中はやはり平均年齢が高かった。これが年の功というものなのか。体を洗って湯船に浸かった。そういえば、今回の旅で初めてお湯に入ったかもしれない。徳島でもタイでもユニットバスの簡素なシャワールームだったので、肩まで温まっていられるのは幸せなのだと改めて実感した。他にも電気風呂やバブル風呂、水風呂まで十分に楽しんで出てきた。本当は服もコインランドリーにぶち込みたかったのだが、道中見つけられなかったことはクゥちゃんに了承してもらった。体は清いのでマシな方だとは思う。便に入った牛乳を買って水分補給し、新橋へと向かった。

日本

 クゥちゃんは先に新橋でよさげな店がないか探してくれていたらしい。しかし、まだ早い時間ということもあってか見つからなかったとのことだったので、東京駅まで移動した。いつ見ても広い駅だが、何度か来たことがあるので、既視感の塊のような場所である。そんな中で、お手軽に食べられる和食ということで干物屋さんに入ることになった。まずは約束のブツを渡した。とても喜んでいるようだった。欲しがっていたものはこういうもので間違っていなかったらしい。そしてそれぞれ食べたい定食を選んだ。クゥちゃんは、僕が大のサバ好きだということを知っていたので、裏をかいてサバ塩定食を選んだようだった。僕はさらにその裏をかいて鮭ハラミにした。クゥちゃんからすれば読みが外れて不本意だったようだが、僕は単純に脂ののった鮭が食べたかったので、これでいいと思っている。僕は小学生の頃、母が毎週火曜日に焼き鮭を夕食に出してくれた。近所のスーパーで火曜市をやっているからだ。あの頃は何とも思っていなかったが、今になってそれはとてもありがたいことだったと実感している。一人暮らしの自分にはなかなか焼き魚にありつけないからだ。まず、グリルがない。フライパンや電子レンジでできるレシピもあるようなので、気が向いたら挑戦してみたいが、物価の上がっている今だと難しくもあったりする。そう思いながら骨以外を食べつくした。
 この後クゥちゃんは友達と夕飯を食べる約束があるらしい。それまでは時間が空いていると言っていたが、特にすることがあるわけでもないので、ここで解散することにした。その友達は今はカラオケをしているらしい。そこに合流してはどうかということだ。こうして短い時間ではあったが解散し、一人で東京をふらつくことになった。予定では大手町まで歩き、クレープでも食らってやろうかと企んでいたところだが、地上はあいにくの雨天だった。残念だという思いよりも寧ろ、ここまで雨に打たれなかったのがありがたいことだったという気持ちの方が強かった。こちらはリュックとウエストポーチにスーツケースまで持っていて、実は移動するのも大変なのである。脳がバグを起こしてここまで長距離歩行も厭わず楽しんでいたが、帰宅という現実を目前にした今、疲労は具体的な形となって襲ってきた。空港で2時間寝ただけでは回復できない疲れである。正直、もう立っているだけでも苦痛なのだ。思えば、この旅は知らないこと・やったことないことで溢れていた。1日目に難波を通過して以降は、東京に戻ってくるまですべて僕にとっては行ったことない場所だった。和歌山も、徳島も、学会会場も、淡路島も、明石も、関西空港も、そしてバンコクも….
ここまでで見たこと、起きたこと、会話したこと、思ったこと、手に入れたことを一つ一つ整理するには、体も心も休める時間が必要である。武人に会えなかったのは残念だが、会えたとしてもその時間まで体力が持つかは怪しかったことだろう。半端にはなってしまったが、ここで新幹線に乗ることにした。自由席の予約も取れている。14:30頃に名古屋方面の新幹線に乗れた。意外にもガラガラだったので、心置きなく席を倒すことができた。飛行機とは大違いだ。乗ったのはひかりなので浜松にも停車するようだが、東京駅からおよそ100分間はただじっとしていればいい。荷物を上に載せ、そっと目を閉じたら、浜松を知らずに名古屋到着10分前のコールが鳴っていた。この新幹線のチャイムは、何かものさみしさを感じさせる。僕は何かにつけてよく東京に行ったりするのだが、その出張の始まりと終わりを知らせるチャイムである。この旅もこれで終わりなのか、深く、強烈な旅にしてはあっけない最後だった。
 名古屋駅にまで戻ってこれた。

学会遠征編

 小腹が空いたのでいくつかパンを買った。ふんわりした食感と小麦の香り。パン屋さんというのは通りかかると必ず目を奪われるため、僕はこれをトラップカードと呼んでいる。長蛇の列だったが、少しも苦ではなかった。他にすることはない。いつもなら本屋さんによるところだったが、己の体力を鑑みて帰宅することにした。そのころには雨もやみ、地下鉄を出た後も歩きやすかった。

 帰った!帰ったんだ!とりあえずもう一度シャワーを浴び、衣類をすべて洗濯機に放り込んだ。夕方から干しても乾き切らないかもしれないが、大洗濯大会の幕開けである。すべて干した後はまたしばらくベッドのお世話になった。このベッドの暖かさが自宅のいいところである。飛行機よりも、空港の長いすよりも、新幹線の席よりも寝心地がいい。もちろんホテルの方がベッドの質は良かったが、安心感という点ではこちらが勝っている。ただの睡眠欲を満たすだけがいかに幸福なことなのか、今一度知ることとなった。
 本日すべきことはもう一つある。それは、現在北海道に帰省中の彼女を回収することだ。ちょうど今日名古屋に戻ってくる予定である。21時過ぎに空港に到着し、22:30頃に金山駅まで名鉄でやってくるというプランでいるらしい。本来僕は武人と夜を食べ、22時ごろに新幹線で名古屋まで来る予定だったのだが、このイベントはスキップしたので22時過ぎに金山に行けばいいということになる。しかし事はうまくいくばかりではない。ちょうど21時頃に常滑あたりで電車が止まってしまい、彼女が空港で足止めを食らってしまったのだ。僕も金山で暇を告げられたということになる。小腹が空いていたので、どこか飲食店に入ることにした。とはいってもこの時間から入店を受け入れてくれるところなどあまりない。飲み屋に入ってもいいが、できればすぐに出られるところがいい。となれば選択肢はファミレスなどに絞られる。このあたりで深夜もやっているところと言えばデニーズかサイゼリアくらいだ。デニーズの方が営業時間が長いようだが、今日は何となくイタリアンを食べたかったのでサイゼリアにした。もうこの時間となっては、補導まっしぐらの高校生くらいしか店内にいない。心置きなく独りルネッサンスした。改めて実感した。
「美味しさは値段ではない。オリーブオイルだ。」
サイゼリアが教えてくれたことだ。30分くらいして外に出た。夜は少し寒いので、できれば室内を歩きたい。
 彼女の方は、電車の代わりのバスが手配されているようで、それの順番をひたすら待っているようだった。いったいいつまで待たなければいけないかわからず不安に思っているようだったが、終電には間に合いそうだから安心してほしいと説いた。不安だったら電話してきても構わない。とはいえ、常滑から名鉄に乗ったとしても、金山までは30分くらいかかる。これは即ち、まだあと30分以上は待たないといけないという意味になる。困ったものだ。もうサイゼリアは閉店の時間だ。いっそデニーズに行こうか、漫画喫茶なら手軽に時間がつぶせるとも思ったが、熟練の放浪研究者の僕が出した結論は、「金山をもう少し徘徊する」だった。僕はハンターハンターを5巻までしか読んでいないので漫画喫茶も気になったが、こういう静けた街を歩くのも悪くはない。まずは名城線直通を謳う飲食店街を練り歩いてみたが、見事にほとんど閉店していた。なぜ今頃こんなところを歩いているのかと、店じまいする店員さんに睨まれた気もするが、不審なのはこちらなので悪いことだとは思っていない。昼間は賑わうアスナルも、もう自分の足音が聞こえるくらいに暗く静かである。何やってんだ自分、とようやく我に返ることができた。そこからは名鉄線の改札口あたりでただじっと待った。
 彼女とは合流できた。帰りの地下鉄も余裕をもって乗ることができると思ったら、次の電車が終電だというアナウンスが入った。危ないところだった。帰省用のリュックには、いろいろなものが詰まっているようだ。まずは道内を歩く用のブーツ。歩くためにわざわざ別の靴が必要というのは、僕の常識には無くて驚いた。確かに、あちらはまだ雪が降っているので全然あり得ることだ。その他にも暖かそうな、いや暑苦しそうな防寒具も持っていた。お互い数日間いた場所の温度差が激しすぎる。それ故それぞれの話が新鮮で盛り上がる。家に帰ってお土産を交換し、それぞれの数日間について語り合おう。僕は何から話そうかな?

~完~


 
 

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